11



俺は約束の時間通り指定された店に辿り着いたが、
ファミレスの店内に吾一の姿は無かった。
待ち合わせだとウェイトレスのお姉さんに告げて、
俺は先に注文を済ませた。
どうせ吾一は異様な速飯だ。待ってやるまでもない。

そして吾一より先に、注文したメシの方が来た。
4人掛けの広いテーブルに一人で座ってメシを食うというのも、なんともな気分だ。
俺の右隣のテーブルにはハタチ前後の女連れが三人、左隣にはオバサン4人組の集団。
どっちかっていうと俺は、定食屋でオヤジと並んでドンブリを掛け込む方に慣れている。
(吾一の野朗。)
そう言えばヤツは、昔俺がバイトしてたスカした喫茶室で
ハニーと待ち合わせてた頃から、遅刻常習犯だった。

俺は目の前に並べられた平皿の前で、慣れないナイフとフォークを手に取った。
そしてようやく吾一が登場した頃には、
俺は豆のサラダにフレンチソースがかかったよーな
「トスカーナ風ランチ」を、8割がた平らげていた。

「悪ィ、遅れた!。」
「遅せーんだよ野朗!。」
「悪ィ。ちょっと道迷った。」

自分が指定した店に迷うとはどういう事か。
それに運送屋助手のくせに道も覚えてないんだろーか。
突っ込みどころが多過ぎてしばし言葉に詰まった俺の間に、
ウェイトレスのお姉さんがメニューを差し出して滑り込んだ。

「ご注文は?。」

「カレーと焼きソバ。」
「バカ。そんなのあるかよ。」
「ないの?。」
「あるにしてももっとスカした名前なの。『ナントカ風』とか。」
「じゃその『ナントカ風』。」
「メニュー見ろ!。」

くだらない漫才めかした俺達のやり取りを聞きつけた両脇のテーブルからは、
ひそめた笑い声がクスクスと上がった。
さり気ない素振りで俺が両脇を確認すれば、右テーブルの若い女の3人連れに加えて
左テーブルのオバサン4人組みまでもが、横目で吾一をうかがっている。
このイケメンの俺サマじゃなくて、吾一の方を。
(・・。)

数年前までは可愛い小猿だった吾一だが、今や外見はジャニーズ系だ。
バランスのとれた華奢な身体に大きな瞳。
ちょっと伸びすぎた栗色の短髪が、同じ栗色の瞳にかかる程度に降りて揺れる。
遠目に見ただけじゃ、鋼のよーな恐るべき筋肉質は分からないし、
軽そうな頭が実は空っぽだとも知りようが無い。

女の視線を一身に集めた当の吾一はと言えば、開いたメニューに首を突っ込んでいる。
ドン臭いサルの生き様が、今如実に表れているとも言える。
女の注目の的となったところで、ヤツは生涯それを意識することも無いんだろう。
このへんの感覚というか無感覚は、持って産まれたものなんだろーか。
それとも育ての親に感化されたんだろーか。

「じゃ、『本格派坦坦麺』と『具だくさんカレー』。」
「ええとお客様・・」
両方主食だけど本当にいいのかと聞きかねているお姉さんに、俺はフォローを入れた。
「いいのいいの。コイツ二人前普通だから。」
「かしこまりました。」
「ヨロシク!。」

・・ところでコイツ本当に悩んでるんだろーか。

◇◇◇

「で。なんなのよ。」

ようやく本来の用件を切り出したのは俺の方。
しかも吾一が『本格派坦坦麺』と『具だくさんカレー』を片付けた後だ。
食ってる間中ヤツは「オレ大学卒業できないかも」とか、
ヤツを知っている人間なら誰しもが暗黙のうちに了承している内容を、
まるで最近判明した事実のように語った。
それはこの際どうでもいいんだけど、
俺は本題に切り込むタイミングを逃したままで、
「へー」とか気の無い返事を繰り返した。

恋愛のハナシとか、そういう事に関しては、
女同士よりも野朗の方がナイーブだ。
俺はそう思う。
しかしいつまでも世間話を続けている場合でもなかった。
俺は時間指定の配達があるわけだし、吾一だってバイトの途中だ。

「やっぱ、別れんの?。」
「ん。」

俺と吾一が片付けた皿の山は今や撤収されて、
テーブルに残っているのは食後のコーヒーのみ。
吾一はカップに山盛り5杯の砂糖を入れ、
スプーンでガシガシ掻き回しながら、
聞こえないくらいの声で答えた。

「その方が、いいと思うんだ。」
「誰もお前に言ってやるヤツがいないと思うから、俺が言っとくけど。」
「分かってる。」
「あの娘ほどマシな娘にはオマエ死ぬまで出会えねーぞ。」
「だから分かってるって。」
「死んでもだ。」
「・・うん。」

