30



始めに指示された行き先は、駅だった。

都心から幾らも放れていないその私鉄の駅に
わざわざクルマ(バイクだけど)で乗りつけるというのも不思議な話だ。
だけど本日俺は運転手に徹する予定だった。
行き先について旦那様に文句を言う運転手もいないだろうし、
とにかく俺は指示通りにクルマ(バイクだけど)を向けた。
安全運転を決め込んだ本日の俺は
すり抜けナシ、アオリナシ、空吹かしナシ、無理な追い越しナシ。
普段なら50分で走る距離に1時間40分費やして、到着したのはほぼ正午。

「待ってろ。すぐ戻る。」
「あ。行くよ。暇だし。」

バイクを降りるなり勝手に歩き去る宗蔵を、俺は走って追いかけた。
言われた通り待ってても良かったんだけど、なんとなく気になるっていうか、
余計なお世話なんだろうけど、なんつーの、ほっとけないような気がしたから。

券売機でハニーが一駅分の乗車券を買うのを横目で確認し、
俺も同じ一駅分の乗車券を買う。
ハニーの背を追って俺も改札を抜けた。

『都心まで急行15分』

そんな売り文句の文字だけのポスターが貼られたホームに人影はまばらだった。
通勤ラッシュの時間は過ぎているからだろう。
ハニーはといえば、セカンドバックから取り出した謎の紙束をながめ、
それからホームを慎重に見回し、前から3両目付近で立ち止まり、
ホームから身を乗り出して線路をながめたあとに、斜め上45度あたりを睨んでいた。
一体全体、何が始まっているのか。

声をかけていいんだろうか。それともだまっているべきなのか。
ハニーの脇でぼんやり突っ立ったままの俺に声をかけてか、
それともただの独り言なのか、ハニーが小さく呟いた。

「あそこの防犯カメラは、そっちのより新しいな。」
「は?。」

斜め上を見上げた顎先で、ハニーはホームの天井付近を数箇所指した。
確かにそこには防犯カメラらしきレンズが見える。
あっちよりこっちが新しいとか言われても俺には全くピンとこなかったけど、
良く良く眺めてみれば、確かにあっちとこっちはサイズが微妙に違うし、
本体周りの汚れ具合も違うような気がする。
てことは取り付けられた時期が違うということかもしれない。
でもそれに意味があるんだろうか。

「あっちのの取り付け時期を聞いてこい。」
「はあ?。」
「向こうに駅員がいんだろ。俺はあっちの駅員に聞くことがある。
一人に色々聞いて胡散臭がられてもアレだしな。」
「あ、あのさ、聞くのはいいけど」
「イヤならいい。」
「イヤ!、っと嫌じゃなくて!。聞く。聞いてくる!。」

俺は発作的に身を翻して駆け出した。
電車の一箱分くらい向こうには私鉄の制服の後姿が見えた。
今現在ホームに車両は無く、駅員をつかまえて話を聞くにはいいタイミングに違いない。

「あのお!。駅員サン!。」
「?。」
「あそこにさ、防犯カメラついてるっしょ。あの路線図の上の方。」
「はあ。」
「アレって、いつ付けたんでしょーか。」
「・・オタク、何?。」
「イヤその。頼まれたんだけど。連れに。」

中年の駅員はあからさまにハッキリと露骨に眉をひそめた。
確かに怪しい質問だ。
おまけに、年中ラフな身なりの上に赤い長髪の俺は、
基本姿勢として世間には怪しい人間と見做される傾向がある。
ここはひとつもっともらしい理由をひねり出さねば。

「えっと。NPO法人『痴漢被害対策協議会』だったかな。連れは。」

ひそめられたままの駅員の眉根が更に一層寄った。
・・しくじったカモ。

「1992年。」
「は?。」
「1992年2月。」
「・・はあ。」
「前の年にあのへんで事故があってね。」
「事故って。」
「男性がホームから落ちて轢かれて。」
「はあ。」
「酔ってたそうだから、うっかり足を踏み外したんだろうけど。
当時の防犯カメラには死角だったもんで、警察から指導が入って。
急遽導入が決まったんだけど、発注とか納入とか工事とか色々あるでしょ。
それで確か、3ヵ月後には台数が倍になった。
そういうわけで時期も覚えてる。どう、参考になった?。」
「ハ。ありがとうございマス。」

