以前の売り上げがどうだったかは知らないが、
その後店は、テナント代を払ってもマイナスにはならない程度に繁盛した。

メニューの料理は俺が作れないから全面的に廃止して、出すのは乾き物だけに変更した。
腹が減ったとやかましい客には、ラーメンとピザの出前を取った。
店的には全く儲からない手法だが、客に出せるようなものを俺が作れるわけが無い。
それは以前に宗蔵のマンションでも証明済みだった。

しかし俺の投げやりな営業は、どういうわけか客にウケた。
出前を多く注文する事で、テナント一階のラーメン屋と環状線沿いのピザ屋にも感謝され、
店の客足も減るどころか増えた。

俺が店に出て僅か二日後、客とのカウンター越しのやり取りで、
買う予定のバイクまでもが手に入った。
エンジンのかからなくなったSR400が自宅の駐車場で遊んでるという客がいて、
廃車にするにも金がかかるから、もらってくれるならタダでやるという。
引き取りに行く足が無いと言うと、
ご親切にもビル裏の駐車場までワゴン車で運んできてくれた。

全く走りこんだ様子も無い新車まがいのSR400は、
確かにキーを回してもエンジンがかからない。
しかしライトは点くしセルも元気に回る。バッテリーは上がっていないようだ。
だとすればプラグがカブって点火しないんじゃないかとメドを付けて、
プラグとついでにプラグケーブルも変えてみた。
その後は見事、一発始動だ。
俺はプラグ代税込み\3,400で、ほとんど新車のシングルを手に入れたってわけだ。

その頃の俺にとって、それは久々の快挙だった。
逆に取れば、その程度しかマシな事は無かったとも言えるだろーが。

俺は約束を果たすべく、意気揚々と脱サラ親父の事務所へとライダー登録に出かけた。
その後、昼はバイク便で都内を走り回り、夜は毎晩飲んだくれの学生と親父の相手をする生活が続いた。
忙しくて、とても大学に行く暇なんか無かった。
行かない学校の学費を払い続けるのもどうかという気分になり、結局俺は中退した。

今考えれば、俺には忙しくなる必要があったんだと思う。
身体を酷使して日々動き回り、動かない時は喧騒に撒かれ、
何も考えられなくなる必要が。
そうでなければ、俺は失ったものを想い起こしてしまう。

そしたら最後、俺は二度と動けなくなるだろう。


昔の思い出話はともかく、今は配達の最中だ。
暦の上では春でも気温は厳冬の路面上、俺はいつも通りのペースで吹かし上げる。
寒風を受けて冷える一方の俺の身体とは反対に充分暖まったエンジンは、
シングル特有の振動を尻の下から伝えてよこす。
イイ感じだ。

一吹かしごとにギアを上げ、4速60キロに上がったあとは一定速度で流す。
8年もバイク便で走り回った結果、俺の頭には都内の地図が刷り込まれていた。
やたらとアクセルを開けるだけが速く走るコツじゃない。
路面図のみならず、次の信号の色が変わるタイミングまでも、今や身体が覚えている。

ちなみに信号待ちで隣に並んだ極太タイヤ君は
信号が赤から青に変わると同時に猛烈ダッシュで駆け出した。
独りドラッグレースの勢いだ。
しかし、俺の目の先で小さくなりかけたその姿は、見えなくなる前に次の信号で止められて、
またしても俺の視界の先に迫り始めていた。

次の交差点は大型の変形五差路。
信号の待ち時間が長く、交錯する車列の混雑を防ぐためか、
停止線は交差点自体からかなり手前に引かれている。
つまり、信号が変わって車が侵入するまでに多少間があく事になる。
タイヤのグリップ限界を試すのに最適の場所だ。

ちょうど俺が交差点にさしかかる頃、信号は青に変わる。
俺にそのデカい尻を見せつけながら、極太タイヤ君が発進した。
しかし直線時とはまるで違って極太クンは亀の走りだ。自転車並みとも言える。
太いタイヤはグリップがいい分ドリフトが効かず、
コーナーでは自転車と同じにハンドルを曲げて緩く曲線を走る事になる。

俺は走行速度一定のまま、信号が変わりたての交差点に突っ込んだ。
極太クンは耕運機まがいにべったりとタイヤを路面につけて、
街路樹を眺めるように左寄りに回り込んでいる。
そのすぐ隣、つまり交差点の中心部で、
俺は軽くブレーキを踏み込んで後輪だけ流し、ほぼ直角にターンををキメた。

方向転換を一瞬に終えたら、不等爆発で暴れ出すシングルのエンジンをなだめる為にも
大きくアクセルを開け、一気にコーナー侵入時の時速60キロに戻してコーナーアウト。
交差点からの去り際に軽く尻を揺らしてみせたりするのは、極太クンへのご愛嬌。

コーナーを抜ければすぐに次の渋滞が待っている。
俺は路肩を一直線に駆け、待ち行列の最前に愛車の鼻先を突き出した。
今回は極太クンが脇に並び寄る気配は無い。
どうやらおとなしく後ろの列に並んだらしい。

