俺は屋内に戻り、通りに面したガラス壁のスクリーンシェイドを下ろした。
観客とストリッパーの間に幕が下りたわけだ。
頭痛がひどく、もう何も言う気になれなかった。
ガラス向こうの通りからは観客のブーイングが上がったが、当然放置した。

俺は室内奥のテーブルに戻り、元の位置に座りなおして頭を抱えた。
「もっとやれ」とか「続けろ」とか、通りからは野次が続いていた。

誰も彼もを撃ち殺したい。
俺はその事だけを考えた。

「宣伝してやってんだろーが。」

いつの間に俺の傍らに立った観世がそう言った。
ココのギャラリーを宣伝してやったのだと、そう言いたいらしい。
しかし俺の風景画を売る場所で半裸の身体を人目に晒し、
一体何を宣伝か。

「・・今度やってみろ。」

いつになく、俺の声のトーンは落ちていた。

「殺す。」
「・・。」
「確実に殺す。」

観世はふう、と大きく溜息を漏らし、
芝居じみた大袈裟な身振りで肩をすくめた。
俺が物分りの悪いバカだと示したいらしい。

「あ、あの・・。」

ふと、俺のでも観世のでもない若い声が上がった。
それで俺はようやく思い出した。
俺の対面には、まだ吾一の彼女がいた。

「あの、女優の観世琴音さん・・ですか?。」
「おう。」

俺の脇に立つ観世が彼女へと向き直った。
有名人であることを自慢気に仁王立ちしているが、その姿は最悪だ。
全身にケバケバシイ光を放つ宝石を散りばめているというのに、
服の方は下着めいた薄い布一枚だ。
そのたった一枚の布でさえ薄過ぎて、胸が透けて見える。
乳首の色まで分かる。
猥褻物陳列罪で現行犯逮捕されるべきだ。

「わたし、『極道の女』見ました!。」
「へえ。どうだった。」
「すごく感動しました!。」

あれは芝居というより地でやっているのだから、感動するにも及ばない。

「あの、それで、お兄さん、いえ、叔父さんとお知り合いなんですか?。」
「誰だそのお兄さんとか叔父さんて。」
「俺だ。」
「はあ?。」

厄介な事になりそうな予感はあった。
しかし話の流れからして、言わないわけにもいかないだろう。
俺は彼女を視線で示しながら、観世に短く告げた。

「吾一の彼女。」

無言のままそれぞれがそれぞれを凝視して、時が止まった。
しかし静寂は束の間だった。
観世は発作的に大笑いを始め、おまけに俺の背をバシバシと平手で叩き出した。

「やるなあ!。アイツ!。」
「・・。」
「先を越されたな宗蔵。甲斐性無しめ。あはは。」
「ほっとけ。」
「さすが俺の息子。」

「息子?!。」

「オウ。俺が吾一の母親。」

そう言えばそうだった。
俺自身忘れていたが、書類の上ではそういうことになっている。
別れた前夫が知らぬ間に作った子供を観世が引き取った。
確かに彼女が母親だった。

吾一の彼女は半裸の『母親』を凝視して動かなくなった。
ソレが自分の彼氏の母親だと知るのは、確かに衝撃以外の何物でもないだろう。
不憫な少女に、俺はささやかな救済の言葉を付け足した。

「但し、『戸籍上の』。」

「そう。『戸籍上の』。」

俺の台詞を繰り返し、観世は彼女にビシッと親指を立てて見せた。
意味が分からない。

「しかしやったな吾一。本能か?。こんな可愛いねーちゃんを。」

観世がふと、テーブル向こう、つまり彼女の側に回りこんだ。
魔女が赤ずきんに迫り寄っているようにも見える。
彼女を見据える観世の瞳が妖しく光った。
獲物を捕らえる肉食獣の目だ。
映画なら、ここで彼女の恐怖を表す心音なんかの効果音が入るハズだ。

マニキュアの真紅もケバケバしい爪先を、観世は彼女の頬へと伸ばした。
ひっ、と喉元で引き攣った擦過音を上げ、彼女は椅子の上で身体を反らした。
そして反らしすぎて、長椅子の端からそのまま床に転がり落ちた。

「嫁に来るか?。」

アンタの嫁に来るわけじゃない。
俺は心で突っ込んだ。
声に出してとばっちりを喰うのも面倒だった。

床に落ちたまま尻で後退りする彼女へと、観世が腰を落として迫っていた。

「アンタを逃したら、最後かもしれねーし。」

元々隅の方にいた彼女は、尻で後退ったところで、
すぐに部屋の角に追い詰められた。
さすがに俺も見かねて、助け舟を出した。

「帰っていいぞ。」
「あん?。」

答えたのは観世だ。
観世が帰ってくれるなら勿論それに越したことはないが。

「帰れ。そんで、また来ればいい。
この『戸籍上の』は、いつでもいるわけじゃない。
今日のアンタは運が悪かった。だから、帰れ。」

彼女の潤んだ瞳が俺を見上げていた。
俺はただ頷いた。

「じゃ、し、失礼します!。」

彼女は鳥みたいに甲高く裏返った声で一声鳴き、
おもむろに立ち上がっては駆け出した。
ギャラリーの中央で足をもつれさせて転びそうになったが何とか持ちこたえ、
それからスクリーンシェイドを潜りドアを開け、あっという間に外へ出た。

