47



「しかしまあ、なんだな。」

全く意味のない言葉を呟きながら、ハニーは俺に背を向けた。
窓際に寄ったハニーが厚手のカーテンを開きその奥の窓も開けると、
部屋には生暖かい夜の風が忍び込んだ。

「いい月だ。」

窓は俺の頭向こうの壁側。
視線を上げても寝た俺の位置から窓外の風景は半分しか見えず、
俺の目の届く範囲に月は見当たらなかった。

「電気消すぞ。」
「はあ。」
「寝るなら寝ろ。」

そう言われても全然寝れそうにないんだけど。

確かにいい月なんだろう、照明を落としても
窓際に立つ宗蔵の姿が月明かりに浮かんで見えた。
どこか西洋的な彫りの深さを、月光の陰影がより印象的に浮き立たせる。
こんな光景を目の前にして、寝れるわけがない。

ハニーはポケットをあさって煙草を取り出すと、
一本取り出して咥えた。と思うと、また手に戻した。

「病院は禁煙か。」
「ココ、病院?。」
「じゃなかったら何処だ馬鹿者。」
「・・。」
「視聴覚室らしいが。」
「はあ?。」
「視聴覚室だしな。」

視聴覚室ならヨシということになったらしい。
ハニーは咥えなおして火をつけた。
ところで何故俺は今視聴覚室なのかという疑問は残る。
しかしそれよりもまず先に。

「あの・・一本。お願い。」

面倒くせえ、と言わずもがなに目を細めて見せたあと、
ハニーは今咥えたそれを俺の口の端へと押し込んだ。
おお。これって。間接・・。

「あのお。」
「何だ!。」
「何かこう、携帯灰皿的なものは。」
「あるはずが無い。」
「・・だよね。」
「2,3口吸ったら戻せ。」
「俺アンタまで手が届きませんが。」
「うるせーよ。俺が勝手に取る。少し黙れ。」
「・・。」

「あのお。」
「寝ろよ!!。」

「俺アンタに会ったら言わなきゃいけないと思ってたことが。」
「何。」
「携帯、無いみたいなんだ。」
「それで。」
「電話してって言ったじゃん俺。
それで、電話してもらって出れなかったら悪いなーとか。
でもどうせこなかったと思うんだけどさ。
それにしても、失くしたって一応言っとかないとかなあと。」
「お前・・頭打ったな。」
「そうかな?。」
「それだけ全身打ったんだ、頭も打っただろう。」
「まあ、そうかも。」
「俺が来てんだぞ?、電話必要あるか?。」
「・・ああ。」
「俺はお前の枕元でお前と電話しないといけないのか。」
「イヤそうじゃなく。」
「ならなんだ。」
「イヤ・・。確かに。」

宗蔵は俺の口の端から煙草を抜き取ると、長く伸びた灰だけを窓の外に捨て、
それから虫を叩き潰すようにしてスリッパで煙草の火を叩き消した。
その格好がまるで中学生みたいでおかしくて、
それについ今しがたボケた話をした俺自身もおかしくて、
俺はひとりベッドの上でクスクスと笑った。

そう、本心を言うなら。俺はハニーにもう一度会えるなんて思っていなかった。
もし会いに行けば、顔くらい見せてくれるかもしれない。
だけどそれじゃ苦しくなるだけだ。
俺は来ない電話を待ち続けて、それでも再会できたという事実を胸に、
俺自身の人生を立て直さなければならないんだろうと、そう思っていた。
だけど具体的にどうすればいいのか全く分からなかった。

とにかく、俺は一旦終わって、やりなおさなければならず、
だけど、なにをどうすればいいのか今も分からないままで。
やっぱ馬鹿だな俺って。

会いたかったんだ。アンタに。
こないだ会ったばっかりなのに。

なんて言っても、困らせるだけなんだろうな。

「しっかりしろよ阿呆。」

いつの間にベッドの端に腰掛けた宗蔵が、またしても俺の両頬をパシパシと殴った。

「ヤメテ。痛いから。」
「オマエは頑丈なだけが取り得なんだよ。分かってんのか。」
「言い切るか普通。」
「実際のところどうかは知らんが俺の中ではそういうことになっている。」
「・・ああそう。じゃいいよそれで。」
「誰かを失くすのには、もう懲りている。」
「そお。」

