「コーヒー淹れるが。飲むか。」
「いただきます。」
「マズいぞ。」
「はあ。」

フローリングのギャラリー最奥、つまり俺の作業部屋を出てすぐの場所には
詰めれば6人は座れる応接セットが据え置かれている。
低いテーブルと居心地の悪い長椅子2組みのセットだ。

本来は客との商談を円滑に行う為のスペースだが、
この場所がそもそもの目的で使用された事は未だかつて無い。
普段は作業に飽きた俺が腰を伸ばしたり、
作業部屋を覗きに来た吾一が寝転んだりするだけの場所だ。
彼女が吾一を待つ為の場所とも言えるかもしれない。
そういえば彼女がここで吾一を待つのは、もう4、5回目になるだろうか。
よくもまあ、いつまでたっても時間も守れない猿小僧と付き合う気になったもんだ。

俺はフロアの片隅で、朝からドリップ機にたまったまんまのコーヒーを二つのカップに注いだ。
俺が差し出した片一方のカップを、彼女は膝を揃えてかしこまって受け取った。

「冗談抜きでマズいぞ。」
「知ってます。前にも頂いたから。」
「そーか。」
「あ!。ご、ごめんなさい!、別に全然マズいとかじゃなくってその」
「イヤ。マズい。知ってる。」
「・・。」

俺は彼女の対面に腰を降ろし、確実にマズいコーヒーをズズッと音を立ててすすった。
彼女も俺を真似てか、ズズッと音を立ててカップをすする。
後には言いようのない静寂が残った。
いつも通りのコーヒーは、マズいと言ってもマズくて飲めないという程でもない。
朝に淹れた時点で特に美味くもないものを暖めたままにしてあるから、
夕方にはひときわ美味くなくなっていると、単にそういう事だ。

10年以上使っているドリップ機を変えてみようと思わない事もない。
しかし、かつて同じ豆でコレよりは格段にマシなコーヒーを手で淹れた男がいた。
機械の問題ではないということだ。
そういえばアイツが姿を消してもう何年だろう。
アイツがヤツのアパートから姿を消し、ヤツは自分のアパートに帰りたがらなくなり、
代わりに吾一がアイツを待って、ヤツのアパートに通ったりしていた。
まあ、昔の話だ。

「あの。聞いてもいいですか。」
「?。」
「おにーさんて、ハーフ?。」
「んなわけあるか。」
「そ、そうですか。」
「多分な。正確には、知らん。」
「そういえば違いますよねきっと。
だっておにーさんがハーフなら、吾一くんもハーフって事になっちゃうし。」
「前も言ったと思うが俺は叔父だ。」
「あ。そうでした。」
おまけに血の繋がりも無い。
しかしそれはまあ、言う必要もないだろう。

そうそう、叔父さんなんだっけとか呟いて、
彼女は自分に言い聞かせるように小さく何度か頷いた。
ボブよりは少し長い彼女の直毛が、肩の上辺りで大きく揺れた。
悪くない娘には違いない。
正直吾一には勿体無い。

おっとりとした性格は育ちの良さを感じさせるし、
容姿も10人並み以上ではあるだろう。良くは分からんが。
芸能人の名前も知らない俺は誰に似てるともいいかねるが、
知らないなりに敢えて挙げるなら、彼女は皇室の人間に似ている。
生真面目で、朗らかだ。

「でも、叔父さんにしてはお若いんですね。」
「28は若いのか?。」
「若いですよ。28にも見えないけど。」

話の流れからすると、それじゃ俺は幾つに見えるとか訊ねるべきなのかもしれない。
しかし幾つに見えようが、それは俺自身全くどうでも良かった。
若い叔父の立場なら、他のどうでもいい事でも話して間を繋ぐべきか。
それも面倒くさい感じで、俺は手持ち無沙汰に煙草をくわえた。
そんな俺の目の前で、彼女がふう、と溜息を漏らした。

「でも、分かるかもしれないな。」
「?。」
「こんな綺麗な叔父さんと暮らしてたんじゃ、女の子に興味無くなるわよね。」
「あ?。」
「私、フラれるんじゃないかと思うの。」
「・・吾一がアンタをフるのか?。」
「そう。」
「あり得んだろ。」
サルが皇室の人間をフるなどと。

「そうでもないみたいってゆーか。」

彼女の口ぶりは、不穏な推論には何か根拠があるのだと示唆していた。
だがそれならそれでその根拠を言ってみろと命令するわけにもいかない。
俺はただマズいコーヒーを口に運んだ。

「吾一くんね、昔、すごく好きな人がいたんだって。」
「・・。」

話の雲行きが怪しくなっていた。
俺は何となく落ち着かない気分で、冷めて一層マズいコーヒーをただ流し込んだ。

「それがね、男の人だったんだって。」

ブッ、と俺の口元で液体が逆流した。
僅かに飛び散った水滴が彼女にまで達しなかったのは不幸中の幸いだ。

「家庭教師の先生だったらしいの。」
「・・。」

バカ猿が。
そんな昔話を逐一話す必要があるか。

「世の中には男の人でもすごく綺麗な人っているでしょう?、
ちょっと見ただけじゃ全然男に見えなくて、普通の女の人なんかよりも全然綺麗なひと。
そういう人がホステスさんやってるお店とか、わたしテレビで見たことあるし。
吾一くんの先生も、そのくらい綺麗なひとだったのかなあ、なんて。」

