28



行くべきか、行かざるべきか。それが問題だ。

「ねぇ梧譲さん!。お・か・わ・り。酒!。マスター!。」

さっきからカウンター席では酒さけ酒とやかましい。
聞こえてないわけでもないんだけど、今の俺にはどうでもいい気分。
カウンター内側の丸椅子に座り込んでる俺は、ターキーのボトルを手に取ると
琥珀色の液体を、客のじゃなくて自分のグラスに注ぎ足した。
グラスの氷はしばらく前から溶け切っている。
ロックがいいのになあと思いながらも、氷を入れるのが面倒で
俺は強い酒を強いまま舐めた。

夕べ、夢を見た。宗蔵に会う夢だ。
俺がハニーを迎えに行く。すると家の前にハニーが立っている。
俺は発作的に犬まがいにハニーにむしゃぶりついて、押し倒す。
ほとんど反射でハニーに乗りかかってから、俺は突然この場が往来のさなかだと思い立つ。
周りを見回してみれば、行き交う人達が気違いを見る目で俺を見下ろしている。
俺を、というか、俺とハニーを。
ということはつまり、多分ハニーは激怒している。
何故「多分」なのかと言うと、俺は恐怖のあまり俺の下のハニーに目を合わせることができないせいだ。
なんてことをしちまったんだろうという後悔の念が俺の中で怒涛の渦を巻いて、
耐え切れず俺は「んぎゃー」と絶叫した。
そして自分の声で目が覚めた。
起きたその時、俺は全身汗まみれで、息までが上がっていた。

・・恐ろしい夢だった。
今思い出しても、手のひらがじっとりと汗ばんでくる。

「酒!。酒くれってば!。マスター!!。」
「もお自分で注いじゃえば。今日マスターなんかヘンだし。目の前にボトルあるし。」
「李厘ちゃんは。」
「オレ出前頼んだから、取りに行ってくれてるかも。」
「じゃもお勝手につぎますからね!。」

カウンターの小僧どもがブツブツ話し合って、終には俺のボトルに手を出すまでを
俺は夢の中の出来事みたいにぼんやりと眺めていた。
カウンターは左から順にスキンヘッド、長髪、ノーマル、おかっぱ、モヒカン。
いつもの客だ。
ちなみにボトルに手を出したのは中央のノーマル君。
そういえばコイツもう今日何杯目だろう。5杯目くらいまでは出してやった気がするんだけど。

「お前さあ、飲み過ぎてない?」
「ほっといてくださいよ。ココ店でしょ。俺客なんだから。」
「んじゃちゃんと払えよ。ツケじゃなくて。」
「・・。」

返事が無いという事は、またツケらしい。

「コイツさあ、女にフラれたんですよ。」

飲み過ぎくん左隣の長髪が笑って、飲み過ぎくんの肩に手をかけた。

「うるせえよ!。」
「いなくなった女が帰ってきたと思ったら、今度はマジ出てったんだって。」
「いいんだよあんな女!。俺に高校生って言ってたくせに、定期見たら中坊じゃねーかよ!。
俺に嘘つきやがって!。絶対他にも色々嘘付いてたんだくそお!。」

あ〜。
その中坊は、ちょっと前まで俺の部屋にいたのかもしんない。
俺手出してないから言ってもいいような気もするんだけど。
言わないでと言われたような記憶もあるようなないような。

「おまけにアイツ、出て行く前に俺のコレクション破壊し尽したんだぜ?!。」
「コレクションて?」
「『belch』のビデオ!。アイツ、ビデオのテープ引っ張り出してぐちゃぐちゃにしやがって!。」

でかした中坊。
あれは絶対後世に残してはならない代物だった。

「ねぇ梧譲さん、『belch』のビデオ持ってるでしょ。どうか俺にダビングさせて・・。」
「ないない。あるかよ。」
「うそお!。自分のバンドなのに?!。」
「あってたまるか。しかしお前よくそんなの持ってたな。もお10年も前だろあれは。」
「『belch』は俺が目にしたスターリンでありピストルズであり!!。」
「はあ?。」
「梧譲さんはミチロウでありジョニー・ロットンでありシド・ヴィシャスなんですよ!。」
「全く分かんねえ。」
「つまり!。『神』なんですよう。俺の!。」

