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「どうよ。スッキリしたかよ。」
「・・死ぬかと思った。マジで。」

宗蔵の家から数件手前の道端で俺はバイクを止めた。
死ぬかと思ったとは思えない身軽さで、小猿はバイクのケツからするりと降りた。
俺はと言えば、膝下の筋肉が張りっぱなしで、バイクを止めた途端震えがきた。
そんなわけで俺は降りるなり止めたバイクの脇にひっくり返った。
道端に寝て見上げる空は果てしなく薄青い。陽も昇ったようだ。

「ジジイくせえな。」
「ずっと後ろのヤツが言うか!。」
「それはそうなんだけどさあ。で、・・大丈夫?。」

道中は、それはもうタイヘンだった。

小猿の気分をスッキリさせてやるつもりで、俺は朝の空いた大通りをブッ飛ばした。
二人乗りで追い越し車線をかっ飛ばす俺達は、調子に乗ったバカに見えたんだろうか、
俺達は別の種類のバカにあおられる羽目になった。
ミラーで確認した範囲では黒塗りのセルシオもしくはレクサス、20代後半の男が2人。
奴等は交差点間際でも速度を落とさず突っ込んできやがった。
ケツ乗りの小猿が「死ぬ死ぬ殺される」とわめき、俺は2度程赤信号を無視して突っ走った。

そういえば最近、走行中の車が撃たれるという冗談みたいな事件があった。
撃ったといっても使用されたのはエアガンや改造したモデルガンらしいが、
それにしても世の中には想像を超えた気違いがいるということだ。
後ろのヤクザ車が俺達をあおるのみならず、突っ込んでくる確率は
そんなに低くもないかもしれないとゆーことだ。
サルに死にそうな思いをさせてやろうと思っていた俺だが、
さすがにマジで殺そうとは思っていなかったわけで。

向こうは4000cc超えの四輪で、こっちは400ccの二人乗り。まともに走ったら勝ち目は無い。
そんなわけで俺は気違い車を撒くべく細道に入り込んだ。が、なんと気違いどもは追って来た。
細い道なら二輪の方が小回りが効くようだが、オフロード車でない限りそんなこともない。
そもそもが二人乗りで俺以外の人間の命という過大なハンデを背負いつつ、
俺はちょこまかと小道を逃げ続け、そろそろ撒いたかな、と
本道に出たところでまた鉢合わせしたりして、命からがら今ここに至る。と、そいういうわけだった。

「立てる?」
「うるせーよ。別に今すぐ立つ必要なんてないだろ。」
「そうだけどさ。」

膝が笑って今すぐには立てそうにない。
ヤケクソな気分で、俺は道端に胡坐をかいて座り込んだ。

「じゃオレ、帰るけど。」
「帰れ帰れ。てか朝帰りなんかしていいのかサル。門限8時のくせに。」
「窓から出てきたし。窓から帰るし。」
「・・そう。」

「あのさ。好きはやっぱ、好きだよな。フられても。
そう思ったら、ようやく分かったよ。
オレ、彼女に悪いことした。すごく。」
「・・。」
「もうオレぜったい、誰かを泣かすようなこと、しない。」
「へ。心配すんな。もお今後お前にそんなチャンスないから。」
「かもな。」

吹っ切れた顔で小猿は笑い、俺に白い歯を見せた。
可愛い顔しやがって。爽やか小僧め。
こういうのが女にモテんだよな。
そんで実際モテてやがる。クソ。
だけどモテモテ小僧は年上の銀行マンに惚れてるんだよな。
・・わけわかんねえホント。

「じゃ!。」
「オイ!。今度俺にメシおごれ!。」

あっという間に駆け出した小猿は、途中で振り返り「分かった」と俺に手を振った。
そして俺が瞬きしたあとにはもう視界から消えていた。

俺は愛車に縋って立ち上がり、小猿が消えた町並みの一角を見つめた。
悟一が駈け戻ったあの家に、ハニーがいる。
少し前に俺が送り届けた彼が。
・・まるで俺は、あの家の運転手だ。
クソ。ハニーはともかくサルはな、なんて愚痴りつつ、煙草をくわえて火をつける。

愛しのハニーが、すぐそこにいる。

昨日までのハニーは追憶の中の存在だった。
だけど今、彼は俺の現実の時間に存在していた。
今俺は生きているんだと、そんな気がした。

そして俺は何をするべきか。
その要所はまだ、曖昧だ。
だけど俺はただこの再スタートに満足していた。
全ては、これからだ。

吸いかけの煙草を投げ捨てて、俺は愛車に跨った。
まだ人通りのない朝の路上で方向転換を済ませ、去り際、
ハニーの家の方に振り返り一瞥を投げる。
彼にふさわしい存在でありたいと思う。
その為に何をなすべきか。それはこれから考えるにしても。


これは、恋じゃない。
多分愛なんじゃないかと、俺は漠然と思う。


◇◇◇


〜Get your motor runnin' (エンジンを吹かせ)
 Head out on the highway (ハイウェイに向かえ)


昨日から徹夜で、気分は上々と言うには少々疲れ過ぎだ。
だけどまあそこそこにはイイ感じで、俺は鼻歌まじりに国道を走っていた。
ようやく陽が昇ったばかりだが、車はまばらに流れ出している。
みんな一体朝から何の用事があるんだろう。
俺自身がそう思われてるかもしれないんだけど。

