「ハイ。俺。」
「あの。オレだけど。」
「戻ってないぜ。先に言っとくけど。」
「・・そう。」

戒而が俺の前から姿を消して、もう何年だろう。
アイツが俺んちで暮らしたのは、確か俺がハタチくらいんときで、
俺はもう28だから、ざっと8年前だ。

吾一は今でもアイツが戻っていないかと確認するために俺に連絡をよこす。
8年経った今も、少なくとも週一の割合で電話してくる。
いい迷惑だ。

「いない」と言って切るだけの電話自体はたいした手間でもないが、
毎回バッドなニュースしか伝えられないこっちの気持ちにもなってみろ。
それにアイツが戻らないと再確認する度に、
何年経っても懲りずに落ち込んだ声出しやがって。
少しは気を遣え。
俺に。
俺だって毎回その度に余計なことまで想い出すんだよもう。

「んじゃね。」
「あ、待って。」
「あん?。」
「あのさ。相談とか、あんだけど。」
「・・例の女?。」
「・・ん。」
「モテモテだなあコラ。俺に一人回せよ。」
「冗談どころじゃないよ。オレ、マジ困ってんだから。」

冗談抜きで、ちょっと成長した小猿ちゃんはモテモテだ。
最初にヤツに女の相談を受けたのは何年前だったろう、
女の件で困るたび、ヤツは俺を呼び出して相談事を持ちかける。

その相談とやらがことごとく『ことわりかた』の方だからまた腹が立つ。
腹は立つんだが、その手のハナシは確かに俺以外の人間には
相談しようもないだろうと分かるから、俺は毎回断れない。
例えばヤツに身近な大人と言えば、あの保護者様がいるわけだが、
外見を見事に裏切って、その手のハナシに彼は恐ろしい程に鈍感だ。

「俺まだ仕事の途中なの。」
「じゃ、終わってからでいい。」
「でも終わったらすぐ店だしなあ・・。」

店に来てもらっても構わないが、呑んだくれが集うカウンターで向かい合わせたところで、
まともな話なんかできっこない。

「明日どうよ。明日の配達早めに切り上げるわ。」
「ん。助かる。」
「んじゃ明日。今くらいの時間に電話よこせ。」
「分かった。」
「じゃーな。」

「あ。あの。」
「何よもう。」
「サンキュ。」
「・・おう。」

出来の悪いサルほど可愛い・・なんてことはないんだけどさ。
なんかもうしかたないっつーか。

かつての小猿ちゃんも今や大学生だ。
名前を書くのがやっとの学力で入れる大学なんてあんのかと、
初めて聞いた時は俺も自分の耳を疑った。
しかし私立の有名大学には、スポーツ入学などという裏口があったらしい。
しかも、吾一はスカウトされたらしい。
体力オンリーにしても、半端じゃない体力なら身を助けるとゆーことか。

(戒爾が聞いたら驚くぜマジで。)

あ。みろほら。
余計なこと想い出しちまった。


本日分の配達を終えた帰り道、帰宅ラッシュが始まりかけた環状線で、
俺は車の列に混ざってダラダラとバイクを走らせた。
凍えそうに冷え込む夕暮れ時、急ぐ必要もないのにかっ飛ばすほど俺は若くない。

オフィス街の定時を過ぎたこの時間、通りは帰路を急ぐサラリーマンであふれている。
車道脇の人混みの中で、ふと、とあるカップルの後姿が目にとまった。
スリップみたいな薄手のドレスに毛皮を羽織ったゴージャスな女。
足元はピンヒール、髪は女優巻きっつーのか、水商売チックな大巻きのウェーブでキメている。
繁華街から程遠いこの辺ではひときわ目立つ格好だ。
そして彼女をエスコートするかの如く連れ立って隣を歩く男。
女のゴージャスぶりとは不釣合いな、至極普通の通勤コート姿。
短髪直毛の後姿は、8年前に姿を消した誰かに良く似ていた。

(まさか・・な。)

吾一の電話のせいで、俺は余計な事を想い出し過ぎだ。

気持ちを切り替えて俺はアクセルを開け、謎のカップルを追い抜いた。
ジェットタイプのメットとゴーグルの隙間から入り込む寒風が俺の顔を叩いて、
俺のつまらない感傷を吹き飛ばす。
・・ハズだった。
アクセルを開けてすぐ、俺は信号にひっかかった。
止められたその場所で気付いてみれば、
俺の目の先上方45度のところ横一直線に、中央線の高架が走っている。
ということは、いずれ電車が通る。
これは、いただけない。