俺は深々と頭を下げ、余計な事を聞かれる前にその場を駆け出した。
数年前に酔っ払いが落ちたという元の場所に戻ってみれば、
同じホームの少し先で、ハニーが別の駅員と何やら話し込んでいた。

俺はポケットから煙草を取り出し、一本くわえて火をつけた。
普段から吸い過ぎの煙草は肺の奥まで吸い込んだところで刺激が薄い。
効果と言えば欲求不満を募らせるくらいだ。

なんつーのか、キナ臭い予感がした。
ハニーは一体、何に首を突っ込んでしまったのか。

「成果は。」

ついぼんやりした俺の脇にはハニーが戻っていた。
俺はさっき駅員に聞いたそのまんまを話した。

「成程な。」

ハニーは手にした紙束を繰り、紙面を見て線路を見下ろしカメラを見上げ、
もう一度紙面に視線を戻して何度か頷いた。
俺には何が何だかさっぱりだ。

「ヨシ。次だ。」

くわえ煙草の俺の脇を擦り抜けて、ハニーはひとりさっさと改札へと歩き出した。
俺はホームに煙草を投げ捨てて、靴の底で吸殻を揉み消してからハニーを追った。

「あのさ。何が分かったのカナ。」
「別に何も。」

そんなわけないっしょ。

「約十年前、あそこで事故があった。
当時あの位置には防犯カメラも無く、事故が本人の不注意によるものか
それとも第三者の故意によるものかを判断する術は無いし、
当時も無かったということが分かった。
つまりまあ、何も分からんということだ。納得したか。」

ハニーは俺に振り返りもしないで、
自分でその事実を確認するためだけみたいに話していた。
だから俺も答えなかった。

俺が知りたいのはハニーが確認した事実じゃなくて、
ハニーがそれを調べていることの意味の方なんだけど、
そっちは聞いても答えてもらえそうな気がしなかった。

◇◇◇

2件目の訪問先は、とある一軒家。
直線距離にしたら前の駅からたいした距離じゃないけれど
電車で行くとしたら路線的に一度都心まで出ないといけないから
クルマで移動するのは正解だ。バイクだけど。

後ろのハニーはもうケツ乗りに慣れてしまったらしく、
ちょっとくらいの揺れじゃしがみついてくれなくなった。
時間的に道が空く昼過ぎという利点に
進行方向が混雑の流れと逆向きなことも相まって
30分も経たないうちに俺達は目的の地番に到着してしまった。

そこは旧家が並び立つ閑静な住宅街だった。
目的の地番の家はこじんまりとした造りの二階建て。
手狭な敷地の庭木は手入れが行き届いていて、
マトモな人間が真面目に生活してんだろうなあ、という印象。

「1〜2時間の予定だ。飯でも食って来い。」

またしても端的な指示だけ残し、ハニーはさっさとその家の門をくぐった。
さすがに知らない家に付いて入るわけにも行かず、
俺は今回ハニーの背をただ見送った。
2時間もあるんなら、確かにファミレスなんかで時間をつぶすべきだろう。
だけどなんとなく、そんな気分にもなれなかった。

俺は私道っぽい道の路肩に止めたバイクの脇に座り込み、
することもないからまた煙草をくわえてみたりする。
慣れすぎて味も刺激も感じない煙にまたしても苛立ちを感じ、
なんとなく見上げた空はバカみたいな快晴だ。
そういえばここでも街路樹の桜が満開に咲き誇っている。
だけど俺はもう朝ほどには能天気なハッピー気分に浸れなかった。

