29



翌日。

「まいど〜。」

俺が気の利いた再会の台詞なんか探せるわけもなくて、
いつもと同じ蕎麦屋の出前の文句で、俺は白塗りのドアを押した。
細く開いた木製のドアには鈴でもくくり付けてあったらしく、
チリリンと涼しい音色が、俺の野暮な挨拶にかぶって鳴った。

「ああ。今出る。」

広くて何にもないフロア隅のテーブルで、誰かが机上の書類をまとめていた。
・・宗蔵。
間違いない。

開いたドアもそのままに、俺はドア脇の壁にへばりついた。勿論道側だ。
壁にべったりと背を貼り付けた俺の有様は、まるで見つかりかけたストーカーだ。
実際俺は、そんな気分だった。
俺は見てしまったハニーを。一瞬だけだから顔はよく見えなかったけど。
バクバクと鳴る心臓は、俺の皮膚を突き破って飛び出てきそうな勢いだ。
胃が収縮して吐きそうなんだけど、まさかここでゲロ吐くわけにいかないし。

「待たせたな。車は。」

突然耳元で響いた声音に突かれて、振り仰いだ俺の目の前には宗蔵が立っていた。
8年ぶりのハニーが。
無造作に掻き分けられた短髪、ややこけた輪郭の優美なライン。
昔よりもやや伸び過ぎた色素の薄い髪が、不審気に細められた瞳にかかって揺れた。

「なんだ?!貴様!!。」
「どどど。ど。どうも。」
「どういう事だ!。」
「えっとあの。車を。」
「貴様を呼んだ覚えは無い!。」
「・・だよね。はは。」
「帰れ。」

うわあ!。
相変わらずだ。8年前と全く変わらない。
予想通りそのまんまの反応だ。
だったら受け答えのシュミレーションでもしてくるべきだったんだけど!。
俺がわわわとか口ごもっているうちに、ハニーはもう俺に背を向けてしまった。
ちょっと待ってくれどうにかして。頼む。誰か。神様!。

「どーしたの?、あれ、梧譲じゃん。おはよー。」

屋内に戻りかけた宗蔵を押し戻すみたいにフロア内側から現れたのは猿小僧。
俺の願いが天に通じたのなら、サルは神の使いだとゆーことになる。
もうこの際サルでもキジでもニワトリでも構わない。でかした悟一。

「でかけるんだろ?。」
「ヤメだ。今日は日が悪い。」
「さっき電話で面会の時間決めてたじゃん。今日じゃなくていいの?。」

悟一の言葉で、戻りかけの宗蔵の足が止まった。
俺には何だか分からないが、悟一はいいツボを突いたらしい。

宗蔵は、フンと鼻息を荒げて俯いた。
俺に背を向けたその肩はかなり小刻みに震えていると、俺が気付いた直後。

「遊んでんじゃねーんだぞ俺は!!。」

宗蔵は3ブロック先まで聞こえるような大声で叫び、
手にしていた自分のセカンドバッグを路上に叩き付けた。
かなりの数の通行人が振り向いたと思われるが、俺にそれを確認する余裕は無い。
宗蔵の迫力に圧されまくった俺は微動だにできずその場に凍りつき、
悟一はと言えば3歩後ずさったあと足をもつれさせ、後ろ向きにすっ転んだ。

「グルか、お前ら?!。」

宗蔵は俺と悟一を交互に睨んだ。
状況のヤバさに俺はもう精神が半分くらい身体から抜け出していたから、
ひたすら石になったままで、そうだとも違うとも言えなかった。
一方の悟一の方は、斜め上を見て口笛を吹くような顔をした。
・・バカ。
それじゃグルだと認めたようなもんだ。
大体そもそもが俺はサルと共謀したわけじゃないし。誤解じゃん!。

宗蔵はもう一度石の俺を睨み、すっ転んだ悟一を睨み、ひとりで小さく頷いた。
宗蔵の心の内で、この状況を形成した元凶にとある推論が及んだらしい。

「・・戒而か?」

そう。そうなんだよ戒而なんだよ。

「・・べっつに。」

サルの受け答えは、暗にYESと言っている。

「成程な。」

宗蔵は繰り返し何度もひとりで頷いた。
俺の背には冷たい汗が幾筋も流れた。
この場に戒而がいなくて良かったと、俺は心から思う。
もしいたら、間違いなく血をみた。
死体まで見ちゃったかもしれない。

息をするのも気が引ける緊迫した空気の中、
雰囲気をあんまし読まない悟一が「でもさー」と仕弛緩した声を上げた。

「でもさー。いちおうちゃんとクルマ来たんだろ。
いいじゃんもお別に梧譲だって。
そりゃ、梧譲じゃない方がいいかもしれないけど。」

野郎サルめ!。
石になっていなければ俺はそう叫んだところだ。
しかし何故か、悟一の言葉に宗蔵がグッと詰まった。
悟一は天然のまま、ツボを突きまくっているらしい。
いいぞ?!。こうなったら頼む!。神様おサル様。マジ頼む!。

「面会の日はズラせないって、言ってたじゃん宗蔵。」

イイ!。いいぞカミサマ!。

像をも射殺す宗蔵の視線が悟一を捉え、さすがの悟一も頬を引き攣らせた。
後ろに下がりたくても悟一は既にすっ転んでいる。
宗蔵がふと腰をかがめた。
ヤバイ。
俺は息を飲んだ。
しかし宗蔵は足元のセカンドバッグを拾い上げただけだった。
ついさっき、自分で路上に叩き付けたヤツを。