戸外からは「何だ何だ」と騒ぎ立てる野次馬の声が響いた。
ストリップショーの観客はまだ外に居残っていたらしい。

「ち。」

観世は小さく舌打ちし、さっきまで彼女が座っていた席にふんぞり返って座った。
俺は騒動が収束した余韻を身体で感じつつ、煙草をくわえて火をつけた。
この段階になってようやく、俺が言うべき台詞を口にする環境が整ったわけだ。

「で、用件は。」

◇◇◇

「黄恵の野郎が電話してきやがって」

観世の話は無駄に長い。
相手が何を言ったかを示すのに、相手になりきって芝居したりするせいだ。
しかし長い話しに茶々を入れたら最後、話はエンドレスに長くなる。
俺は一言も発する事無く、煙草をふかし続けた。
長い話の概要はこうだ。
『世田谷の家を売れと、黄恵が連絡を寄越した。』

世田谷の大邸宅は、そもそも俺の実家だった。
昔、俺の親父と母親が住んでいた。
しかし俺を産んですぐに母親が死に、親父はその後俺を連れて手狭な一戸建てに引越した。
空になった大邸宅は、親父と異母兄弟の観世に譲られた。
しかし観世は正門から部屋までかなりの距離がある大邸宅を嫌い、
当時から賃貸マンションで気ままな暮らしを続けている。

留守になった大邸宅には観世の前夫の誰かが出たり入ったりした。
しかもその前夫自体が何人もいたりする。
一時、邸宅は公共アパートのようなことになっていた。

最後に邸宅に住み着いた前夫は、自分の新しい女を連れてあの家に住み込んだ。
他の住人はこのカップルに追い出された。
そしてその後、男の方はどういうわけか死に、
現在は死んだ前夫の女が別の男を連れ込んでいる。
見事なまでのデタラメぶりだ。

その前夫の女というのが、今回電話してきたという黄恵。
俺は彼女を『ヒステリー女』と呼んでいる。
彼女は観世を『お義姉さん』と呼ぶ。
『ヒステリー女』と『お義姉さん』は犬猿の仲だ。
犬猿の仲であれ仲を続けていること自体が不条理なのだが、
その点に観世は気付いているのかいないのか。

「売れば?。どーせアンタあの家に戻る気ないんだろ。」
「邸宅は吾一のもんだ。」
「あん?。」
「俺の息子だからな。」

何もしない名義だけの母親なりに、
せめて財産だけでも残してやるつもりだろうか。
その気持ちはともかく、大邸宅をもらったところで掃除に困る。

「吾一が欲しがるとも思えんが。」
「んじゃ、売れ。」
「アンタが売れよ。」
「ざっと試算したが、五千万は下らねーぞ。」

・・額が大き過ぎる。

「それより、だ。今までタダで住んでた黄恵のヤツが
なんで今頃売ってくれとか言うのかが気になって仕方無い。
家を買えば固定資産が付く。普通の仕事じゃ税金だけでも払えん。
土地に上物込みで7千万と見積もって税率1.4パーセントだから百万超。
それを毎年俺が払ってるってワケだ。」
「んな額を吾一が払えると思うか。大学留年中だぞサルは。」
「だから売れって言ったろ。」
「だからアンタが売れよ!。」
「売価を受け取れって言ってんだろーが!。」

家もしくは金をくれるという話なのに、何故俺達は喧嘩腰なのか。

「とにかく続きを聞け。
固定資産税も払えなそーな黄恵がなんで買い取ろうとすんのか。
もしかして遺跡とか金とか埋まってんじゃねーかと思って」
馬鹿か。
「先に調べてやろうと思ったらどこまでがウチの土地か分かんなくなって、
まずは役所の登記簿で公図調べたんだが」
馬鹿だ。
「仁井の野郎が先に調べてた。」
「誰?。」
「今黄恵と一緒にあそこに住んでる胡散臭い中年。」
「・・ああ。」
「不動産登記は一般公開されてっから所有者以外でも登記簿謄抄本取れるらしい。」
「だが他人が取ってどうする?。」
「そこだ。で、俺は直接聞いてみた。」
直球過ぎる。

「そしたら仁井の野郎何て言ったと思う。」
「俺に分かると思うか。」
「お前になら話すとさ。」
「?。」
「あんまり胡散臭いんで、ヤツを調べさせた。
あとで資料送るが、気になる経緯がひとつ。
ヤツは、佛教大卒だ。」

そこは俺の親父が教授職を勤めた大学だった。

行きずりの強盗から俺を守る為に俺を抱き、俺を抱いたまま死んだ親父が、
事件の前日まで通っていた職場だ。

仁井と俺の親父には、過去に何らかの接点があったのだろうか。

「宗蔵、お前ガキの頃、仁井に会った記憶ねーか?。」

観世に問われるまでも無く、俺は過去の記憶を辿っていた。
だが、思い出せなかった。
思い出せないのに、胸の奥で何かが疼いていた。


観世が来た時に嵐が来ると感じた、あの予感は、
もっと大きな意味で正解だったのだろうか。



- 続 -
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