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暗いのは多分、目を閉じているせいだ。

名前は住所は歳は連絡先は。
耳元で誰かがそんなことを叫ぶから、
分かる範囲で答えた。

だけどそんなこと聞かれるのって、やっぱヤバいのかな俺。
実際身体動かないし。
どうやって身体動かすんだったかが思い出せないし。
なんだか目もあかないし。

連絡先は、ご両親は、ご家族は親戚はご兄弟は。
そんなのあったっけかな俺。
ないんじゃないかな。
・・ああ、兄貴。
携帯に兄貴の着信残ってたかも。
・・携帯。
どこだろう俺の携帯。
ハニーから連絡があるかもしれない。
俺今携帯無くしちゃダメなんだ。
どこだろう俺の携帯。誰か探してくれよ。
その辺に転がってんじゃねーの。
その辺てここどこだか分かんないけど。
ハニーから連絡があるかもしれないんだ。
探してくれよ俺の携帯。
ハニーから連絡が・・
・・ま、ないだろうけどさ。ハハ。

「何笑ってるの!!。連絡先は?アナタ!気を確かに!!。」

◇◇◇

目が覚めたら、目の前に白い桃があった。

桃自体が白いんではなくて、白い布に覆われた桃だ。
つまりそれは、女の尻だと思う。多分。
何で目の先10センチにそれがあるのかは分からない。
分からないけど俺の目の前で左右に小さく揺れている。

だから、掴んでみた。

うぎゃあとかいきゃあとか、そんな力の限りの絶叫が
意識も薄い俺の頭を強打した。
だからまた、気が遠くなった。
あの桃はなんだったんだろう。何かのご褒美だろうか。
二つの盛り上がりの一方を掴んだその時には
親指が割れ目ってゆーかエロ本なら花弁と称するそのエリアにこう・・

などと反芻する俺の両耳を誰かがむんずと握り締めた。何?。

「アナタ!。何をしたの?!!。」

両耳を掴んで上下に振るなどという攻撃を受けたのは生涯初だ。
薄れかけの意識すら強引に呼び戻された。
両目を見開いた俺のすぐ前に、ゴリラの顔があった。
野生のゴリラではなくて、ゴリラっぽい顔。人間・・だと思う。多分。
野生の方ではないという証拠に、そのゴリラは白い服を着て、
頭にはこれまた白い帽子を乗せている。小振りなその帽子の形状からすると、
・・看護婦サン。

「アナタ!!。この娘に何をしたの!!。」
「しゅ主任もういいんです!。私も不注意で・・。」
「アナタには聞いてません!。私はこの男に聞いてるの!!。」
「痛!。痛いから耳!。」
「痛いようにやってるんです!。」

何?何事?。大体ココは何処。アンタ誰。
ブンブンと頭を上下に振られつつ、俺は狭まった視界でかろうじて状況を判断した。
俺はベッドに寝ている。自分の家じゃない。
女の白い服の形状からするとここは病院。
そういえば揺れる目の端には吊り下げられた点滴の袋が見える。
ああ事故ったんだっけ俺。
俺はしばらく意識がなくって、俺は寝てるもんだと思った若い看護婦が
ちょっと手抜きで俺をまたいで点滴を調整してたのか。

「アナタは!。何をしたんですか!!。」
「・・桃。」
「なんですって?!。」
「掴んだ・・だけ。」

体力も意識も薄い現在、もはや限界だった。
怪力ゴリラに振り回されるままに俺の頭はガクガクと揺れ、
意識は彼方へと遠のいていった。

「今度ヘンなことしたら強制退院してもらいますからね!。
いいですか!!。覚えてらっしゃい!!!。」

死んだら覚えてられねーし、と、
そんなことを思ったのが最後だった。


◇◇◇

次に目覚めたのは、夜。

ゴリラの奇襲を受けたその日の夜なのか次の日の夜なのか、
それとももっと先の夜なのかも分からない。
消灯後なのだろう、部屋の電気は消されている。
廊下から窓越しに漏れるかすかな灯りだけが
室内をぼんやりと浮かび上がらせている。

事故って病院に運ばれたんだと思っていたが、
果たしてそうなのか怪しくなってきた。
何故ならそこそこ広いこの部屋には、俺以外に誰もいない。
病院なら入院患者がいなくてもベッドぐらいあるんじゃないか。
それにあのゴリラ。
看護婦の格好は何かの余興かもしれない。
若い看護婦もいたような気がしたんだけど。
・・尻も握ったし。

それはともかく俺自身だった。
指先と足先を動かして状態を確認する。
手は2本。足も2本。
無事っぽい。
しかし。
指先は動くが、右腕と右足が動かない。
寝たままもそもそと布団の中で左腕を動かして、右腕の状態を確認する。
ギプスか添え物か、それ以外の何かかは分からないが
包帯巻きの下は固い外形にガッチリと固定されている。
手が届かない右足も同じかもしれない。

なんというのか、要するにこれは。
結構ヤバい。
かなりヤバい。
少なくとも今日明日どうこうするというのは無理だ。

(・・。)

そういえば。
俺はバイク便に出る前だった。バイトは無断欠勤になっているはずだ。
一体何日休んだのか。
それに、店。

(・・・・。)

