21



「ご注文は。」
「貴方と同じもので。」
「ホントはワイン派だっけ?ウチ、ないんだけど。
スコッチなんかもいけそうだよな。それもないんだけど。」
「正直何でもいいんです。僕。
何でも飲めるけど、どれもたいして美味しいとは思わない。」
「・・。」

その日の夜中近く、店には俺と戒而がふたりきり。

なんで戒而がいるのかと言えば、俺が電話で呼びつけたからで、
なんで他の客がいないのかとゆーと、俺が追い返したせいだ。
ホントは1時閉店の建前なのに、ほぼ毎晩客に付き合って明け方まで営業してるんだから
タマには俺の都合を通したってバチは当たんねえハズ。

「電話しなさい」と名刺を残したのはヤツの方だが、
まさかその日のうちに呼び出されるとは思わなかったせいだろうか、
残業帰りの戒而は機嫌が悪いとゆーのか、気が立っているように見えた。

ふたりきりの店内で、俺はテーブル席の戒而に「美味しいとは思わない」酒を運び、
それから自分のグラス持参で同じテーブル席の斜め向かいに腰を下ろした。
俺にしてみれば「なかなかイケる味」のバーボンを舐めながら、
昨日はあんまし眺める間もなかった8年ぶりの友を見直してみる。
どこからどー見ても、完璧な社会人だ。
仕立ての良さそうなスーツに絞首刑まがいの詰襟とネクタイ。

「僕の顔に何か。」
「別に。ただ俺がそんなんしたらメシのあとゲロ吐いちゃうかも、とか。」
「笑うとこなんですかね。」
「・・どうだろ。」

「でもさあ、モテんだろ。一流企業のリーマンってのはさ。」
「どうでしょう。」
「どーなのよ。女の方は?。」
「『女』の意味にもよりますね。」
「へ〜。どういう意味の女ならいるって?。」
「セックスの相手?。」
「!。」

今この瞬間にアルコールを口に含んでいなかったのは幸運だった。
もし飲んでる最中だったら、強い酒を鼻に逆流させたりして俺は大変な事になっていた。

「新人の頃、僕は総務部所属でした。場所も本社ビルの方で。
そこに一日中僕に細かい雑事を言いつける課長職の女性がいまして。
あれを持って来いとかそれを運べとか、
まあ一応上司だし僕は新人だし、言いなりになってたわけです。
で、ある日、残業の帰り道に『こっちよ』なんて進路をリードされまして。」
「はあ。」
「文房具の買出しは済んでるはずだけどおかしいなあなんて思いながら歩いて、
途中タクシーにも乗って、結局案内された先はホテルでした。」
「はあ?!。」
「『シャワーは後にするそれとも先?』って、
彼女が僕に命令じゃなくて何かを尋ねたのはあれが最初で最後でしたね。そう言えば。」
「そそそそれで。」
「いただいときました。」
「!!。」
「彼女、銀行の取引先のご令嬢でして、近々結納が決まってたんです。
つまり後腐れのない関係を望んでるのは明白だったし。」
「・・その女と今も続いてんの?。」
「イエ。彼女が結婚して円満退社した後は会ってません。
かわりに友人を紹介されまして。今度は当行大株主のご令嬢。
セレブな人達って横の繋がりが深いらしいですね。
僕は口が固くて後腐れの無い男として重宝されてるようです。」
「・・で、でもさあ、どーなのよ。アッチの方まで仕切られるってのは。」
「そっちはまあ、別です。」
「とゆーと。」
「そっちは僕の好きなようにやらせてもらうってことです。あの人たち
普段仕切り過ぎてるから、たまに仕切られるのも悪くないみたいだし。」
「・・。」

なんとも・・だった。
もおそうとしか言いようがないとゆーか、・・なんとも言えない。

普通に考えれば、夢のよーな話だ。
まさに男のドリームそのものだ。
もし俺がふらっと寄った飲み屋で隣席の男がそんな話を始めたら
羨まし過ぎて俺は「調子に乗ってんじゃねーぞ」とか叫んで殴りつける。
だけど俺の斜め隣でグラスを傾ける男は、調子に乗るどころか
己を嘲笑うような冴えない顔で俺に笑ってみせた。

「まあいずれにしても僕の場合は大人同士の付き合いです。」
「・・まーな。」
「で、そっちの未成年はどうなりました。話したんですか?。」
「ああ。アレは片付いた。多分。」
「なんですって?。それじゃ僕が呼ばれた理由が無い。」
「あるんだよそれが。」

黒縁の眼鏡の下で、ヤツの瞳が不審気に細く顰められた。
一分の隙無く整ったヤツの顔立ちは今や威圧感と化して
カミソリの刃みたいに鋭く俺の胸に斬り込んできた。
イヤやっぱ別に何でもなくて、とか、うっかり俺は口にしそうだった。