嫌味クサい俺の台詞にも、吾一は素直に頷いた。
調子に乗ってるわけじゃなくて、真剣に考えた結果なんだろう。
だとしたら、サルは俺が思っていた以上にバカだということだ。

吾一の彼女とやらを、俺は直接には知らない。
だけど全然知らないわけでもなくて、それは何故かというと、
彼女と付き合うことになったその日に、吾一が俺に電話してきたからだ。

あれは2年くらい前。
当時は吾一もまだ真面目にサッカーをやっていた。
サッカー馬鹿という程にはサッカーが好きなわけではない吾一だが、
ソレのお陰でスポーツ入学した手前、やらざるを得ないというわけだ。
周囲の期待なんかも裏切れなかったのかもしれない。

それはどうでもいいとして、2年くらい前に期末の大きな試合があった。
4年生はその試合が最後で、それで打ち上げみたいな事をやったらしい。
宴会も終わり間近になった頃、同席していたマネージャーが、
後輩も含めた全部員の目の前で、吾一に告白したっつーんだから驚きだ。
「私と付き合ってください!」と叫ばれて、反射的に「ハイ」と答えたらしい。
見事なまでのサルぶりだ。

まあもしかしたら、気のいい吾一の事だから、
咄嗟に彼女に恥をかかせないような返事をしちまったのかもしれない。
その辺の本心はサルのみぞ知るわけだけど。

で、頭が冷えてから猛烈にアセった吾一は、俺を呼び出した。
「付き合うって言っちゃったんだけどどうしようオレ!!。」
「そりゃもう付き合うしかないっしょ。」
「ウソ!。」
「ウソとかじゃなくて。それとも目も腐るほどの見苦しい女なワケ?。」
「可愛いよ!。それに頭もイイし優しいし!。」
「なんだよそれじゃもうキマリじゃんバカ。ノロケる為に俺を呼んだのかサル。」
「違うくて!!。」

そんなこんなで結局、吾一は「お付き合い」を始めた。
その後俺は純粋な興味本位で、彼女の写真を持って来いと吾一に命令した。
吾一はかなり渋ったが、くだらない相談に俺を呼び出した経緯がある手前断りきれず、
数枚の写真とプリクラを俺の元に持参した。

吾一に惚れたというその女は、なんとなく吾一に似ていた。

顔が似ているというわけでもないんだけど、全体的な雰囲気が、何となく。
垢抜けない感じとか嘘が下手そうな印象とか、明るいのが取り柄そうな笑顔とか。

正直、俺好みのイケてる女とは違うタイプだった。
だけど、世の男どもが真剣に惚れる女ってのは一般的に、
イケイケ系よりもむしろ、こういうオクテっぽいタイプだと俺は知っている。
町内のお嫁さんにしたい候補ならナンバーワン間違いない。
つまり、吾一には勿体無い程のアタリくじだったわけだ。

一番新しいという4ツ切りの写真では、彼女はリクルート用のスーツに身を包んでいた。
吾一と違ってデキのイイ彼女は4年で大学を卒業し、就職も都市銀行に決まったという話だ。
少し大きすぎる新調の服は彼女の身体のラインを隠して、幾分ダサ気に見えない事もない。
だけど別の見方をすれば、彼女の純真さと育ちの良さを明確に示すワンショットでもあった。

「な〜んだ大当たりじゃんか。」

俺の冷やかしに、吾一は吾一らしくもなく、困ったような笑顔で応えた。
それは恋愛とかに不慣れなサルの照れ隠しなんだろうと、その頃俺は勝手に思っていた。



「何でだよ。もしかして他のバカな女に『私の方が素敵だと思わない』とか囁かれたってか?。」
「そんなんじゃないよ!。」
「なら理由を言ってみろ。」
「ワケなんて特にないよ。好きか嫌いかどっちかって言えば、好きだし。」
「野朗!。」
キレた。
どうにもすっきりしねえ。
「オマエ女をナメてんのか?!。ってことは俺もナメてる事になるんだぞサル小僧!。」
「意味分かんないよ!。」
「俺はレディを尊重する主義なの!!。」
滅茶苦茶だ。叫んでる俺自身意味が分からない。

「静かにしようよ。他の人、見てるよ。」
「あん?。」

吾一に言われて俺が両隣を確認すれば、
若い女連れとオバサン集団の両方が、俺を非難の眼差しで見据えていた。
ルックスだけはアイドルまがいのおサルちゃんを怒鳴りつけた俺は悪役というわけらしい。
俺は女共の肩を持ってやったところとだとゆーのに。

「見世物じゃねーんだよ!。」

ドスの効いた声で一言カマしてやると、女共はそそくさと俺から視線を逸らした。
その後もテーブルごとにヒソヒソと囁きあっているのはきっと俺の悪口かなんかに違いない。
クソったれ。
どいつもこいつも。

