12




「まいど〜。」

いつもの蕎麦屋の挨拶で、俺は『電算部』のドアを押し開けた。
お上品な取引先向けにもっとマシな挨拶もあるんだろうけれど、
そんな事はもうどうでもよくなる程に俺は機嫌が悪かった。

何故かっつーと。
一階のエントランスを入るなり、俺は巨体の警備員にふたりに左右を挟まれて、
受付まで連行され、俺の氏名と所属と用件と、面会先の部署と担当者の肩書き氏名を書かされた。
そんなの覚えてるかっつーの。
伝票の受け取り先を丸写しするつもりで再確認してみれば、俺の行き先は
『純友銀行本社内総務部付属派出電算部気付課長代理補佐井野』
だった。
ナニ人だよお前ら。
人をバカにするにも程がある。

俺はお経みたいな漢字の羅列から適当に文字を選び出して、
『本社電算部代理様』
と記入した。
そしたら「そんな人間はいない」と言いやがる。
いるかいないかなんて俺が知るかよ。
結局俺は漢字書き取りもしくは写経まがいに、
長ったらしい漢字の羅列を模写する羽目になった。
途中で間違えて書き直しもした。
ようやく書き終えた頃には、俺は本日分の気力を使い果たしていた。

「5階奥のフロアです。」
それを早く言え。
俺が知りたかったのはそれだけだ。
「これを。」
「ハイ?。」
「首にかけて。」
受付の警備員はあくまでも命令口調だ。
反抗する気力も失せて、俺は手渡された紐みたいのを首にかけた。
すると俺の胸のあたりには名刺大の名札がダランとぶらさがった。
『VISITOR』。
外からの客だという意味だろう。
そんなものつけなくたって、俺の背中には尋常じゃないサイズで『バイク○』と記されている。
おまけに社長にかぶれと指示されたキャップの額にも同じくロゴが入っている。

俺は背中と額と胸の前にバカの印をつけられた気分で
意気消沈したままエレベーターで5階を目指した。
そして今に至る。


「まいど!!。」

鋼鉄製のドア前で叫んでも、人が出る気配はない。
誰もいないわけではないのは分かっている。
部屋の中から響く男ふたりの怒鳴り声は廊下にまで響き渡っている。
ドア前の俺には、野朗ふたりの叫び声の合間の若い女の涙声までもが聞き取れる。

「入んぞもう!。」

入れとも言われないままに、俺はドアを押し開けた。
室内にはスーツ姿の男女が計10名程度。
誰しもが立ち上がった状態で発熱した議論の最中だ。
それより来客だっつーの。

「『バイク○』スけど荷物引取りに」
「ま〜あお待ちしてましたのよ!!。」

俺が決まり文句の全部を言い切る前に、集団の中から女がひとり飛んで来た。
正確には形相を変えて俺に走り寄って来た。
謎の勢いに押されて俺はつい一歩退いた。
一歩退いた先は既に廊下の範疇だった。
それが目的だったというように、女は俺ににじり寄り、
俺の胸に顔を付けるように進み出ながら、後ろ手にドアを閉めた。
つまり、俺は部屋から閉め出されていた。

「寒いのにご苦労様ですわ。コーヒーお持ちしますね。隣の部屋でお待ちになって。」
「イヤそういうのはいいから。」
「ご遠慮なさらずに。」
「遠慮とかじゃなくて。時間ないし。」
「さ、こちらでお待ちになって!!。」
「・・。」

言葉使いは一応丁寧だが、それは明らかな命令だった。
どいつもこいつもが俺に命令しやがって。クソ。

◇◇◇

「今すぐ荷物をお持ちしますね。」
「頼むよ。もう時間過ぎてるし。」

俺が女に案内された、というより押し込まれた隣の小部屋は、
『資料室』というプレートが掲げられていた。
しかし雑然とファイルが積まれただけの埃っぽいこの場所は、
実際のところただの物置に違いない。

「コーヒーにミルクとお砂糖は?。」
「それどころじゃねーんだよお姉さん俺」
「ミルクとお砂糖は?!。」
「・・両方。」

事務所なんかによくある薄い紙コップに注がれた濃い色の液体は、
上の方に油みたいのが浮かんでいた。
朝に淹れたのをそのまま暖めておいたせいで
今や完全に煮詰まっているのが見ただけでも分かる。
とてもストレートで飲める味じゃないだろう。
だけど誠心誠意、俺はそれどころじゃなかった。

本来なら「やってられっかバカ」と叫んで席を立つところだ。
なのに俺がかろうじてこらえていられるその理由は、
今俺の目の前で紙コップを掻き回したりしているこの女が、
なかなかどうしてイケていたせいだ。

グレーのスーツは一見真面目ぶってるが、タイトスカートの丈は膝上だ。
キツ目に身体を締め付ける上着はマーメイドラインを強調していたし、
派手にレイヤーの入った背中までの髪は、やたらと女を感じさせた。
会社向けのスーツでも、一枚ショールなんかを羽織れば
そのまま夜の銀座に御出勤できそうだ。