俺は、走る電車を眺めるのが苦手だ。
8年前から苦手になった。

何故かというと、最後にハニーと別れたのが、
遮断機をはさんでの線路沿いだったせいだ。

あのときの事を思うと、俺は今でも泣けてくる。
笑えよ。
おかしーと思うぜ実際。

いずれ目の前を横切る電車を待つ気にはなれなかった。
俺はギヤをローに入れ、停止中の車列の中から無理矢理路肩に這い出した。
それからは路肩に並ぶバイクを追い越し、道を譲らないスクーターを威嚇し、
たまには路側帯も走ったりして、車列最前線つまり停止線を超えた位置まで辿り着いた。
そして信号が青に変わる瞬間、もしくは一秒前くらいに、
俺は気違いじみた猛烈ダッシュで駆け出した。
来る時に並んだ極太タイヤ君を笑えないバカぶりだ。

きっと、このあと何年やり過ごしたところで、
忘れることなんてできないだろう。
だったらせめて、想い出さないようにすればいい。
そんな人生は抜け殻みたいなもんだと人は言うかもしれない。
それならそれでいい。

あの頃の俺の想いだけは本物だ。


◇◇◇


「お〜。お疲れ〜。」

鼻をすすりながら事務所のドアを開けた俺に、
社長業も身について前より一層腹もせり出した、かつての脱サラ営業マンが振り向いた。
事務所といっても狭い貸しビルのワンフロアのみで、常駐してるのも社長一人。
事務一般は社長が一人でこなすから、ライダー以外の社員もいない。
儲けは薄くても損はしないという、大変ひかえめな戦略だ。

「や〜寒いわ。やっぱ。」
「暖まってってよ。コーヒー淹れる?。」
「あ〜でももう店だから。」
「よく働くね。若いのに。」
「若くないっしょ。28わ。」
「俺なんか49だぞ。」
「あはは。」
社長と比べられてもどうよ。
俺は中途半端な愛想笑いで本日分の配送伝票を手渡した。

「俺明日早めに上がりたいんだけど。」
「じゃ、早めに上がっていいから一件だけ確実に頼むよ。
受け取り予約入ってんだけど、大手だからさ。」
「どこ?。」
「純友銀行。」
「え?!。」
「の、子会社。」
「な〜んだ。」
「子会社ったって、NTTとの合資会社だぞ。」
「へ〜。そんなとこ俺でいいの?。」
「アンタが一番マシなの。」

俺は渋い顔で長髪を掻き上げた。
この会社は一体いつまで俺程度が一番マシなのか。

「じゃ、明日頼んだから。」

ヘイヘイ、とか適当な返事で俺は事務所を後にした。
ドアを出てすぐ、何か言い残した気分で、
俺はもう一度事務所を覗き込んで、頭髪も一層薄くなった社長に声をかけた。

「社長、もっとマシなヤツ入れなよ。」


◇◇◇


夜の8時にはいつも通りに店を開け、俺はカウンターの内側におさまった。
どうしても儲けたいというわけでもない俺の接客はいい加減だ。
特に今日は鼻もグズついたまんまだし、世間話に付き合いたい気分でもないし、
俺はカウンターの前から厨房付近まで丸椅子を引き下げて、
一服二服、イヤ、二十服くらいかまして閉店までの時間を潰した。

何となく頭がぼんやりするのは、風邪のひきはじめのせいだろうか、
それとも、いつになく色々と想い出してしまったせいだろうか。、

店の細かいあれこれは、全て李厘が引き受けてくれた。
というより今日の俺は何もしないから、
彼女がやらざるを得なかったというところだろう。

ちなみに李厘は4年くらい前から、俺の店でバイトしている。
想像以上に客の入りも増えて、俺一人では手が回らなくなった頃、
かつてのバイト仲間というか子分に声をかけてみたというわけだ。

かつては性別不明だったガキんちょは、今や確実に成長していた。
あの頃は成長したら逞しい野郎になりそうな按配だったが、
数年ぶりに見る彼女はまぎれもなく女だった。
最近では彼女目当ての客も多い。
しかし馴れ馴れしくケツを触るようなエロ親父には彼女自身が蹴りを入れるから、
俺がセクハラの心配をしてやる必要も無い。
デキた娘だ。
今更だけど、本気でそう思う。