「8年前、俺の部屋から消えた理由を言え。」

「それはもう、いいじゃないですか。」
「悟一のせいか?。」

普段からポーカーフェイスなヤツの表情が
少しだけ引き攣ったのを俺は見逃さなかった。

「それとも俺のせいか?。
どっちでもいい。ただ、本当の事を話せ。」
「まいったなあ。別に」
「悟一がなんかしたのか。」

単刀直入過ぎるのは分かってる。
だけどそれくらいしなきゃ、戒而は確実に言い逃れる。
真実を聞くまで帰さねーぞ、という気迫を込めて、
俺はテーブルに片肘を付いて戒而を睨み付けた。
そんな俺を見つめて、まいったなあ、と小さく繰り返したあと、
戒而はおもむろに語りだした。

「『求められた』とでも言うんですかね。」

(・・サルの野郎。)
自爆だ。サルめ。バカ野郎。
サル小僧は8年も前に自爆の種を撒いていた。

「応えそうになりました。」
「ハイ?!。」
「だから逃げ出したんです。」
「ま、待て。ちょちょっと整理すると」

「同時に僕は、貴方からも逃げ出した。」
「俺?。」
「貴方が好きだと、前に言いましたよね。」
「ハイ。」
「何度言わせるんですか。」

まったもう、と口の中で呟きながら戒而はグラスを手に取ると
ロックのバーボンをただの水みたいに一息に流し込んだ。

「昔の話です。忘れてもらってかまいませんけど。」
「はあ。」

「僕の告白をまともに受け取ってもいなかった貴方は、8年前のあの日
『今日こそキメる』なんてバカな決意を表明して家を出たんです。
そして貴方は本当に戻らなかった。僕がどんな気持ちになると思います?。」
「・・。」
「『僕はもう世界に存在する理由も必然も無い』
そんな気分の僕に、悟一は手を差し出してくれた。
僕が彼の教師役でなかったら、僕はきっと彼を受け入れてしまっていた。」

戒而は氷だけになったグラスをガツンと俺の前に置くことでお代わりを要求し、
俺は間抜けたホステスまがいにボトルをしっかり両手で持って酒を注いだ。
照明を絞った仄暗い店内、流しっぱなしのBGMはカントリーからスローなジャズへと切り替わっていた。
年代もののデッキはオートリバースがまだ目新しい頃のカセット専用機だから、
前の店長が編集したテープ以外にかけれるものが無い。

「だけど僕は貴方から悟一へとすぐに気持ちを切り替えられるほど器用でもなかったし、
誰かの代用とするには、彼の瞳は真っ直ぐ過ぎた。
ああ別に貴方の目が曲がってるというわけじゃありませんから。」
(思ってねえし。)
「僕なりに考えた末、僕がいなくなれば、全てうまくまとまるという結論に達しまして。」
「全て?。」
「嫉妬深い友人が消えて貴方達も一緒に居やすくなるだろうし、悟一は・・
はじめは傷付くにしても、いずれ僕なんかじゃないちゃんとした女性に出会えるはずだ。
僕は誰よりも悟一に幸福になってほしかった。
それに、貴方達3人が幸福に過ごすこれからを想像しながらだったら、
僕はひとりでもやっていけると思った。」
「・・意味が分かんねーな。」
「大事な人達が幸福になるためなら、何だってたやすいって事です。」

意味が分からないと言ったのは嘘だった。
ただ単に、理解したくなかった。
だけど否定する頭とは裏腹に、心の方が先に理解してしまっていた。
そう。戒而ならこんなふうに考える。コイツはこういうヤツだった。
『自己犠牲の結果、俺達3人が幸福に暮らしています』なんていうお伽噺を信じて、
心の支えにして、自分の心は堅苦しいスーツの下に封印した。
自分が感情を捨てた機械仕掛けのロボットにでもなれば、俺達が幸福になるとでも考えたんだろう。
バカ野郎。
大バカ野郎。

「ねえ。悟一は元気ですか。」
「話してやるよ。まずは俺の過去からだ。」
「そっちは別に。ねえ、悟一は元気ですか。」

「俺は宗蔵と別れた。」
「?!。」
「お前が出てった日に。前の日かな。まあ当然フラれたわけだけど。」
「!。なんですって?!。」
「まあ聞けよ。そんで、悟一。ヤツはついこないだまでお前の帰りを待ってた。
だけど一途な女がいて、付き合う羽目になった。それがまた育ちのイイ、マシな娘でさ。
でもダメみたいだな。切り替えの悪いサル頭は、今でもお前を忘れられない。」
「・・そんな。」

グラスを握る戒而の手が小さく震えていた。
俺は気付かない振りで煙草に火をつけた。
切り替わったBGMは録音状態の悪い戦前のジャズで、
ザラザラしたテープのノイズが俺をいらつかせた。
突然、気でも狂ったのか戒而がクスクスと笑い出した。

「嘘でしょう?。貴方は突然いなくなった僕を恨んでたんだ。
だからそんな意地悪で、僕をからかうんだ。」
「・・嘘なもんかよ。」
「イヤだなあ。嘘だって言ってくださいよ。」