俺は女の胸元で揺れる名刺大の名札をさり気なく確認した。
この会社で犬みたく名前をぶら下げるのは訪問者だけじゃないらしい。
『園部静香』。
名前も女優みたいじゃん?。
とかって鼻の下伸ばすのもいい加減タイムリミットなんだけど。

「あのさ、お姉さん。今日俺、『特急便』で来てるわけ。」
「存じ上げております。」
「『普通便』じゃないの。ここの荷物引取り後の何分後に配達先に届くかで俺の評価が決まるわけ。」
「存じ上げておりますって言ってるでしょう!。」
「引き取り時間は実時間じゃなくて、予定として前決めされた時間なの。
だからオタクらは、決められた時間から10分前までの間に、俺に荷物を渡す義務があるわけ。」
「存じ上げております!!。」
「もう逆に10分過ぎてんだろ!。」
「あと少しですから!!。」
「今頃何やってんだよ!!。」
「もう少々お待ち下さい!!。」

俺と女は旧い敵同士みたいに睨み合った。

本当はこんな風に怒鳴りつけなくとも、俺には逃げ道がある。
予定時間に荷物の受け渡しがなされない場合には、
受け渡し側の非となり、配送側は配送をキャンセルできる。
依頼元である引き取り先に「荷物が定時に引き渡されなかった」と連絡を入れれば済む。
大急ぎで配達しなくても前金は戻さなくていいし、俺的にはむしろその方が楽だ。

(もう帰っちゃおうかな。)

ホステスまがいの美女と睨み合いながら、俺は帰り時を見計らっていた。

薄い壁一枚挟んだ隣の『電算部』からは、
男女入り混じって怒鳴りあう声が遠い木霊みたいに漏れ聞こえてくる。
「なんであんなに」とか「すいません私が」とか「だから彼女ひとりに」とか
「一体キミは」とか「カチョーダイリホサ」とか「何度言ったらキミは」とか。

なんかトラブッてんのかもしれないけど。
俺は俺でバイク便の面子をたてといてやらないとなんない。
でないと脱サラ社長が妻子を抱えて路頭に迷う。
まあそれならそれでも構わないんだけど。

「お姉さん、俺、帰るわ。」
「待って!。」
「悪いね。」
「待ちなさい!!。」
「また機会があったらヨロシク。」
「荷物はココにあるのよ!。」

なんだって?。

小部屋から廊下に歩み出たところで、俺は足を止めて振り向いた。
女はファイルの山を掘り起こし、茶封筒を引き出した。

「これ。貼った伝票も漏れなく記入済みよ。」
「なんで隠してんだよ!!。」
「始めはこれを渡すつもりだったの。今日の昼過ぎにはもう準備が出来てたのよ。
でもそのあと、念には念を入れてってことで再確認したら、ファイルの差し替えミスが見つかって。」
「・・。」
「引渡し時間までに差し替え済みのディスクを渡そうと、今みんながんばってる最中なの。
もう少し早く上がれば良かったんだけど。それでもし引渡し時間までに間に合わなかったら、
こっちの元の方を渡しちゃおうって、みんなでそう決めてたの。」
「・・俺良く分かんないんだけどさ、それなら取り敢えず今日はキャンセルすれば?。」
「何も渡さないわけにはいかないの。私たちのクビがかかってるんだから。」

俺には何が何だか全く分からない。
唯一分かったのは、この部署は危機一髪らしいって事だけだ。

「んじゃそれでいーよ。それ配達するから。」
「ちょっと待って。伝票には引渡し元の課長代理補佐の認印が必要でしょ。
今私がもらってくるわ。」
「誰。スペイン人?。」
「ホセじゃなくて補佐!。」

意味も薄い捨て台詞で『電算部』に駆け込んだ女の後姿に向けて、俺は一言叫んだ。

「時間稼ぎすんなよ!。」

◇◇◇

俺が念を押したにもかかわらず、女が再度姿を見せたのはそれから3分後だ。
ハンコを押すだけなら1分もかからないわけで、ささやかな時間稼ぎは明白だ。

「あの・・あと30秒待ってもらえれれば差し替え版ができるかもしれないんだけど。」
「無理無理。あきらめて。」
本当に30秒なら待ってやってもいい。
だけど30秒と言いつつ30分も待たされるのが目に見えていた。

俺は封筒に貼られた紙束の上から一枚を引き裂いて女に渡した。
その紙が引取り伝票になる。
「ハイ、確かに。」

女が伝票を受け取るのと同時に、俺は身を翻して駆け出した。
結局荷物引取り自体が20分も遅れたわけで、
この後よっぽどカッ飛ばさないと遅れは取り戻せない。

直線の廊下の突き当たりにあるエレベーターに向けて
俺が猛ダッシュをカマしているまさにその時、
背後から一際大きな男の声が響いた。

「待ちなさいキミ!。配送物はこっちだ!。」

もしかして本当に『差し替え版』とやらができたのかもしれない。
だけど、いい加減俺の我慢も限界だった。
一流企業だか何だか知らねーが、お前らの都合だけで世の中が動くと思ったら大間違いだ。
しかもどいつもコイツも命令口調で俺に指示しやがって。