つまらない事を思いながら何気なく覗いたミラーに、ふと黒い影が映りこんだ。
・・あまり嬉しくない予感がした。

改めてミラーを覗き直してみる。
すぐ後ろに後続車。
黒のセルシオもしくはレクサスっぽい車。
さっきまでミラー越しに見続けたヤクザちっくな顔のデカい高級車。

来やがった。
性懲りも無く、また来やがった。
どうやら俺をイビると決め込んだらしい。
逃げられたのが悔しくてこの辺を流して探してたところに、
のうのうと俺が再び姿を現したということか。

車は俺をあおって尻に当たりそうに寄り、車の運転手と俺はミラー越しに目が合った。
スカした色付き眼鏡の奥に細い目。
どことなく爬虫類的に据わった顔が、軽く頬を吊り上げていた。
楽しんでいるらしい。
助手席にもう一人。髭顔でこわおもての男。

俺はアクセルを開け、100km/m超えまで加速した。
風圧が視界を狭めたが、揺れる視界の隅でミラーに映る黒い影は同じ間隔を保っていた。
まあ、そうだろうと思う。
排気量からすると、俺はヤクザ車にかなわないことになっている。

俺はわずかにアクセルを戻した。
突っ込んでくるかと思われた後続車は、意外にも俺に合わせて速度を落とした。
そしてその時、ミラー越しに見る後ろ、後続車助手席の窓から、
黒い鉄の棒まがいのものが突き出された。

(!。)

それがライフルなのか空気銃なのか改造銃なのか、
それともただの銃っぽいかたちのものなのかは分からない。
ただ分かることは一つ、普通の車は窓から長い鉄の棒を出してよこすことはない。
つまりもしかすると、イヤもしかしなくても、
走行中の車を撃って回っている犯人が、今俺の後ろにいる。

(クソったれ!!。)

一度心で毒付いて、俺は腹を据えた。

据わった腹で周囲の状況を確認する。
前方左に、畑。
なんの畑か知らないが、狭い土地が耕作されて黒い農地が見て取れる。
「農業推進なんとか企画」で最近増えた小規模農地の一つらしい。
この通り沿いに未舗装の土地はあまり多くない。殆ど無いとも言える。
それで作戦は決まった。

作戦と言っても、この状況でできることは多くない。
ただ、当てさせてやる。それだけだ。
追突事故なら過失割合は後ろと前で10対0だ。
正直なところ、法的過失度なんかはどうでもいい。
ただバカみたいに磨き上げたセルシオだかレクサスだか知らねーが
クソ高そうな高級車をボコにしてやる。
固そうな顔だし、俺の愛車が当たっても少々傷が付くくらいかもしれない。
それでもただ殺されるよりは、一矢でも引っかき傷でも報いてやる。

(ゴメンな。)

約7年間共に走り続けた愛車に俺は心で詫びた。

そして間もなく耕作地の端。俺の心の決行場所。
俺は尻の位置を軽くズラし、重心を傾けてリアブレーキを思い切り踏んだ。
当たられた衝撃で真後ろに飛ぶんではなく、横の畑地に転がる予定だが、
試したことがあるわけじゃないので上手くいくかは分からない。

ただ俺はもう桁外れに腹を立てていた。
さっき、二人乗りの時には人質を取られた気分で逃げるしかなかった。
だが今は違う。
さっきの借りも返してやると、そんな気分だった。
限界以上に腹が立つと、何故か人間何でも可能な気になる。俺だけかもしれないが。
単なる喧嘩ならそのシンプルな気分のままに勝ち続けて来たが、
果たしてこういう状況で思い通りにいくのかどうか、
勝算は・・俺自身良く分からなかった。

後輪のみのブレーキに引かれ、俺を乗せた愛車の車体は
単独でも不安定に小刻みな横揺れを始めた。

(来やがれ。ケツ掘らせてやんぜ。)

俺は顔を伏せ、衝撃を待った。

(!。)

しかし俺の感じた衝撃は、微かな横風のみだった。

突っ込んでくるハズの後続車は、不意に対向車線に進路を取り、
俺のすぐ脇を擦り抜けて俺を追い越した。
捨て身の攻撃を目前にして、咄嗟に逃げの判断をかましたらしい。
しかしその先は十字の交差点で、進行が青に変わったところ。
俺を追い越したチキン野郎の高級車の目前には
法定速度をやや超えたスピードで直線を進行する対向車が迫っていた。

(!!!。)

突然目の前に現れた黒塗りのデカい顔を避けて、
俺斜め前の対向車は俺側の車線へとハンドルを切った。
咄嗟に目の前の車を避けたのはいいが、
その隣の二輪つまり俺に気付くのが遅れていた。
気付いたところで、他にどうしようもなかったかもしれないが。

今や俺の目の前には、軌道を失ったステーションワゴンが斜めに横たわっている。
俺が滑って転がり込む予定の畑は、もはや遥か後方だ。
斜めになったワゴン車の隣には、信号待ちの車が連なっている。
要するに、逃げ道は無かった。

人生の最後には今までの出来事が走馬灯の如く脳裏を廻るとかいうが、
俺の頭にそんな悠長な余裕は無かった。


パニックをも超えた極限の境地、やけに醒めた心が思った事は唯一つ。


(ダメかも。)




- 続 -
     .


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