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「すっげーな、桜。」

霊園はどこもかしこも満開の桜で覆い尽くされていた。

悟一と並んで一般墓地区画を散策する。
前に観世に連れられて墓参りに来たのはガキの頃だ。
親父の墓がどこだったか、記憶は曖昧だ。

薄手のジャケットのポケットに両手を突っ込んで歩く俺の右手には
ポケットの中で丸まった紙片が当たっている。
コンビニのレシートだ。
昨日の晩、梧譲が裏に電話番号を書いて俺に渡した。

「電話する」と、約束したのを覚えている。
だがわざわざ電話をかけて一体何を話すのか。
つい昨日に会った男に「元気か」などと確認を取れと言うのか。
大体世間の人間は携帯電話などを所持しているが、
テレビで見る捜査官の如く予断を許さない用件が随時入るとは到底思えない。
一体年中何を話しているのか。用件に困るということはないのだろうか。

「あ。あれ。」

前方を指差して悟一がふと歩を止めた。
悟一に指摘されるまでもなく、その光景は俺の目にも入った。
とある墓石の前に薄地の布を纏っただけの女が一人。
それを囲んで遠巻きに人垣ができている。
柄杓を入れた手桶と花を持った男が人垣に頭を下げて群集を散らしているが、
散らされた数だけ別の人間が集まって来る。男は多分付き人の次郎。
ということは、あそこが親父の墓らしい。

「オレ、便所。」

便所がそっちかも知らないくせに、悟一は今来た道を駆け戻った。
あからさまな逃げだ。
まあ気持ちは分かる。
俺自身もなんとなくうんざりしてきた。

俺も帰ろうかとそんな気分になった時、半裸の女は遠くから俺に手を振った。

「こっちだ!、宗蔵!!。」


わざわざ出向いてここで帰るのも損かもしれない。
俺は意を決めて人混みを掻き分け、とある墓石の前、観世の脇に並び立った。
墓地という場所柄、観世にサインをねだる不心得者もいないようだ。
背後のざわめきが気にならないと言えば嘘だが、気にしないこと以外にないだろう。
観世は一応、という感じで墓に向かって手を合わせている。
いいかげんくさい参拝の儀が終わるのを待って、俺から切り出した。

「それで。」
「ええと。なんだっけな。」

派手にウェーブをつけた黒髪をかき上げて、観世はボリボリと頭を掻いた。

「ああそう。お前の母親の件。つまり俺の妹なわけで。」
「それは知ってる。」
「お前の母親の、つまり俺の妹の、ああそれはいいんだっけか。」
「先を急げ。」
「妹の墓は、ここじゃない。ここはお前の親父の墓だけど。」
「?。」
「妹は観世家代々の墓の方。そうしたのは、俺だけど。」

話の内容が少々違う。。
だが、おそらく全てはどこかで関連付いているのだろう。

「・・どこから話せばいいんだろうな。」
「どっからでもいいさ。全部話しとけ。」

俺は煙草をくわえて火をつけた。
吸い込めば眩暈がすると分かっていたが、何故かそうせずにはいられなかった。

「お前さ。母親に抱かれた記憶、あるか。」
「んな昔のことは覚えてねえな。」
「無いだろう、多分。妹はお前を抱かなかった。」

観世の言葉の通りだった。
俺の記憶の中で母親の影は極端に薄い。
正直なところ、存在自体すら曖昧だ。

「昔。お前が産まれる少し前。ちょっとした事件があってな。
まあ、何だ。平たく言えば。平たく言わなくても同じだが。
俺的に考えれば、世間では良くあるようなハプニングなんだが。
つまり強姦とか、そんな。」

予想通りに眩暈がした。勿論煙草せいだ。

「妹は昔から全てにおいて俺と正反対だった。
引っ込み思案で繊細で人見知りで食が細くておまけに潔癖症。
活力を全部姉に吸い取られたとか親が言うもんだから、
そりゃ悪いことをしたと子供心に思ったさ。」
「昔話は省略しろ。」
「で、なんだ、その。お前が産まれた。」
「・・。」
「妹は京都で暮らしてた。当時はさほど連絡も取り合わなかった。
俺が事を知ったのは、大きくなった腹を抱えた妹が
恋人だという男に連れられて世田谷の家に戻ってからだ。
その事件当時に彼氏と関係があったのかとは、聞けなかった。」
「いい加減ハッキリ言え。俺は誰の子だ。」
「分からん。」
「オイ!。」