そしてよくデキたバイトのおかげで俺はその日の営業を無事に終えた。
客を帰し、李厘を帰し、まだしつこく居残る客をも帰し、
閉店作業を一人でダラダラとこなし、午前3時には俺も帰れる状態になった。
だけどこのままアパートで寝るのもつまんない感じで、
俺は客席の椅子に腰を下ろして、一人で強い酒を舐めた。

なんとなく手持ち無沙汰で、BGMの音量を上げてみたりする。
夜逃げした前の店長が音楽カブレだったおかげで、
店の左右の壁には小さなスタジオ並みのスピーカーとアンプが据え置かれている。
これらを撤去すれば客席があと一つ増やせるだろう。
だけど俺も、追加席よりはアンプの方を置いときたいタイプだった。

流れる曲は俺が適当にテープに落としたヤツだ。
いつ録ったのかも忘れたし、誰の曲かも分からないのが多い。
音量を上げた時に流れ出たのは、古いレゲエを最近のヒップホップ風にアレンジしたヤツだ。

〜Good friends we had,
〜Good friends we've lost along the way.

緊張感のかけらもないレゲエのビートに乗せて、疲れた声音が叫ぶように歌っていた。
道の途中で良き友を得、良き友を失ってきた、と。

戒而は元気だろうか。

疲れた掠れ声は、曲の最後でリフレインし、同じフレーズを何度も繰り返した。
〜Everithing gonna be alright.
それでもきっと、うまくいく。

会えなくても、ハニーが幸せならそれでいい。

そう、ハニーがハッピーならそれでいーんだよ。
そーゆーこと。

気持ちにもふんぎりがついたところで、俺はBGMを消して店を出た。
空はもう、白み始めていた。


◇◇◇


自宅アパートに帰り着いた俺は、ドアを開けるなりその場に立ち尽くした。
誰かが俺のアパートで寝ていたせいだ。
玄関から入ってすぐのダイニングキッチンの床に、女がひとり横になっていた。
もしかすると、寝ているんじゃなくて倒れているんだろうか。

泥棒まがいに足音を忍ばせて、俺は自分の家に踏み込んだ。
上から覗き込むようにして、女の顔を確認する。
ガイシャはハタチ前後、髪はセミロング。しかしそれ以上は分からない。
知らない顔だ。

「う・・ん。」

女は横になったままで、甘く囁くような声を出した。
寝言だ。
やっぱり倒れてるんではなくて、寝ているらしい。
しかし誰。

(これは・・。)

ヤってもいいということですか神様。
良く働いた俺にプレゼントですか。

いつの間にか女が居ついているというのは、
この8年間の中で何回か無きにしも非ずって感じで、
だから帰ったら女が寝ていたというのは、
俺にとって全然無い話でもない気もする。
それにしても彼女がどこの誰なのか、全然思い出せない。
今まで居ついたのは、少なくとも関係のあった女だけだ。

まあ、例外もいるけど。
って、アレは野郎だし。

もしかして、酔った勢いとかで、なんかしてしまった誰かなのだろーか。
だったらどうしよう。

とりあえずもう一度ヤらせて頂くとか。

俺が見下ろすその女は、前と同じような寝言を呟いて、
誰かが見つめているとも知らずに、気だるそうな寝返りをうった。
その時、女の足がダイニング脇の壁を蹴った。

「うわ!。」

反射的に叫んだのは俺だ。
そこには以前、あの絵があった。
今は無い。
無くなった今でさえ、俺の脳はそこにあった大切な何かを記憶していた。

それでどうして今は無いかって?。
燃やしたんだよ。俺が。
俺の手で。


「ん・・。帰ってたの?、おはよう。」

俺の大声で目を覚ました女が、寝ぼけた顔を上げてそう言った。
まだ眠たげに目をこするその顔は、やっぱり俺の記憶に無かった。

「・・。」

俺は女をその場に残し、自分の寝室へと引き上げた。
その後は冷たいベッドに速攻で潜り込む。
大体がもう朝なのに、昼過ぎからはバイク便なわけで、
今寝とかないと次にいつ寝れるか分からない。
「お前は誰だ」とか、女とそんな問答をするのも面倒臭かった。

一日中身体を動かしまくっている俺は、ベッドに入って30秒で眠りに落ちた。



そして俺は夢を見た。

北朝鮮の独裁者が日本にミサイルをブチかまして、
東京は火の海と化し、誰も彼もが瞬時に消えた。
赤く燃え残った建造物の残骸の中で、
俺と宗蔵だけが存在していた。



- 続 -
     .


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