失くした誰か。
誰だろう。
そういえば前に聞いた。

「死ぬな。」
「へ?。」
「死なないと誓え。」
「え〜。」
「せめて努力しろ。」

俺のバカがうつったんだろうか、宗蔵の台詞はなんとなくおかしかった。
寝たまま見上げたハニーはいつになく穏やいで見えた。
漂う雰囲気の静けさは、むしろ哀しんでいるようにも見える。
だけど理由がないから、月の光がそう見せただけかもしれないけれど。
雰囲気に呑まれて、俺もバカのままに答えていた。

「努力シマス。」
「全力で努力するか。」

「アンタが俺を必要としてくれるなら。」
「条件つけんな。」
「・・ハハ。」

そうだよな。
なあ。もう一度、期待してもいい?。
今日は俺に会いに来てくれたんだよね?。

一番聞きたかった言葉は口にできなかった。
なのに顔には出たんだろうか、ハニーは鼻先で少し笑うと首を傾いで見せた。
いいけど。どーせ俺アンタにはバレバレだから。

ベッドの端に腰を下ろしたハニーが、不意に俺の頭を抱くようにうずくまったから、
ハニーの身体に覆われるようにして俺の視界は塞がった。
嗚呼・・これって・・。

そして嗚呼やっぱりこんな時に。

俺の足先のその更に向こうで気配がした。
今のこの貴重な瞬間にそんなことはもうどうでもいい。
ほんの少し顔を上げれば見取れるはずの何かを、俺は敢えて無視した。
しかし宗蔵が気付いてしまった。

俺の上でうずくまった宗蔵は戸口付近へと振り返り、そのまま固まった。
だから俺も仕方なく、頭だけ少し起こして別に見なくてもいい何かへと視線を回した。
さっき看護婦さんが開けっ放して出たドアの端に人の頭らしき影が二つ。
上下に並んだ頭は、俺が目を向けた途端、廊下側へと引っ込んだ。

顔も見えない二つの影だが、なんとなく、見るまでもなかった。

今起こるはずだった何事かがあまりに勿体無さ過ぎて、
俺の目には涙すら滲んでいた。


◇◇◇

「どーも〜。どーもどーもどーも。どーも。」

漫才師まがいの間抜けた挨拶は紛れも無く戒而。
悟一と二人してお互いが肩と尻で相手を押し、先に行けとばかりにもみ合っている。

夜に出歩いたら補導されそうな少年と、まさに補導しそうなスーツ男の組み合わせ。
その妙なコンビがお互いを押し合いへし合いながら近付いて来る。
・・異様な光景だ。

「おーよく来たな戒而、悟一。帰っていいぞ。」
「ですよね!。ですよね僕もそうなんじゃないかと。」
「梧譲、大丈夫?。」
「帰りましょう悟一。さあ僕達はさっくりと。ね。また来ます。」
「待て。」

ハニーの醒めた一声で場は凍りついた。
来るなり帰るつもりで振り返った戒而の背も固まった。

「な、何か。」
「用があって来たんだろ。話してったらどうだ。」
「え、ええあの。そうですね。」

戒而と悟一は二人ともが補導されたかのように並んで立ち、
またしても肩と尻で相手を小突き合った。
ふと俺へと向けられた戒而の視線が救いを求めているのは読めたけれど、
俺としてもこの状況で何をどうすれば救いになるのかが分からない。

「ええと。・・忘れました。」

凍った場の空気に何やら険悪な気配が含まれつつあった。
脅威とも言えるその殺気は、一方的に宗蔵の方から漂っている。
場の空気に疎い悟一が声を上げたのが、今は救いと言えた。