前触れもなく席を立った戒而は、俺が気付くより早く俺のシャツの胸倉を握っていた。
エリートサラリーマンの優男は今や、場末の飲み屋にふさわしい暴漢に成り下がっていた。
身なりのマシな暴漢は文科系の外見を裏切る馬鹿力で俺の胸元を吊り上げ、
俺はその場に立ち上がる羽目なった。

「嘘だって言ってくださいよ!。」
「嘘なもんかっつてんだろ。」
「嘘だ!。」

「現実だ!。バカ野郎!。」

俺は胸倉の手を払いのけ、スーツの肩を叩きつけるようにしてヤツを席に押し戻した。
普段から喧嘩慣れしている俺が、優男ひとりを椅子に座らせただけで息が上がっていた。
自分も元の椅子に腰を下ろし、俺はランニング後の水みたいに強い酒をあおり、
直後にむせってデカイ咳を繰り返した。
一方のついさっきまでの暴漢はといえば、
今度は魂が抜け落ちたように表情もなく、椅子の上で微動だにしない。

俺はゲホゲホとむせ込みながら、人形みたいなヤツに手を伸ばし
スーツの胸ポケットから手帳を抜き出した。
以前この店の住所を走り書きしたから、
薄型のシステム手帳に細身のペンが付属だとも知っている。
俺は空いてそうなページを開き、悟一の住所と携帯の番号を走り書きした。

「運良くスポーツ入学しやがってサルは現在留年中の大学生だ。
バイトに明け暮れてて自宅に戻るのは夜の8時。笑うぜ、門限なんだと。お嬢様かよ。
その気になったら連絡してやれ。その気にならなかったらこのメモ捨てればいいし。
お前が戻ったって悟一に教えてやろうか迷ってたんだけど、
俺からは言わない事にする。お前の好きにして。
ちなみに悟一が大学入った年にアイツら引っ越してさ。
聞いた話じゃ現在宗蔵は画廊のオーナーらしい。どーにもヤル気のナイ店らしーけど。」

「・・悟一は今も、宗蔵と暮らしているんですね。」
「ああ。」
「それは良かった。」

そーだな。
俺達の中で、アイツらの関係だけが唯一マトモに続いている。

「昨日貴方の部屋に行って、ひとつ気付いた事がありました。」
「?。」
「あの絵が、無かった。」

「貴方は宗蔵と別れて、それであの絵をしまい込んだんですね。」
「あれは、燃やした。」
「なんですって?!!。」
「燃やしたんだよ。俺が。」

俺に振り向いた戒而の瞳にいささか生気が戻っていた。
つまり戒而は怒ったらしい。
俺達3人の現在の話以前にこの話をしていたら、戒而はココで俺を吊り上げたところだろう。
だけど俺達は吊り上げるにも吊り上げられるにしても、疲れ過ぎていた。
俺も戒而もそれぞれに想い出す事が多過ぎた。
フル回転した感情は肉体的疲労をすら引き起こすらしい。俺は初めて知った。

俺としばらく睨み合った後、戒而は「信じられない」というように何度も頭を振った。

「・・僕、帰ります。」
「終電に間に合わないぜ。」
「タクシー拾いますから。」

俺のナイーヴな友人は、想い出をあっさり焼却した俺に失望したらしい。
決してそれは「あっさり」とした事態ではなかったのだけれど、
過去もそして現在も、俺は俺自身の感情を説明する語彙を持った試しがなかった。

戒而は病人まがいにヨロヨロと立ち上がり、
重そうな通勤カバンを手に取ると俺の傍らを擦り抜けた。
俺達3人が幸福に暮らしているという幻想を打ち砕かれたヤツは、その後
かつての友が今も旧い恋の象徴を大切にしまい込んでいるという妄想をも否定されたわけだ。
そして俺はまた、昨日戻ったばかりの親友を失うんだろうか。
俺の背後では、留め金の錆びたウェスタン風の押戸が鈍いノイズを上げていた。

「また逃げんのかよ。」

行かないでくれと懇願できるほど、俺は素直でも正直でもなかった。

背後で戒而が立ち止まったのを俺は気配で知った。
だけど意地っ張りな俺は振り向かなかった。

「もう、逃げません。頭を冷やすだけです。
逃げても何も上手くいかなかったと、今日知りましたから。」
「・・そお。」
「梧譲。」
「ナニ。」
「貴方も辛かったんですね。あの絵を燃やす程。」

俺は答えなかった。

「また来ます。」


俺の背後で固い靴音が階段を上り、遠くなっては消えた。
俺だけが取り残された店内では、かけっぱなしのBGMがまたあの曲に辿り着いていた。
〜Everything gonna be alright.
〜Everything gonna be alright.

そう、いつかはきっとうまくいくのかもしれない。
だけど、いつかっていつ。
例えば50年後なんつーのは、うまくいったうちに入らねーだろ?。

〜Everything gonna be alright.

戒而は悟一に会うんだろうか。



俺はいつの日か、宗蔵に会えるだろうか。



- 続 -
     .


会えますから!。もうちょっとです。

□□ここまでのお付き合いありがとうございました□□
Return to Local Top
Return to Top