つい声を荒げた俺の前で、観世が小さく両手を挙げた。

「本当だ。分からない。
俺は親子鑑定を薦めた。それ以前に堕ろせとも言った。
だがお前の親父が全て拒否した。」
「・・。」
「遺伝子には関係無くかけがえのない息子だと、あの男は俺に言った。」

なあ、そう言ったよな、と、観世は墓石に呟いた。
俺はただ言葉を失っていた。

「事件の前後に妹とセックスしたのかとは聞けなかった。
だが、その関係はまだ無かったんじゃないかと俺は思う。
でなきゃ、ああはならん。」
「どう。」
「妹は自殺未遂を繰り返した。産んだお前にも手をかけた。
妹はもう、人として壊れてた。
だから、乳飲み子のお前から引き離す為にも入院させた。」

(イヴの夜にいらっしゃい。)
そう女に誘われたと、オヤジを刺した男は供述した。
引退した刑事が語った詳細を、俺は思い起こしていた。

絵に描いたように幸福な家庭があると、男はセンセイに聞いていた。
冬の或る日、押し込み強盗でもはたらいてやろうかと下見に出かけた。
しかし場所見してすぐに行動に移せるような事柄でもない。
男は電柱の影から『幸福の家』を窺っていた。
すると、窓が開いて女が手招きした。
見つかった。帰ろうと、男はそう思った。だが走って逃げるのではあまりに胡散臭い。
どうしようかと迷っているうちに、女が玄関先から顔を出した。
浮浪者風体の男に、女は食物と幾許かの金を与えた。
「イヴの夜にいらっしゃい。」

『幸福の家』というのはその実全くの見せかけで、
旦那は浮気でもしているのだろう、クリスマス・イヴには留守の予定らしい。
若い嫁は欲求不満で、通りすがりの男をくわえ込むつもりだ。
男はそう判断した。

そして呼ばれるがまま、数日後のイヴの夜に訪問した。
女は気紛れだから、いざとなったら行為を嫌がるかもしれない。
その時の脅しのために、胸には出刃を忍ばせていた。
呼び鈴を押すと「いらっしゃい」と女が出迎えた。
思った以上に事は容易に運びそうだ。
そう思って靴を脱いだ時、奥から男の声がした。
「誰かお客さんかい?。」

『幸福な家庭』が俺をおちょくるために仕組んだ罠だと思ったと、男はそう話した。
「そんときはガッと頭に血が上ってさ。
だけど俺なんかを陥れたところで何の得もないわけだ。
一体あれは何だったんだろうな。」
どうせならもう少しマトモな嘘を付けと一喝したと、年老いた男は俺に追憶を語った。


「なあ宗蔵、お前は仁井とかいう男について調べたはずだ。
その経緯でお前がお前自身の過去を辿るとは、俺は想像もしなかった。
だが、お前は俺に母親の入院の理由を聞いた。」
「ああ。」
「なんか、分かったのか。」
「何が。」
「俺にまだ話してない、何か。」
「確実な事は、何もない。」

そうか、と観世はただ呟いた。
多分聞きたくもなかったのだろう。

「お前の両親は通りすがりの強盗に刺されて死んだ。
公にも、実際にも、そういうことだ。
だが、妹は死にたがっていた。お前をも殺そうとした。
だから俺は、妹の自殺にお前の親父が付き合わされたような、
イヤ、あの男がお前の身代わりになったような、そんな気がしてならなかった。」
「・・。」
「だから、墓を分けた。」

吸わずに殆んど手の中で灰になった煙草を足元に捨てて、
俺は靴の底で揉み消した。
特に語るべき言葉は見つからなかった。

「事実がどうあれ妹は身内だ。何があっても俺は妹を責める気にはなれない。
ただ、妹の身内として、あの男には済まないことをしたと思う。」

観世の語りが一段落して、俺達には沈黙が訪れた。
俺が何かを語るべき間ではあった。
だがどうしても言葉が探せなかった。
背後でざわつく人混みのノイズが、今では俺達を静寂から救っていた。

