14



「待て。」
「え。」
「お前は何をやっている。」
「え。宅急便の助手と、警備員と、あと来週から居酒屋の皿洗いも入るかも。」
「バイトの種類じゃない。それで何をするつもりだと聞いている。」
「えっと。」

尋問口調の俺の前で、悟一は棒立ちして頭を掻いた。

こうして見ると大きくなったもんだと、俺はふと年寄りくさい感慨に浸ってみたりする。
悟一と俺が出会ったのは、そういえば現在懸案の種でもあるあの豪邸だった。
滑ったり転んだりした挙句に俺の胸に飛び込んで、俺のシャツに泥の染みをつけた小猿。
当時は俺の胸までしかなかった背丈も、今となっては俺と幾らも変わらない。

そして成長の結果として、世間一般の男並みに彼女すらも獲得した。
俺に言わせれば、俺すら未完の偉業を為し遂げたわけだ。
素材自体が思いの他マシだったせいだろうか、
放任主義というよりは単に何もしないの俺の元で、
悟一は有り得ない程マシに成長した。
一応は保護者的立場の俺としては、
せっかくだから今後もマシであってほしいと願わざるを得ない。

「金に困ってんのか。」
「まさか。そんなことないよ。」
「なら何故バイトに明け暮れる。学生の本分ってのはバイトか?。」
「・・違うとおもうけど。」

悟一がふと押し黙り、やけに広いフローリングの間は静寂に満ちた。
俺が手にしたままの煙草が、俺と悟一の間に白い靄の境界を作っては消えていく。

「オレ、ちゃんとしようと思って。」
「『ちゃんと』って何だ。」
「学生じゃなくなったら、もうオトナだろ。
そしたらもうオレ宗蔵にメイワクかけないように、ってゆーか、
逆に、オレがどうにかできるくらいに、ってゆーか。」
「意味が分からん。」
「オレ、老後の面倒とか、みるよ。」

「なんだと!!。貴様!!。」

「あ。老後じゃなくても。もっと前でも。」
「俺が貴様の世話になどなるか!馬鹿者!。」
「だって!」
「だって何だ!!。」
「この家買って、もう、すげー金持ちってわけじゃないんだろ。」
「だったら何だ!。お前に心配してもらう程俺が困ってるように見えるか!。」
「だって!!。引越してから宗蔵、
すげーつまんなそーに描いてんじゃん!。仕事だからだろ!!。」

「・・俺がつまらなそうだと?!。
そんなわけあるかバカ!!!。」

嘘だった。

心中を見透かされた具合の悪さだけに駆られて、俺は大声を上げていた。
そして怒鳴ることによって、俺は悟一に嘘を嘘だと証明していた。

最上階の高層マンションは売却しても所詮中古であり、
ギャラリーという店舗付きの一戸建てを購入できるほどの値は付かなかった。
引越の収支はマイナスであり、親の遺産を大きく食い潰したのは事実だ。
しかし、俺は預金が減ったからつまらない仕事を請けているのではない。
つまらない仕事を請けざるを得ないような状況を作る為に預金を減らしたという方が正解だ。
俺は俺にできる唯一の方法で、俺以外の世界と接点を持とうと試みた。

だが、『パリ絵』に辟易し切った時点で、俺の試みは行き詰っていた。

「・・つまんなそーだよ。」
「つまらなくなどないと俺が言ってんだろうが!!!。」
「だって。」

悟一は最後まで言わずに、視線で俺の作業部屋を指した。
開け放たれた作業部屋扉の向こうには、一枚の描きかけの絵。
小洒落た異国の街頭、通りに面したカフェテラス。
オープンカフェの客席にはオランウータンが並んで座っている。

「サルじゃん。アレ。」
「黙れ!!。貴様もサルだ!!。」
「・・。」
「アレは!。」

アレはオランウータンだがお前はチンパンジーだと叫びかけて止めた。
悟一は以前ほどサルでもないし、サルのままだとしてもどうだという事もない。

俺は口もつけないまま短くなった煙草を灰皿にこすり付け、乱暴にもみ消した。
ささやかなヤツ当たりだ。
誰よりも俺がサルだと、そんな気がした。

「・・俺はいい。」

俺の有りようが悟一に影響を与えるなどと、
俺には想像すらし得なかった。

「俺はいいから、他の人間の方を考えろ。」
「他の?。」
「彼女、来てたぞ。」
「!。」

本来なら喜ぶべきだろうこの場面で、悟一は意外にも瞳に影を落とした。
意図せぬままに俺と悟一の形勢は逆転だ。
それで俺が嬉しいという事もないが。

「あの・・さ。」
「?。」
「オレ、別れる。」
「あ?。」
「彼女と、別れる。」
「!。」

俺は微妙に10度ほど後ろに反り返り、そのまま硬直した。
悟一の言葉は俺の想像外だった。

「もう、決めたんだ。」
「・・彼女には言ったのか。」
「まだ。でも、早めに言うよ。でないと、彼女に悪い。」

そう言えば、俺はすれ違い続ける二人を見続けていた。
普通に想像力を働かせるなら、予測できた結末だったのかもしれない。
だが俺は気楽な舅気分で、若い二人の行く末を見守るつもりになっていた。

更にそう言えば、かつて彼女自身が俺に話していた。
「フられるかも」と。
あの言葉は冗談でも無かったのだ。
彼女自身すら、予期していた。

ついさっき、俺の目の前で肩を落として会社での失敗談を語った女。
狭量な上司にいくら詰られようとも、彼女を慰める者はいない。
恋愛にはとことん疎い俺だが、それでも彼女に同情の念は湧いた。
だが二人の関係に於いて俺は部外者だ。

