10



〜Good friends we had,
〜Good friends we've lost along the way.
〜No Woman,No cry.

起き抜けの気分は喩えるならダラダラとしたレゲエ。
フォービートの裏拍が眠りの国に舞い戻りそうな俺の意識を呼び起こす。
ダラダラとした裏拍はどっか外から流れてくるんでもなくて、
俺の頭で鳴り響いているだけだけど。

左手に缶コーヒー、右手には吸いかけのハイライト。
そんで俺は店裏の駐車場の車止めに腰を降ろしている。
いつもの俺の一日の始まりだ。

店が終わるのが深夜過ぎだから、
閉店処理を終えて家に戻って寝るのはもうほとんど朝。
そんで昼に起きる。
当然、まだ眠い。
起きて一応シャワーを浴びて、髭を当たったりもするけど、
それは習慣的に身体が動いてるだけ。
家を出てもまだ俺の頭自体は寝たまんま。

半分以上寝た頭で店の裏の駐車場まで辿り着き、
愛車を始動させたら、あとはエンジンが暖まるまでしばし待つ。

その間の暇つぶしの缶コーヒーとハイライトが俺の頭を起こしてくれる。
つまり俺は、毎朝愛車と一緒に目が覚めるわけ。
なんか、悪くないっしょ?。

まあ、連れ合いが鉄の塊りっつーのも、色気無いんだけどさ。

タールとニコチンのどっちも過多な煙を肺の奥まで吸い込んでは吐き出し、
それから砂糖とミルクたっぷりの缶コーヒーを胃の奥に流し込む。
どっちも気付け薬みたいなもんだ。
おかげで俺の足りない思考力も甦る。

起き抜けの俺の目に映るのは、灰色の空と灰色のアスファルト。
店裏の駐車場は環状線の抜け道に面している。
おそらくは業務用に違いない薄汚れた車体の群れが行交う様をぼんやりと眺めながら、
俺はなんとなく釈然としない気分におそわれた。
何か、忘れている事があるような気がする。

明日起きたら修羅場だと、寝る前に思ったような記憶があるようなないような。

(なんだっけな〜。)

寝る前に思ったんじゃなくて、寝た後に思ったんだったろーか。
だとしたらそれは夢なわけで、特に問題でもないんだけど。

(ま、いっか。)

思い出せないくらいなら、大した事じゃないんだろう。
第一、実際に修羅場はなかったわけだし。

俺は気を取り直して車止めから腰を上げ、
ジェットタイプのヘルメットを頭上から叩き込んだ。
メットの上に更にゴーグルをかぶりつつ愛車に跨って、尻で振動を確認する。
始動時にはゴツゴツと不規則だった排気音が、充分に暖まった今、
SR400は俺の下で人の心音みたいな規則正しい振動を繰り返している。
いつも通りに調子は上々だ。

◇◇◇

「お早うございマス。」

昼の12時過ぎなんだから全然「お早う」でもないわけだけど、
出社後の挨拶はどこも「お早う」と相場が決まっている。
店裏の駐車場からバイクで5分の事務所に顔を出した俺は、
いつもの挨拶をただの反射で口にした。
狭い所内に常駐するのは数年前に脱サラを成し遂げた社長独り。

俺は社長の挨拶返しを待つこともなく、
壁際に下げられた営業ジャケットの中から一着引き抜いた。
どれも背中全体に大きく『バイク○』のロゴが記されている。
カッコ悪イことこの上ない。しかし俺達配達員は配達員であると同時に
走る広告塔でもあるわけで、これ自体も仕事なわけだからまあ仕方が無い。

ちなみに俺が選び出したのは、冬用のジャケットじゃなくて夏モノの方だ。
化繊の薄い綿が入っただけの安物ジャケットじゃ、路上で風を受けたら裸同然に寒い。
だから俺は皮のジャケットの上に夏物の袖なしのを無理矢理着込む。
革ジャンの上にマラソン選手のランニングを被ったようなその有様は、
スタイル的な観点から言えば最悪だ。
だけどいくらカッコ良くキめようとしたところで、所詮『バイク○』なわけで、
どうせダサいならせめて寒くない方がマシだ。