「いいだろう。」

そういってハニーは俺に振り向いた。

「貴様は今日一日俺の運転手。俺は客だ。それで問題無い。」
「・・毎度。」

ああなんかもっとマシな台詞は出ないのか俺。

「クルマはどこだ。」
「・・アレ?。」

疑問形まがいに返答の語尾が上がってしまったのは、
クルマが磨き上がってる黒塗りの高級車じゃない以上に、
二輪つまりバイクであるという俺の気の引け具合が滲み出た結果。

「!。」
「・・ワリ、俺クルマ持ってないし、
借りても良かったんだけど、免許も無いし。」
「・・。」
「あの、でも、別に何もしないし、絶対。当然。」

ああっバカ俺!。当然だよ!。当然過ぎてそれは言う必要無いっていうか!。
言ったらかえって「もしかして」って思ってるみたいな?!。
そそりゃ思ってもいないって言えば嘘だけど・・って違う!。
思ってもいない俺は!。思ってもいないことになってるんだった今日は!!。

「あ〜梧譲バイクかあ。バイクの後ろはちょっと怖いよね。初めは。」
「そ、そう?。」
うわ、そんな事ないって否定しろ俺!。
でも俺が否定するとかえって嘘くさくない?!。

「でもオレはもう慣れたけどね。何回か近くまで送ってもらったもん。な?。」
「お、おう。」
「初めてだとさあ、やっぱビビるよね、宗蔵も。」

「問題無い。」

ウソ!。マジで?!!。

怒りを内に秘めた無表情を決め込んだ宗蔵は
スタスタと俺の脇を擦り抜けて、
路上の端に寄せて停めた俺の愛車へと寄った。
YES!!。
悟一、グッドジョブ!!。

悟一は両手を頭の後ろに回すと、口の端を引いて声を出さずに微笑んだ。
普段は猿小僧にしか見えないその姿が、今の俺には天使に見える。
中世の宗教画みたいに、悟一の背後には後光すら見える。

道端に土下座してありがとうと言いたい気分だ。
だけど俺がそうしないのは、通行人の目が気になるからじゃなくて、
唯一、宗蔵の目のみが気になるから。
俺は片手だけを胸の前に持ってきて、悟一を拝んだ。
そんな俺に、サル顔の神様はシシっ、と声を潜めて笑った。

「何をやっているか!。」

背後でハニーが怒鳴っていた。
振り向くと、ハニーは既にバイクの後ろにまたがって腕を振り回している。
ああ、俺のハニーがいる。俺の目の前に。
俺の胸にふと熱いものがこみ上げた。

飛び抜けて美人なのは昔のまま、もしくは昔以上だし、
それより何より、傍若無人さも実直さも横暴さも無骨さも、
全てが俺の記憶のままだった。
俺が求めてやまない、俺のハニー。

「早くしろ馬鹿者!。」

「押忍!!。」

◇◇◇

晴れ上がった空の下、俺はいつもよりゆっくりとアクセルを開けた。
命より大事なハニーを乗せるんだから、今日は安全運転を決め込むつもり。
ゆっくり出ても発車の時は絶対後ろにGがかかるから
軽く腰に回されたハニーの腕が、俺の腰を引くように腹に食い込んだりして。
うわ、かなりイイ。

・・とかってシマッタ。
勃ちかけてる場合ぢゃないんだよバカ羊が一匹羊が二匹羊が。
って寝てもダメだし!。ま寝るわけないけどな俺がハニーを乗せて。

駅裏の住宅街を抜けて、とりあえず大通りを目指す。
環状線に出たら・・と、そこまで考えて俺は重大なミスに気付いた。
怒られるだろうなあ、とドキドキしながら、
俺はウィンカーを出し、歩道に寄ってからバイクを停めた。

「あのさ、宗蔵。」

ゴーグルを取って、ジェットタイプのメットを脱いで、
バイクから降りてから俺は後ろの宗蔵に言った。
宗蔵は怪訝な目で俺を睨んでバイクから降りると、新品のフルフェイスを脱いだ。

「俺、行き先聞いてないんだわ。」
「!。」
「で、どこ行くの?、俺達。」

「・・クソが!!。」

行き先を確かめなかったのは俺のミスだけど、
言うのを忘れた宗蔵のミスでもあるわけで。
だから宗蔵の「クソ」は、俺に対してと宗蔵自身に対しての「クソ」なわけ。

そんなハニーがおかしくて、そんでもって愛おしくて
俺はついクスクスと笑いを漏らした。

ハニーは俺を睨みつつ、無言でメモ端を突き出した。
紙切れの上には手書きの住所が3、4つ記されてある。
本日の行程表らしい。

「順序はどうでもいいの?。」
「イヤ。」

順序は決まっていて、中でも2番目の場所は時間指定アリということだ。
宗蔵にその辺の説明を聞きながら、俺はバイクのタンク部分にくくり付けた地図を引っ張り出した。
高速を使った方が速いかもしれないんだけど、
2輪の二人乗りは限定許可だから、ルートを決めるのはちょっと面倒。

俺とハニーは二人して地図本を覗き込み、メモに書かれた住所に照らして地図上の道を指で辿った。
その時、二人で見つめる地図の上、俺の指の先に、小さな花びらが舞い降りた。
なんとなく見上げてみれば、路肩の桜並木は今が満開だった。

「・・桜かあ。」

毎日バイク便で路上を走り回っている俺なのに、桜が時期だと知らなかった。
目の端に入っていたには違いないんだけど、花を花として意識することはなかった。

振り仰いだ俺につられてだろう、ハニーも満開の桜を見上げた。
そのときハニーが何を思ったか俺には分からない。
だけど俺はその時、シアワセってこんな感じかなあ、なんて思っていた。


- 続 -
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