「なあ、もしかして事故、俺送った帰り?。」
「ちげーよ。」
「あんときの、アイツら・・」
「違うって。バイト中。お前は関係ねーの。」

とりあえずそういうことにしておく。
嘘だけど。

「そっか。・・痛い?。」
「全然。」
「うそお。」
「ガッチリ固定されてっから。動かなきゃ痛くはナイの。」
「そっかあ。」
「前に何かあったんです?、悟一。」
「ええと。違うみたいだけど・・。」

何と言えばいいのか、こう、表現しずらいのだけれど。
俺は戒而と悟一の間にとある不可解な印象を持った。
見慣れないというか不自然というか、しかしどう不自然と言われると、迷う。
二人の立ち居地が近過ぎる気がするんだが、それだけではなくて。

「あのさ・・お前ら・・なんだろ。」

どうにも言葉が選び出せない俺と戒而の視線が絡んだ。
そして戒而は何かを悟ったようだ。
戒而は小さく頷くと、何を血迷ったのか
俺に見せ付けるように悟一の肩を引き寄せた。

「ご報告が遅れましたが。僕達、そういうことなんで。」

はあ?!。

「ね。」
「へへ。そういうこと。」

肩を引かれた猿小僧が、今度は戒而の腰のあたりを抱いた。

うそお!。
オイ見た!?、と口に出す以前に指をさし、俺は宗蔵を振り仰いだ。
知るか、とばかりに宗蔵はそっぽを向いた。

うそ?!。
公認?!!。

「じゃ僕達はこれで。」
「また来る!。」
「さ帰りましょう帰りましょう。」

「戒而。」

勝手に盛り上がって帰りかけるその背に、またしても冷めた声音がストップをかけた。
補導員と小猿は二人三脚の一コマが停止したかのように、二人一緒に歩を止めた。
本来この場に姿を現すなり瞬殺されるはずの戒而が泳がされているのは、
見つかってしまったその時の状況に宗蔵が多少の気まずさを感じているせいだ。
だったらこの場はとにかく逃げ切るしかない。

(逃げろ。急げ!。)

足を止めて会話の流れに身を任せたら後が無いと、
勘のイイ監視員は察知したに違いない。
戒而は顔に貼り付けたような笑顔で振り向いた。

「アレですよね部屋の。ね。消すの。
アレには道具も必要そうですし。少々時間もかかるかと思われ。
ホラ僕普段は会社なもので。週末にでも是非。」

俺には内容の理解できない言葉を呟きながらも、戒而の手は悟一の背を押していた。
道具の方は僕の方で全て、とかなんとか話しつつ、返事も待たずに二人は部屋を出た。
出るには出たがしかし、引き戸を開けっ放しのままだ。
廊下の向こうへ遠くなる声は俺の元まで漏れ届く。

「ふ〜。超ヤバかったよね。」
「ヤバイなんてもんじゃないですよ。僕なんか足震えましたもん。」
「オレも〜。」

声デカイよバカ。
俺は心で叫んだが、勿論俺の心の声が廊下まで届くわけもない。

「でもなんか。心の奥のほうで、オレちょっとムカついた。」
「あ〜嫉妬ですか。」
「ちが」
「僕はそんな貴方に嫉妬しますけどね。」
「!。」
「あ。赤くなった。」

・・もう死ねお前ら。
聞いてる俺が恥ずかしくて死ぬ。

「オイ。」
「な、何か。」

戒而の怯えを引き継いで現在俺がビビッているのは何故。

「戒而は・・アレだな。」
「?。」
「バカになった。」

「・・うつったのかな。」
「かもしれん。」


「俺も似たようなもんか。」

・・どのへんが。

「帰る。」
「えっ!。うそ!。」
続きとかは!。ないんですか!。

「また来る。」
「いつ!!。」


「明日。」


- 続 -
 


Return to Local Top
Return to Top