夏物と冬物がそれぞれ10着ほど常備されているユニフォームは、
冬物の方が3着ほど出払っているようだった。
先に3人程度出ているんだろう。

「じゃ、俺も行って来るわ。伝票。」

確か今日はどこぞの大手企業に荷物を取りに行ってそのまま配達してくるという、
引き取り配送の予約が入っていたはずだ。しかも特急便で。
特急は分単位の「遅れ保証」が付くから、うっかり遅刻するわけにもいかない。
そんなわけで、配送予約は3時半なのに、俺は12時過ぎに事務所に出向いて来たわけだ。

しかし、俺に引き取り先と配達先の伝票を渡す代わりに、
社長は俺を拝むみたいに俺の前で両手を合わせた。

「悪い。アレ、時間変更になったんだ。」
「え〜。」
「5時半に変更。今朝引き取り元から連絡があってさ。」
「特急便は時間厳守っしょ。それもう別オーダーだな。」
「まあそう固いこと言わないで。」

社長は俺を拝んだ手を刷り合わせ続けている。
知らない人間が見たら俺が社長で社長がバイトに見える。

「こないだはまだ仮予約で曖昧だったんだけど、
本予約入れてきたのは子会社の方じゃなくて純友銀行そのものなんだよ。」
「それが何。」

時間厳守の予約便に合わせて早めに起きたってゆーのに、
依頼先が大手だからって勝手に時間変更されたら、そりゃ俺の機嫌も悪くなる。

「営業時代のコネでちょっと調べたんだけどさ、
子会社の『サン・オレンジ』はNTTと純友の合資会社だったんだけど、
業績不振でNTTは手を引いた。『サン・オレンジ』は今は純友の一部署扱い。
確か、『電算部』。」
「それが?。」
子会社がどうこうっていうのは全く時間変更の理由にならない。

「純友は今、自社のシステムを自社持ちのまま維持するか別会社に完全委託するか迷ってる最中らしい。
棚ボタの受注を見込んだシステム会社が何社も純友に入り込んでる。合見ツ狙いなわけだ。」
「・・はあ。」
それも全然時間変更の理由になってない。

「上手く行けば、そういう取引先のシステムハウスとのやり取りに毎回ウチが使われるかもしれないだろ。」
「そうかなあ。」
「そうなれば、取引先企業『純友銀行』って豪語しても嘘じゃない。
信用度は鰻登り。一部上場も夢じゃないぞ?!。」
夢だと思うけど。

「だから頼むよ。5時半に変更。そういうことで。」
「俺、そんくらいの時間に人と合う約束なんだけど。」
「え!。そっちなんとかならないかな。ホント頼む!。
ウチが上場するかしないかの瀬戸際なんだから!。」
「・・。」

銀行屋の荷物を一回運んだだけで上場できるハズが無い。
大体常連客になるかどうかも怪しいわけで。
だけど脱サラ社長はすっかりその気だし、
俺が進言して目が覚めるとも思えない。
俺は不愉快さも露骨に、俺を拝み続ける社長を睨み付けた後、
ジャケットの内ボケットから携帯を取り出した。
夕方の約束を変更すると連絡を入れる為だ。
なんだかんだ言って、俺は頼まれると弱い。
あんまし得な性格じゃないことは俺自身自覚している。

銀行屋の我侭のせいでとばっちりを喰った俺以外のもう一人は、
呼び出し音5回でつかまった。

「あ、俺。今日夕方仕事入っちまって。」
「うっそ!。」
「明日じゃどう?。」
「えっと、明日でダメって事もないけど・・。」

吾一の歯切れは悪かった。
相談があると俺がヤツに呼びつけられるのは、
初めてではないにしろ、そんなに頻繁にある事でもなかった。
サルはサルなりに、ピンチなのかもしれない。
まあ俺に言わせれば、贅沢過ぎる修羅場っぽいんだけど。

「今どこ。」
「トラックん中。バイト中だから。」
「場所どこよ今。都内だろ?、俺行ってもいいぞ。ちょっとシゴト抜けらんねーの?。」
「あ。そしたらオレ今から昼休みだから!。頼む!。」
「だから場所を言えよ!。」