・・俺は一体何を言うべきか。

アレはどこから見ても野郎だった。
確かに、整ってはいた。
だが『普通の女の人』と比較してどうこう言う類じゃない。
だが果たしてそれを俺が言うべきなのかどうか。

「そんな綺麗なひとにわたし全然かなうと思えないし、それに、
わたし、新しく入った会社でもドジばっかりで、課長補佐ににらまれてるの。
おじいちゃんが会長じゃなかったら、とっくにクビになってる。
仕事もできないのに特別綺麗でもないなんてわたし・・。」
「待て。いーか。良く聞け。」

俺は広げた片手で自分のこめかみを押さえつつ、斜視気味に目を上げた。
しかし、彼女は俺の言葉も耳に入らなかったように、
顔を90度回して外を凝視していた。

ギャラリーの通りに面したは部分はガラス張りで、外がそのまま見える。
強化ガラスの向こうは、車が2台擦れ違えるかどうかという程度の裏通り。
少し前まで閑静な住宅街だったのが、都市化の波に押され市街地化されゆく途上で、
この周囲は民家と洒落た雑貨屋や喫茶店なんかが混在している。
人通りは多いが、決してやかましいという程でもない。
しかし今、その快適な環境が侵されようとしていた。

ガラスの向こうには、この店からの視界を塞ぐように
黒塗りのベンツが横付けされていた。
そしてベンツと鼻先を向かい合わせて、対向車が駐車がしている。
更にベンツの向こう、黒塗りの車体が陰になりちょうどここからは見えない辺りからは、
大人が怒鳴りあう声が漏れ聞こえてくる。
情景を一瞥しただけで、俺には状況が理解できた。

(観世の野郎。)

黒塗りのベンツは観世の移動車だ。
ギャラリーの専用駐車場はここから歩いて3分のところにあるが、
歩くのを面倒がった観世が、付き人の次郎に横付を命じたに違いない。
そして狭い通りを塞ぎ、通行を妨げられた対向車のドライバーに因縁をつけられ、
現在倍返しで因縁をつけ返しているというわけだ。

見るまでもなく、間に入って右往左往する次郎の姿までが想像できる。

実は同じ事を、観世は以前にもしでかしている。
観世がこのギャラリーを訪れたのはこれで2度目だった。
俺が高層マンションから引越してすぐに、入居祝いだとかなんとか
ワインを抱えてやって来た時にも同じ騒動を巻き起こしていた。

「・・嵐が来んぞ。」
「え?。」
「帰った方が無難かもしれねーな。」

対向車のドライバーに一言悪かったと謝り、車を移動させればいいだけの話だ。
しかし一向に車が動く気配は無く、ベンツの後ろと対向車の後ろには後続車が詰まってきた。
その列は徐々に長くなり、今、俺の視界の及ぶ範囲を超えた。
おまけにベンツを取りまく野次馬までもが増える一方だ。
ここから見えるだけでもざっと30人は確認できる。
国中の人間が顔を知る有名女優が路上で啖呵を切っているのだ、人も集まるだろう。
いつも通りの半裸に近い格好なら尚更。

俺は客がいることも忘れて、両手で頭を抱えていた。

「あの。どこか具合でも?。」

確かに具合が悪くなりかけていた。
頭が割れそうに痛む。
しかしこのまま座っていても、状況は悪くなる一方だと分かっていた。

俺は重い腰を上げた。
ギャラリーの扉を押して、今や修羅場と化す路上へと踏み出した。

死角だったベンツの陰では、観世が40代の男の襟首をつかみ、
吊るし上げているところだった。
観世的にはそのまま投げに入りたいところだろうが、
縋りつく次郎が邪魔をして思うように動けないと、そういう状態だ。

「馬鹿野朗!!。」

怒鳴ったのは俺だ。
普段出したことのない大声のせいで、俺は自分の声で軽い貧血を起こした。
しかし群集の中央で俺が倒れている場合でもない。

「早く中に入れバアア!。」
「あん?。」

怒りの矛先が俺に向いたせいか、男を吊り上げた観世の手が緩み、
中年男の身体がどさっと舗装路に落ちた。
芝居並みもしくはそれ以上の迫力で俺に迫り来る観世を俺は避け、かわし、
後ろに回った隙に尻を蹴ったりして、遂にはガラス張りの屋内に隔離した。
その時、群集の中から溜息にも似た低い歓声が上がった。
無事に猛獣を捕獲した俺への賞賛だろうか。

「あれって、女優の観世琴音だろ?。」
「じゃ、撮影かなんか??。」
「そうかも。ね、あの俳優さん誰?。」

誰が俳優だ。

ショーは終わりだ、とか、散れ、とか、俺は周囲に叫び、
ベンツから人目が逸れたその隙に、次郎が車に乗り込みエンジンをかけた。
なんてことはない、あと少し寄せて駐車すれば対向車も通れたのだ。
障害物のベンツが動くと、渋滞した交通も流れ出し、野次馬も散りかけた。
しかし散りかけた群衆は、今度はギャラリーのガラス張りに張り付き始めていた。
気付いてみれば、ギャラリー屋内では観世が外に向けてポーズを取っている。

・・クソバアア。
死んでくれないだろうか。



- 続 -
     .


Return to Local Top
Return to Top