悪酔いの極みとして、飲み過ぎくんはカウンターに突っ伏しておいおいと泣き出した。
「俺のカミサマ〜」とかうわ言のように繰り返す飲み過ぎくんの肩を抱いて
左隣の長髪が「泣くなよお」と慰めた。
なんとゆーのか、飲み屋ならではのバカバカしい場面だ。

「『belch』よりはさあ、その次の方がマシだったろ。」
「ああ。あれね。」

大泣きしていた悪酔いクンは、突然むくっと顔を上げた。
何なんだお前は俺評論家か。

「アレはまあ、上手かったスよね。ボーカルとアコギが。」
「なんで俺を抜かす。」
リードギターの俺を。
「梧譲さんあのバンドで道化に徹してたじゃないスか。」
「おう。楽しかったぜ。気楽で。」
「・・そうかなあ。」

ド派手な衣装とリアクションで俺は客の目を引く。大衆は俺を見る。
俺の傍らではロックなフリして根はフォークな相方が心に届く歌を歌う。
普段なら聞き逃すインパクトの薄い旋律でも、
俺のリアクションに目を奪われているうちについ聞き込んでしまう。
よく聞けば、イイ曲だって分かる。
そんで、好きになる。

「あの上手いボーカル兼アコギのひと、どうしてんですかね。」
「『V7』のバックバンドで現在地方周りちゅう。」
「うっそ!!。あの『V7』?!。」
「そ。その『V7』。」
「す、すげー!!。」

『V7』とゆーのは日本人なら誰もが知っている超アイドルグループだ。
売れているという意味じゃスターリンの比じゃない。ピストルズには劣るかもしれないけど。
そういえば昔、アイツはそういうアイドルバンドの曲を『魂の抜けた音楽』とか呼んでたっけ。

バンドを抜けてしばらく、俺は旧い相方の行方を知らなかった。再会したのは路上。
通行人が足を止めもしない道端で、ヤツはひとり声を張り上げて歌っていた。
誘われてなんとなく、俺も脇で弾いたりしたこともあったっけ。
俺はヤツより人目を惹くセンスがあるから、俺が手伝った日は道端でもそこそこに客が付いた。
だけど俺もヤツも「またバンドやろうっか」とは言い出さなかった。
俺が手伝いに弾いた3回目くらいの時、ヤツは帰りがけにぼそっと、もお最後にすると言った。

 「知り合いに紹介されてさ。『V7』のバックバンドのオーディション受けたんだ。」
 「へ〜。受かるといいね。」

そんでまあ、ヤツは受かった。
ギターの腕は最上級だし、見た目が冴えないのは別にバックバンドの条件じゃないし。
受かって当然だ。本人もそう思っていただろう。

たとえ裏方であれ、国民の誰もが知ってるよーなバンドにつくってのは、心底スゴイと思う。
だけどヤツは本来アイドルバンドを軽蔑してるようなところがあったから、
心から祝福していいのかどうか、俺は内心複雑だった。
ただぼんやりと、俺はヤツを尊敬していた。昔も、今も。
それは多分、ヤツは俺にはないプライドを持っていたからだと思う。

俺はオンガクに対するコダワリが無い。
オンガクに限らず、何に対してもコダワリが無いかもしれない。
だから捨てるべきプライドも、ゆずれない信条も、なんにもない。
笑っていーぜ。だって本当だし。

「マジすごいスね!。バックにしたって『V7』なんて!。」

そんな誉め言葉聴いても本人喜ばないだろうなあと思うと、同意していーのか微妙なところ。
俺は答えから逃げるように、ただ手の中のグラスに口をつけた。

「そう言えば今日なんか、梧譲さんも飲み過ぎてません?。」
「そお?。」
「そんな酒飲むマスターって世の中にあんましいないと思うけど。」
「ほっといて。」
「それになんか今日、ずっとぼーっとしてるし。」

そうだったクソ。忘れてたのに。
あの夢をまた思い出しちまった。
思い出した途端、俺の全身に冷や汗が滲み出てきやがる。クソもう全く。
そもそもは戒而だあんの野郎。呼び出したのに昨日もおとといも来ない。
今晩中には顔出すんだろうなクソ!。