宗蔵は何かしら厄介な問題にかかわっている。
俺にできることはないんだろうか。
そう持ちかけたところで、ハニーが俺の手を借りようなんて思わないのは分かってるんだけど。
今日だって本当は、俺がしゃしゃり出るハズじゃなかった。
宗蔵にとって今日の俺は、俺が想像した以上にタダの運転手だった。
それならもおそれでかまわないから。
タダの運転手に何かできることはないんだろうか。

そもそものモンダイの実情が分かっていない俺だから、
何かできることを考えたところで思いつくわけもない。
そんなわけで、天気はいいしあったかいし桜満開だし暇だしで、
俺はつい寝込んでいた。

そして、例の恐ろしい夢を繰り返し体験した。

誰かに蹴られて目を覚ましたそのとき、
目の前にハニーが存在することに、俺は驚愕した。
んぎゃー!と叫んだあとに現在の状況を悟り、
照れ隠しに頭を掻き毟ったりしながら俺は腰を上げた。

「次ね、次。」

そそくさとバイクにキーを差し込む俺を斜視気味に眺めながら、
ハニーは何についてか分からない溜息をもらした。

「オイ、一本、ないか。」
「あるけど。忘れたん?。」
「らしい。」

煙草を忘れたという証明に、ハニーは俺に自分のポケットを軽くあさってみせた。
その時、フォークかスプーンみたいな細い銀の柄が俺の目を引いた。
絵を描くのに使うパレットナイフ。
なんでそんなものを俺が知っているのかというと、
俺は昔、アレでハニーに切り付けられた経験がある。
絵の道具だから普通のナイフみたいに切れるわけじゃないけど、
使いようによっては、凶器にならないこともない。
そんなものを持ち歩くのは、なんだか物騒な気がした。

頭に浮かんだ思いを顔に出さないよう脳裏から振り切って
俺は自分のジャケットのポケットから取り出した紙の箱を
ジッポーのライターに重ねて、ハニーに手渡した。

ポケットの中で縒れた紙のパッケージを目にするや否や、
ハニーは苦虫を噛んだ顔で「チッ」と舌打ちした。

「・・ハイライトか。」
「それしかないから。おあいにくだけど。」

俺を睨みながらハニーは一本くわえて火をつけて、
吸い込んだあとに露骨に「マズイ」と表情で示した。
俺はただ肩をすくめてみせた。
頼んで貰って、コレだもんな。
なんて、相変わらずのハニーのありさまが、俺にはちょっと嬉しかったりもしてたんだけど。

そんな俺に笑いかけるでもなく悪態をつくでもなく、
ハニーはただそっぽを向いて煙を吐いた。
薄白い煙は晴れた空の背景に溶けて、余韻も何も残さない。
俺はただ、ハニーの横顔を見つめた。

顔色が悪いのは昔からだし、ちょっと伸びすぎた短髪は
芸術家ぽくて萌えかも〜なんて思った朝の俺の感慨は、
浮かれて溶けた頭のなせる認識だった。
今冷静に見直してみれば、そこにあるのは憔悴した男の横顔だ。
端麗なラインについ気がいって、ただ見惚れてしまいがちだけど。

「な。この家の人って、誰。」

答えは無かった。
まあ、予想通り。
だって俺は、タダの運転手なんだから。

「じゃ次、行こっか。」

俺は宗蔵の答えを待たず、朝に手渡された行程表を取り出した。
次の目的地には郊外の刑務所が記されていて、上から棒線で消した跡がある。

「えっと・・ここは。」
「車の手配を考えた当初は回る予定だったが。必要無くなった。」
「いいの?。」
「面会予定の男は高齢だったからな。」
「年寄りだと、マズイの?。」
「かなり前に死んだそうだ。俺も昨日知った。」
「・・。」
「次だ次。最後。」

最後に記された場所は、聞き覚えのある私立大学だった。


- 続 -
 


□□ ここまでのお付き合いありがとうございました □□
Return to Local Top
Return to Top