突然考えなくてはならないことを沢山思い付いたせいで
寝ているにもかかわらず目が眩んだ。
どこにどう連絡をして誰に何を報告しないといけないんだろう。
てゆうかどうやってどこに連絡を?。

急にいろんなことを考えたら気分が悪くなってきた。
おまけにどこか遠くから足音が迫ってくる。
廊下を駆けて来るこの足音は幻聴じゃない。
何故か確実に俺に迫っているような気がする。

(・・まさかな。)

普段ならあまり怖いものなんてない俺だが、
身体が動かないとゆーことは人をこんなにも小心にするんだろーか、
それとも弱っているさなか雌ゴリラに虐待を受けた心の傷が原因か。

関係ない関係ない、と、俺は心の中で自分に言い聞かせた。
しかし部屋のすぐ外まで迫った足音は、俺の寝る部屋の前でピタリと止まった。
俺は無意識に息を止めた。
直後、引き戸がガラリと引かれ、部屋には灯りが点された。

「わ!。」

俺はつい悲鳴みたいにうわずった声を上げていた。
ガツガツと俺の傍らに歩み寄ってくるのは・・男。
だがまだ光に馴れない俺の目は、男の人相までは見取れない。

誰かも分からないソイツは、俺の顔そのものをむんずと掴み、
自分へと振り向かせた。

遠くの方からカツカツと、女っぽい靴音が響いていた。
看護婦さんなのか?。
もしここが病院なら、そしてアンタが看護婦さんなら、
頼む。助けてくれ。
俺は今、非常にヤバイ。まさに危機一髪というか。

謎の男が俺の目を覗き込んでいた。
灯りに馴れ始めた目が認識したその顔は、俺が良く知っている誰かに似ていた。
他に似ている人間などいようもない誰かに。

俺と見つめあうこと数秒、男は俺の顔から手を放した。
とその直後、男は俺の頬をピシャリとはたいた。
「痛!。」
悲鳴を上げた俺に全然おかまいなしに、というか悲鳴を上げたから尚更なのか、
男は俺の両頬をピシピシと繰り返し叩いた。
「痛!。イタタタタ!。痛いから!。」
「生きてんのか?!。」
何かが違う。
人をはたくのは生きてるのが死にそうな場合で、冬山とか、
しかし今現在俺は、生きているのに殺されそうだ。
そんで俺を殺しかけてるこの男ってば、・・ハニー?。

「何をしてるの?!!。」
「生きてんぞコイツ!。」
「誰か死んだなんて言いましたか!!。」

・・遅いよ看護婦サン。
もしもアンタが看護婦さんなら、だけど。

「・・クソ。」
「アナタ誰!、警察に連絡しますよ?!。」
「死んだって聞いたんだよ俺は!。」
「誰に。」
「・・イヤ。死んだとは・・言ってねえ。」

枕元の闖入者は突然その場に膝を折った。
俺は動く方の左腕で彼を支えたが力が足らず、
男は力無く床の上に座り込んだ。
男ってか、多分ハニーなんだけど。

「死んだとは・・言ってねえ。死んだようなことを・・。あの野郎・・」
「アナタ、ちょっといらっしゃい。その人が無事なのは分かったでしょう。
点滴打ってあげるから。そして落ち着いたら今日は帰りなさい。」
「うるせえよ。」

「あ、あの。」
なんとなくもたない間に滑り込んで、寝ている俺が声を上げた。
実際俺は状況が全く分かってないんだけど。
「スイマセン。とにかく、穏便に。どうか。」

ふう、と溜息混じりに歩み寄り、俺とハニーの傍らで腰に手を当てたのは中年の看護婦さんだ。
白衣もサマになってるし、 白衣の上に羽織ったカーディガンもなんかホンモノの夜勤っぽい。
マトモな普通の看護婦さんに見える。

「アナタのお友達ってみんな栄養が足らないみたいね。」
「ミンナとは。」
「まあいいでしょう。静かに面会を終えたら速やかに帰ってくださいね。」

次こんなことがあったらホントに警察呼びますからね、と
背中越しに念を押しつつ看護婦さんは去っていった。
部屋には俺と、ちょっと状態の推し量れないハニーが残された。
しかし緊迫感は未だ微塵も失せていない。

俺の枕元でもそりと身体を起こしたハニーは、
立ち上がるや否や、俺の顔面スレスレの位置で、
枕に正拳の一撃を喰らわした。
ボスッというその音と頬を撫でた風圧に、俺の心臓は縮み上がった。
今のはワザと枕の端を狙ったんだろうきっとそうに違いない。
俺を狙ったのがズレて枕に当たったなんてことがあるだろうか。まさか。

「戒而だ。」
「へ?。」

ハニーは枕の端に拳を落としたままの体勢で固まっていた。
俺を見下ろすハニーの瞳は薄く見開かれて、
屋内灯の逆光の中でも尚強烈な光を放っていた。
こういうのをなんて言うんだろう、思い付くけど口にしたくないその言葉って
・・殺意?。

「騙された。」
「・・。」


寝たままでハニーと見つめ合う俺は微動すらできず、
ただ心の中で、旧知の友にひっそりと呼びかけた。


(戒而、お前、終わったわ。)




- 続 -
 


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