「・・余計な話だったかな。」
「イヤ。そうでもないさ。」
「なら、いいか。」
「ああ。」

「じゃ、帰るわ俺。俺がいるとなんだ、外野がうるせーし。
静かなところでせいぜい拝んどけ。
すまなかったとお前から伝えといてくれ。・・頼む。」
「後悔は無い。」
「?。」

観世がふと片目を細めて俺を覗き込んだ。
それもそのハズに我ながら妙な発言だった。

「イヤ。親父ならそう言う気がした。」

フン、と観世が鼻を鳴らした。

「だろうな。あのバカが付きそうなお人好しならそう言うさ。」

◇◇◇

背後に群集を引き連れた観世が立ち去った直後、悟一がやって来た。

「や〜。便所混んでて。」
「嘘を言え。戻るタイミングが良すぎる。」
「・・へへ。」

「帰んぞ。」

先に歩き出した俺を追って、悟一は背後から駈けて来た。

「なあ!。でも便所が混んでたのは本当。」
「どうでもいい。」
「ちゃんとお参りした?、ココ宗蔵の父ちゃんの墓?。」

そういう詳細は悟一に語っていないはずだが。

「なあ、宗蔵の父ちゃんてさ、髪がちょっと長め?、
よく笑う?。笑うっつっても、ゲラゲラな感じじゃなくて」
「貴様、どこで何を聞いてきた。」
「いやその。」

つい詰問口調になった俺の前で、悟一は小さく肩をすくめた。

「さっき会ったから。そういうオジサンに。」
「!。」
「便所の帰り、道分かんなくなって。そしたら俺に『こっちですよ』って。
オレ宗蔵探してるとかなんも言ってないのに。
んで、『後悔は無いと彼に伝えて下さい』って。
『彼も分かってますけどね』って笑ってた。なあ『彼』って宗蔵のことだろ?。」
「・・貴様は何の話をしている?。」
「なんでか分かんないけどオレ、この人宗蔵の父ちゃんかも、って思ったんだ。
だからそう聞こうと思ったら、もういなかった。すぐ隣にいたのに。」
「・・。」
「なあ。父ちゃんだろ。」

「お前は夢を見た。俺は信じない。」

「宗蔵!。」

俺は悟一に背を向け、ポケットに両手を突っ込んで足早に前のめりに歩いた。
そんな俺を笑うように、一陣の爽風が吹いて俺の中を駆け抜けた。
風が引き連れた薄桃の花弁は、存在の全てを祝福して軽やかに辺りに舞い飛んだ。

分かっていた。

その風はいつも俺を包んでいた。
ひとり心を閉ざして塞ぎこんだ少年時代にも、その風は常に俺と共にあった。
時には俺の傍らで微笑み、稀にはさっきのように俺の中にまで入り込む。
後悔は無いと観世に語った弁は俺のものじゃない。
『彼』の言葉だった。

「宗蔵ってば!。」
「やかましい。」
「すげー優しい感じだなあの人。オレ、好きかも。」
「黙れ。」
「ちぇ。宗蔵照れてる?。」
「誰が!。」

サルにすら動揺を隠せない俺の手には、ポケットの中で例の紙片が当たり続けている。
こんなドサクサのさなかなら、「昨日は世話になった」くらいの事は言えそうな気がした。
それに、そうでもしない限り悟一の追求をかわし切れない。

「オイ。」
携帯を貸せ、と、悟一にそう言うつもりだった。
だが、ポケットから出した手でつまんでいたレシートは、
例の風とも違うただの風に吹かれ、俺の手から飛び去っていた。

追えば拾えない事もないのかもしれない。
だが俺は飛び去る紙片をただ見つめていた。

「なにあれ。なんか大事な紙?」
「イヤ。」
「オレ取って来る?。」

何やら悪い出来事を親父が俺に知らせた。
ふと胸に湧いた想いを振り払い、俺はただ歩き出した。

「ただのコンビニのレシートだ。」
「そうなん?。」
「帰んぞ。」
「・・うん。」


「帰りメシ食ってくか。」
「オウ!!。」

「何にする。」
「焼きソバ!。」
「却下。」
「じゃカレー!。」
「却下。」
「じゃ親子丼。」
「却下。」

「じゃ・・宗蔵の好きなのでいいよ。」
「ヨシ。」



- 続 -
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