しかしなあ。それにしても、おかしくないか?。
この、何にも動じない俺サマが、一体何にビビってんのか。

「あ〜。」

そうか。そうなんだ。

突然俺は分かってしまった。

「なんですか梧譲さん?。」
「なにが『あ〜』スか。」
「あ〜。そうだ。」
「なにが!。」

コダワリもプライドも何んにもない俺が、唯一なくせないもの。
本当はもう失っているかもしれないのに、なくしたと認められないもの。

俺にはハニーが必要。
ハニーの存在だけは、どうしても俺から消し去れない。

俺の昔の相方が、主義やプライドを捨てても音楽から離れられなかったように、
俺はハニーから離れられない。実際今離れているんだけれど、
もしそれが永遠だと認めたら、俺は俺自身とすれ違ってしまう。

フラれたくせに、あれはただのちょっとした喧嘩なんだと思い込もうとして、
昼はバイク便で身体を酷使して、夜はだらだらと酔っ払いの相手を続け、
思考を止めたまま、俺は短くもない年月を過ごした。
だけど。

「おーい梧譲さーん。聞こえてる?」
「・・ほっといた方がいいよ。今日マスター絶対ヘンだ。」

旧い相方はプライドと主義主張を捨てることで、生涯の職にありついた。
アイドルが歌う合間の短い間奏のフレーズに、ヤツは燃え残った想いを注ぎ込んでいるだろう。
だけど俺は、何を捨てたところで後が無い。
「本当にお前にはうんざりだ」と、ハニーにもう一度最後通告を下されたらあとは、
またいつか会えるかも、なんて妄想に身を委ねる事すらできなくなる。
ハニーを失って、俺が俺自身とすれ違ったら、俺は残りの人生をどうやって過ごせばいい?。
プライドや主張なんて、俺は初めから捨て去っているのに。

俺にはもう何も残っていない。
ハニー以外は何も。


「ラーメンお待たせ!。『海苔』誰?。」
「お。李厘ちゃんお帰り〜。『海苔』俺。」
「ハイ、ココ置くから自分で取ってね。
そんでチーフじゃなくてマスター、これ!。」
「あ〜なんか今日梧譲さん、魂抜けてるから。」
「んもお!。」

肩を怒らせてカウンターに入り込んだ李厘は、
飲んだくれてる店主の前にビシっと紙袋を突き出した。
?。なんだろこれ。

「ハイ!。お兄ちゃんからコレ。」
「・・戒而か?!、どこだアイツは!。」
「帰った。」
「んだと!!。」

俺は発作的に駆け出していた。しかし立ち上がって3歩しか踏み出せなかったのは、
李厘が俺の背後からシャツの襟首を引っつかんだせいだ。
なんだってコイツは女のクセに馬鹿力なのか。
力任せに引きずり戻した俺の鼻先に、李厘はクソでかい紙袋を突き出した。

「帰ったって言ってるでしょ!。あとお兄ちゃんから伝言。
『明日晴れるらしいですよ』だって。どっか行くの?。」

そうだよ行くんだよバカ。
明日はバイク便も休み入れたし、そんなに減ってなかったガスも満タンに入れた。
『行くべきか行かざるべきか』とか悩んだところで、行くしかないんだよ俺は。
俺は8年も前から俺自身とすれ違っていたんだと再確認するにしても、行くんだよ。
その後の俺の人生が死んだも同然なら、今だって俺は死んでるよーなもんだ。
分かってんだよ俺だって。クソ!。戒而の野郎!。

頭の中で長々と呪いの文句を呟きながら、俺は手渡されたデカい紙袋を開けた。
中から出てきたのは、まだ箱に入った新品のヘルメット。
無難な白のフルフェイス、風通しを考慮したSHOEIのニューモデル。凡そ3万円也。

「・・クソ・・。」

なんだかんだ言いつつ、準備は整えていたつもりの俺だった。
しかし相手のメットまでは考えが回らなかった。
そうだった。俺がバイクの脇に下げてる「もしもケツ乗りがいた時用」のメットは
通称ドカヘル、つまり肉体労働者用の黄色い半キャップだった。
いつか思い出せないくらいずっと前に工事現場から盗んできたヤツ。
まさかあれをハニーに使わせるわけにはいかない。
クソ。戒而の野郎。
気が利いてやがる。
ちくしょお。

今更感謝するのも悔しいし、それに行くしかないんだと俺はたった今認めてしまっていた。
混乱した想いをそのままに、俺は両手で持った新品のメットに頭突きをかました。

「痛!!!。」

「・・ホントおかしいね、チーフ。」
「でしょ。」


何とでも言いやがれ。
お前らに俺のキモチが分かってたまるか。


- 続 -
     .


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