信号が変わると同時に俺は駆け出した。
配達先のオフィスビルまであと少しだ。


◇◇◇


「まいど〜。」

蕎麦屋の出前みたいな挨拶はバイク便として正しいのかどうか。
正しくないにしても、他に言いようも思いつかない。

「おつかれさま。寒いのに大変ね。」
「全くだぜ。鼻水止まんねえし。」

オフィス街の手狭なビル3階、伊東物産は俺の得意先の一つだ。
エレベータ降りてすぐのところで俺を待ち受ける受付嬢が愛らしい。
俺だけを受付けるわけじゃないにしても。

「ティッシュ、お使いになります?。」
「お。悪ィね。あとこれ荷物。」

受付嬢の差し出したクリネックスで鼻をかみ、
ついでにちぎったティッシュ切れ端を鼻に突っ込んでみたりしたあと、
俺はジャケットのポケットから2枚のフロッピーと紙切れを取り出す。
荷物と言ってもココは毎回こんなんだけだ。
紙切れの方は配送伝票。

「な、俺いつも思うんだけど。」
「はい?。」
「ネットとかで送ればいいんでないの?。」
電脳音痴の俺でさえそう思う。

送り元は二駅先の子会社だ。
ネットで送れないというなら、社員が一人出向けばいい。
その方が断然安く上がる。
まあ俺が考えてやる事でもないんだけど。

「そうなのよねえ。」
「?。」
「でもね、『ネットで送れ』って言うとそのまま帰っちゃうらしいのよ。あっちのビルの人。」
「は〜。」
「『バイク便が取りに行くから』っていうと、定時までにやるしかないでしょう?。」
「なるほど・・。」
いろんな都合があるらしい。
しかしそしたらそんなに配送を急ぐ必要もないって事だ。
なんだかなあ。

「はいこれ受取証ね。配達時間、3分おまけしといたから。」
「お。」
おおう。
これって脈アリ??。

「サンキュ。ところでおねーさん、仕事何時上がり?。」
「はい?。」
「極寒のツーリングなんてどう?。」
「・・。」
「なんなら俺車借りて出直してくるし。」
言ってから気付いたが、俺は4輪を運転した事が無かった。
当然免許も自動二輪限定だ。
「あ。やっぱ駅まで電車で迎えに行く?。」
「あの・・」

戸惑いがちな受付嬢が何かを言いかけたその時、
俺の胸あたりにヘンな刺激がおとずれた。
(お。)
胸のシャツに入れた携帯がバイブ設定になっていたらしい。
生肌に近いところで振動する携帯が、俺の乳首を刺激しやがっていた。
(おお。)
口説きかけのおねーちゃんの前で喘ぐわけにもいかない。
俺は不自然に身をよじりながら後退りして、エレベーターのボタンを押した。
悔しいが、去り時らしい。

「じゃ、また。次んときヨロシク。」
「結構です。」
「ぜひ次に。」
「もう他の人に配達お願いしますから。」
「!。そんなあ!。」

そりゃないぜとおねーさんに詰め寄りかけた俺を呼び戻すように、
エレベーターが俺の前で鉄の口を開けた。

「じゃまた!。マイ・シュガー。」
「・・。」

乗り込んだエレベータ−は空だった。
俺は1階のボタンを押してすぐ、ジャケットの首の辺りから手を突っ込んで、
俺様を刺激し続ける携帯を、どうにかこうにか取り出した。

いい加減切れてもよさそうなもんだ。
果てしもなく俺を呼び出し続ける携帯のサブ・ディスプレイには、
呼び出し先の名前が青白く浮かび上がっていた。

『サル』

(・・吾一の野郎。)
俺が女を口説いているタイミングを見計らってヤツが電話してきたハズもないんだが、
なんだか故意に邪魔されたよーな気分は拭えない。

「クソ!。サルが!。」

手の中で振動し続ける携帯に、俺は怒りをぶちまけた。
ちょうどその時に、一階到着したエレベーターの扉が開いた。
乗り込もうと待ち構えていたスーツ姿のオヤジ3名とその後ろにOLさんが2名。
無人のエレベーター内で叫んでいた俺の勢いに押されたように、
彼らと彼女らは俺を凝視したまま足並みを揃えて2歩後ろに下がった。

いやああの、こっちのハナシで、とか、口ごもりながら、
俺はスーツ姿を押し分けてエレベーターを降り、エントランスへと向かった。
擦れ違いざま、OLサンの一人が俺を見据えてプッ、と吹き出して笑った。
そう言えば、鼻をかんだあとに詰めてみたりしたティッシュは、今も俺の片鼻に詰まっていた。
俺はこの顔で受付嬢を口説いてたわけだ。

(クソ!。サルめ!。)

しかしそれは全然全く吾一のせいじゃない。


- 続 -
     .


Return to Local Top
Return to Top