さっきまで俺の目の前で座り込んでいた、
未だ幼げな面影を残したおかっぱ頭のスーツ姿を
俺は自分の記憶から振り払った。
同情で何かを考えたところで、彼女への慰めにはならないに違いない。

彼女の面影を振り切って意識をこの場に戻してみれば、
悟一はまだ俺の前に突っ立っていた。
しかも両目を固く閉じ、身体の両脇に垂らした腕の拳をきつく握っている。

どうやら俺にはある種の仕事が課せられたらしい。
面倒な事だが、悟一の気が済むのならそれも悪くないだろう。
俺は重い腰を上げ、悟一の正面に立った。
瞳を閉じたままの悟一だが、気配で俺の移動に気付いたらしく、
眉間に皺が寄るくらいに、悟一は閉じた目をより一層固く閉じた。

俺は右の拳を握り締め、軽く肩を回し、
空いたもう一方の手で、回した肩の付け根を揉んでみたりする。
面倒だという気分は拭えないが、まあ、仕方無い。

「準備はいいか。」
「・・ん。」
「歯を食いしばれ。」
「ん。」

短いやり取りの直後、俺の右ストレートが、悟一の頬に炸裂した。

人を殴り馴れているわけでもない俺だが、
目の前で微動だにしない格好の的を外すわけもない。
容赦なく繰り出した俺の一撃は悟一の頬に正面からクリアヒットし、
悟一は後ろにひっくり返り、転がりながら背後の壁にブチ当たった。

悟一が後頭部を叩き付けた壁には、額入りの絵が掲げられていた。
悟一が当たった衝撃で留め金を緩めた額縁は、重力に引かれてそのまま落下した。
額縁の真下には、悟一が転がったままだ。

「イテッ!!!。」

悟一は俺に殴られ、反動で壁に当たり、おまけに額縁にまで攻撃された。
見事なまでのヤラれブりと言える。

ヨロヨロと身を起こしながら、悟一はたった今額縁に直撃された後頭部をさすった。

「・・頭ガンガンする。」
「だろうな。」
「マジ、痛ぇ。」
「どうだ。スッキリしたか。」
「え?。」

後頭部を押さえたままで、悟一が俺に振り仰いだ。
間抜けたその表情は、問いかけの意味が分からなかったと、そう俺に告げていた。

「馬鹿者。」
「・・。」

「もう寝ろ。明日も早いんだろ。」
「ん。」

俺達は日常のそっけない二人に戻っていた。
日常ではない出来事の後だからこそ、お互いが、
敢えてそっけなくする事で日常の平穏を取り戻したかったのかもしれない。

俺はギャラリー隅の応接セットに戻り、煙草をくわえた。
俺の視界の隅には、2階への階段を登り始めた悟一の背があった。
煙草に火をつけるべく、ライターを握った俺の手が痛んだ。
殴った方にこれだけ余韻が残るなら、殴られた方は半端じゃない事だろう。

「コラ。待て。」
「え?。」

「貴様、何で殴られたか分かってんのか。」
「・・分かってるよ。」
「言ってみろ。」
「オレが、悪いから。」
「・・。」
「別れるとかって、オレが、悪いから。」

「違う。」
「え。」
「全然違う。」
「じゃ、なんで。」
「貴様が殴られたそうな顔をしていたからだ。」
「・・。」

「殴られてお前の気が晴れるなら、俺は殴ってやろうと考えた、それだけだ。
だがそれで貴様がスッキリもしないなら、俺は単に殴り損だ。」
「・・殴り損。」
「まだ手が痛む。どうしてくれる。」
「ええと。」

ゴメンと悟一が謝るのは見えていた。そんな事を言わせたいわけじゃない。
過ごした時間が長いだけ逆に、俺は言うべき事を言い逃す。
しかし今回に限ってはどうしても言わなければならない。
でないと本当に殴り損になる。

「言っとくが。お前が悪いわけじゃない。多分。」
「へ?。」
「お前等にとって俺は部外者だ。だから正確な事は知らんが、多分。」
「でも」
「彼女も、悪くない。これも想像だが。」
悟一は小さく頷いた。

「難しいもんだな、悟一。誰が悪いって事もナイ。
どっちも相手を傷つけたいと思ったわけでも無い。
愛していないまでも、好きか嫌いか、敢えて言うならやや好きな方だ。違うか。」

悟一は答えなかった。
しかし突然潤んだ大きな瞳は、言葉よりも如実にヤツの心境を物語っていた。

「求められただけ、与える準備ができているとも限らない。
それは別に、お前のせいじゃない。」

その言葉はまるで、過去の俺自身への言い訳のようにも聞こえた。

「正直、俺はそういった感情的なやり取りが苦手だ。
昔から苦手で、今現在も苦手なままだ。
その面倒な問題に正面からぶつかる貴様は、たいしたもんだ。」

こんな台詞で俺の思惑が悟一に伝わるのかは不明だ。
しかし俺は他に判り良い言葉も探せそうに無い。

「誉めてやる。以上。」
「・・。」
「終わり。あとは、寝ろ。」
「・・ん。」

俺は煙草をくわえ直し、悟一は踏み出して歩を止めたままの階段を上り始めた。

俺が味のしない煙を吸い込んで吐き出した頃、
2階の居間に辿り着いたらしい悟一が、
姿を見せないままに俺に叫んでいた。

「宗蔵!、サンキュ!。」

俺の足りない言葉でも、何か伝わるものはあったのだろうか。
顔は見せないまでも、悟一の声音にはヤツ普段の輝きが戻っていた。
まあ、結果オーライだ。

これから別れ話を切り出すとして、面倒な事態が起るにしても、
多分どうにかなるだろう。
悟一なら、大丈夫だ。


そして俺はどうなのか。


- 続 -
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