「待ちなさい!。そこの・・背中のバイクマル!。」
「『バイク王』って読むんだよクソったれ!。」

捨て台詞を残して俺はその場を立ち去るつもりだった。
しかしエレベーターは地階で止まったきりで、一向に上がってくる気配がない。
俺が廊下の突き当たりで気を揉んでいるうちにも、背後の足音は迫ってくる。
俺を『バイクマル』と呼んだ馬鹿野朗が俺を追って来たらしい。

(新しい荷物は絶対受け取らねえ。)

俺は90度身体を回して、階段を駆け下りた。
ココは地上5階。足で降り切れない高度じゃない。

(ざまーみろ。)

しかし瞬間優越感を抱いた俺を嘲笑うかのように、
足音は俺の後ろの階段まで迫ってきた。
しかも、その距離は狭まりつつある。

(野朗!!。)

「待ちなさいと言っているだろう!。」

3階の踊り場まで降りたところで、背後の声は俺のすぐ背中まで迫っていた。
そして、後ろから不意に俺の肩甲骨付近へと固い拳が入った。

殴ったつもりじゃなかったのかもしれない。
俺を立ち止まらせるために伸ばした手が、
うっかり俺を叩くような角度で入っただけだったかもしれない。
だけど、本当のところがどうかなんて、もう俺にはどうでも良かった。

俺は腹を立てていた。
エラそうなエリートに。
ダメな自分に。
逃げ続けるだけの日々の繰り返しに。

喧嘩でもしなきゃ納まりのつかない今の気分を、
『殴られたら殴り返す』という俺のポリシーが後押しした。

「うらああ!!。」

自分でも良く分からない奇声と共に、俺は振り向きざまハイキックを蹴り出した。
背後の男の脳天を真横から叩くのに絶妙な高さと角度。
俺は自分の見事な足技に満足した。
しかし満足したのも束の間だった。
何故かと言うと、俺の華麗なハイキックは何をも叩かなかった。
背後の男は消えていた。

(・・嘘。)

わけが分からないままに、振り上げた足の慣性でその場で1回転した俺の前に、
突如として上下黒のスーツ姿が現れた。

「うわ!。」

敵は一旦身を低くして再度姿勢を戻しただけの事だと
気付くまでに俺はワンテンポ要してしまった。
この時間差は決定的だ。
俺の秒殺蹴りに対して咄嗟に身を低くする程度に機転の効く相手なら、
既に次の一手を繰り出しているはずだった。

そして俺の読み通り、先手は打たれていた。

男はいつの間に、俺が手にしていたはずの茶封筒を横取りしていた。

(・・。)

「済まないねキミ、こっちを頼む。
ところで伝票が足りないんだけど。持ってるでしょう?。」

ヤるかヤられるかだけを考えていた今の俺にとって、
「伝票」というのはどこか遠い世界の単語だった。
咄嗟に反応できないままの俺を気に留める事もなく、
スーツの男は俺の胸や脇腹を平手でバシバシと叩き、
その感触から革ジャン内ポケットの伝票を勝手に引き出した。

「手間取らせて申し訳ないが、今ここで新しい伝票を書くから。
キミちょっと両手を上に向けてくれませんか。そう。」

スーツの男は胸の前で俺の手を取ると上に向け、
俺の手の平の上に自分が持参した茶封筒を置いた。
そしてその上に今俺から勝手に奪った伝票を貼り付けたあと、
男はあの長ったらしい呪文を、端正な文字で綴り出した。
『純友銀行本社内総務部付属派出電算部気付課長代理補佐井野』

俺の手の平を台にして書き物にいそしむ男の後頭部を目の当たりにして、
俺の胸は何とも言い難い妙な動悸に襲われていた。

黒髪の短髪、寝癖で少々ハネた後ろ髪。

言葉遣いの印象を裏切る立ち回りのしなやかさ。
俺サマをアゴでコキ使うクソ度胸。

俺はコイツを知っている。

「面倒をかけました。こっちが本当の配達物。
それじゃ、よろしく頼みます。」

呪文を一通り書き終えた男は、最後の締めにと
胸ポケットから取り出したシャチハタで伝票に捺印した。
『井野』。


「・・戒而?。」

「・・貴方!。」


上の階からはパタパタと廊下を駆け下りる足音が響いていた。

「どうしたんですか、課長代理補佐。」
「井野サン、まだ何か問題が?。」

電算部から降りてきたらしい女共が何やら騒ぎ立てていた。
だけどもうそんな声は全然耳に入らなくて、
俺とヤツはバカみたいにお互いを見つめていた。

それは、確かに戒而だった。


今まさに幽霊を見ている最中みたいに棒立ちのヤツがおかしくて、
俺はつい声を上げて笑った。
それでも戒而は棒立ちのままだ。
俺は腹を押さえる程に大笑いしながら、
『課長代理補佐』の肩をビシバシとはたいた。

銅像みたいに固まったまま動かない戒而の前で、
俺は遂には腹を抱えてうずくまった。

懐かしくて、可笑しくて、
俺の目の端には涙すら滲んでいた。



- 続 -


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