「例えばさ、明日、彼女とデートの約束するだろ。
そんで、今日がその明日だとするじゃん。
で、もうすぐ約束の時間だ、って時さ」

本題と外れたところへと俺の気が逸れた頃、
ようやく吾一は話すべき何かを語り出した。
話の腰を折らないように、俺はただ黙って煙草に火をつけた。

「もうすぐ約束の時間だ、って時、オレ、面倒だなって思うんだ。」
「・・。」
「すぐに、そんな事ない、って思い直すようにするんだけど、でも、
一瞬そう思った、ってのは、変えられないだろ。」
「・・そうだな。」
「そんなんじゃ、彼女に悪い。」
「ああ。」
「戒ちゃんの時は、絶対そんな事なかった。」

「そっちはいいんだよ!。一緒に言うなバカ!。」
「でも!。」
「もういい。分かった。」

吾一は彼女に惚れちゃいない。
それさえ分かれば充分だった。

「それで、だ。別れるって決めたのに俺を呼び出した理由は。」
「・・なんか、あんましヒドくない言い方とか、ないかなって。」
「ねーよ。」

「・・だよね。」
「当然だろ。足りない気を使ってさっきみたいに
『好きか嫌いかどっちかって言えば好き』とか絶対言うな。
余計酷い事になんぞ。」
「・・ん。」
「しっかり覚えとけ。酷くない言い方なんか無いの。
振る事自体が酷いんだから。」
「・・うん。」

食後のコーヒーは手をつけられないままに、
吾一の持つスプーンで掻き回し続けられていた。
砂糖入れ過ぎのソレは、いい加減もう冷たくなっているだろう。

俺は短くなったハイライトを灰皿に擦り付けた。
その時ふと吾一はスプーンを握る手を止めて、俺を真っ直ぐに見た。

「だよな。そうかも、って、オレも思ってた。」
「・・そっか。」
「聞いて、安心した。やっぱ、そうだ。」

言い切って、吾一は半泣きみたいなヘンな顔で一応笑った。
そういう複雑な顔は、俺の良く知る猿小僧には似合わない。
だけど、下手な慰めの言葉も今は嘘クサいだけだ。
俺は腕時計を見る振りで去り際を告げた。

「そろそろ出んぞ。」
「ん。」

先に席を立った吾一の肩を押しながら、俺はその場を後にした。
去り際に後頭部に感じた視線に呼ばれて振り向けば、
女共が俺と吾一を見送りつつ囁き合いを続けていた。
俺は空いた手で俺の肩越し、つまり俺と吾一の肩の間から、
姦しいヤツらにビシッと中指を立ててみせた。

「んまあ!。」

背後のヒステリックな嬌声に驚いた吾一が、大きな瞳で俺を見上げた。

「何?。」
「なんでもないって。気にすんな。」


◇◇◇

「そんじゃ。」
「ん。」

話すべき事を話したあとの野朗同士ってのは、どうも間をもたせづらい。
俺達は短い挨拶で、それぞれの向きへ歩き出した。
吾一は最寄り駅方向、俺は店脇の駐車場。
そのまま歩き去ればいいものを、余計なお節介で俺はサルを呼び止めた。

「オイ!。」
「何?。」

言うべきか言わざるべきか。
しかし吾一を呼び止めた時点で、俺は内心言うと決めてしまったのだろう。

「お前さ」
いい加減、戒而の事忘れろ。

「何だっけな。忘れた。」
「へんなの。」
「じゃーな。」
「ん。」

「あ!。」
「何。」
「えっと。」
「何!。」
「宗蔵元気だよ。」
「・・。」
「じゃ!。今日、どうもな!。」

どうやら俺は猿小僧に先手を打たれたらしい。

野生動物の俊足で駆け去る吾一の後姿を見送りながら、
俺は溜息混じりに長髪を掻き上げた。

過去を振り切れていないという意味では、
俺はサルといくらも変わらない。
捨てきれない過去に正面から対峙している分だけ、
サルの方がマシとも言える。


秀蔵は、どうなんだろうな。
(もう忘れたな。多分。)
イヤ絶対。

戒而はどうなんだろう。

アイツは確か、教育学部だった。
だから今頃は多分、教職に就いている。
アイツの事だから普通の学校くらいじゃ物足りなくて、
障害者の学校とか、問題児の学校とか、
より一層面倒な場所で面倒なガキの世話を焼いているよーな気がする。

(イチ抜けたお前が正解だな。きっと。)

8年前の端正な面影に心で語りかけながら、
俺は愛車のイグニッションキーを回した。
記憶の中の戒爾は、俺に儚げな笑顔を向けていた。

まあ、所詮、なるようにしかならない。
そんで俺は目先の仕事に追われ続けるってわけだ。

俺は愛車を駆って灰色の車道へと走り出た。
バイク便の取引先としては超一流らしい配送物受け取り先は、
ここから環状線を円とした直径の端向こうだった。



- 続 -
     .


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