大学留年中のサルは、日がな勉学に励む事もなく、バイトに明け暮れている。
確か今は、運送屋の助手と警備員を掛け持ちしていたんだったか。
ハニーのとこで暮らしてるんなら、金に困るわけはないんだけど、
男として一人立ちしたいとか考えてるんだろーか、
それとも単にじっとしていられないだけなんだろーか、その辺は知らない。

サルが俺に告げた現在地は、この事務所からバイクで飛ばして40分程度の場所だった。
荷物引き取り先の子会社の存在するオフィス街とは正反対の住宅地で、
全然全く配達のついでにはならない。
だけどまあ、仕方ないか。

「分かった。そこまで行くわ。正確な住所を言え。地番まで。
それと、近くに座れる店ある?、喫茶店とか。」
「ファミレスがいい。」
「・・好きにしてくれ。」
トラブルの最中でも腹は減るらしい。さすがサル。
俺も飯まだだからその方が都合いいけど。

吾一の現在地近くにあるというファミレスを集合場所に決めて、俺は携帯の通話を切った。
俺の目の前では、社長が前屈みで俺を拝み続けている。
脱サラ後に一層薄くなったその頭は、今や頭頂部に至っては、ほぼ地肌の肌色だ。

「・・じゃそっち、5時半に変更ってことで。」
「助かるよ!!。それじゃこれ伝票。あとコレ。」
「?。」
差し出されたのはキャップだった。野球帽とも言う。
帽子の額のところには、もはや見慣れた『バイク○』のロゴ。
こんな備品あったっけ?。

「メット脱いだら中に入る前にコレかぶって。
あと、結った髪はジャケットの襟首んとこに入れといて。」

「こう、ね、こう」と、社長は無い自分の髪をまとめて、シャツの背中に突っ込む素振りをした。
俺の赤い長髪は、銀行屋サンにはふさわしくないから可能な限り隠せと、そういう意味らしい。

「・・ヘイヘイ。」

俺は差し出された伝票を鷲掴みに手に取ると、
いい加減な返事で社長に背を向けた。
これ以上余計な注文をつけられたらたまらない。

「もしまた時間変更あったら携帯に連絡するよ。」
「イヤもうそれは受け付けないから。」
「そう言わずに!。」
「無理無理。限界だし。」

「頼むよう」と背後から追いかけてくる声を無視して、俺は事務所を出た。
古びれた5階建てのテナントビルにはエレベーターも未装備だ。
俺は3階の事務所から階段を一段抜きで駆け下りた。

足を動かしながらも俺は頭に刷り込まれた道路地図を思い起こして、
今の時間空いてそうな道を選び出す。
革ジャンのポケットに突っ込んだ両手は無意識に重要物の存在を確認する。
右手に触れるのは配送伝票、左手には鍵の束。
内訳はバイクの鍵と店の鍵と部屋の鍵。
部屋の鍵の方は合鍵。最近、本鍵を無くしたから。

(ん?。)

何かが頭に引っ掛かった。
そう、俺は鍵を無くした。
って事は、誰かが俺の鍵を持ってる可能性も否定できないわけで。

「あ!!。」

地階まで階段を降り切ったところで、俺はひとり叫んで立ち止まった。
忘れていた何かをようやく今思い出した。
夕べ、俺の部屋には女がいた。
正確には明け方前。店を閉めて部屋に帰ったら、
そういえば居間兼台所で女が寝ていたんだった。

(・・。)

アレは一体どこの誰なのか。
寝ていた本人に問いただすのがスジなわけだけど、
夕べはもおめんどくさくて寝ちまったんだった。
・・デタラメ過ぎる。しかし今更悔やんでも遅い。
見覚えの無い顔だったような気はするが、
向こうも寝起きというか半寝だったせいもあり、
正直顔も思い出せない。
うっすらとした記憶を辿れば、結構若い女だったよーな。
喰い頃ってゆーか。

(ヤらせてもらっとくんだった。)

朝になって消えてる女なら、後腐れも無いわけだし。

アタリくじを拾ったのにボヤボヤしてる間に引き換え期限が過ぎてしまったとか、
俺の今の気分を喩えるならそんなところだ。
損したなあとは思うけど、地団駄踏んで叫ぶ程でもない。
そもそもが拾い物なわけだし。

(なんだかなあ。)



- 続 -
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