〜Get your motor runnin' (エンジンを吹かせ)
 Head out on the highway (ハイウェイに向かえ)

Steppen Wolf のダミ声を無理矢理脳裏に思い起こしつつ、
冬空に凍えた右手でアクセルを開ける。
Steppen Wolfが思い描くハイウェイは多分大陸を横断するルートなんちゃらで、
見渡す限りの原野を切り裂くだだっ広い舗装路なんだろうが、
生憎こちとら都内の環状線だ。
アクセルを開ければ、ものの1分で前の車の尻にブチ当たる。
仕方ないから信号待ちの列から左に寄って、結局俺はいつも通りに路肩を走る。

その路肩すらバイクとスクーターの列ができていたりするから、
俺は車道と路肩を縫うように走り、他のバイクを追い抜き、
最近流行の車並みに尻のデカいスクーターはあおって道を譲らせ、
たまには低い縁石の上に乗り上げて走ったりして、
渋滞の環状線でどうにかこうにか前に出る。

内心そこまでして急ぎたいとも思わない。
だけど急ぐのが仕事だから仕方ない。
俺の背中一面には、50メートル後方からも見えるデカい文字で
『バイクO』と書かれている。
バカだ。
イイ歳の大人の仕事とは思えない。
しかしまあ、俺には他にやりたい何かがあるわけでもない。

ちなみにバイクOのOは英字の大文字で、バイク王と読ませる意図らしい。
明らかに某大手バイク便をパクったネーミングだ。
しかし英字大文字のOは遠目にはただの円にしか見えず、
都内では『バイク丸』の呼称で通っている。
安くて速く、かつ走りに節度のない点でやや有名だ。

俺は路肩を走りとおして、信号待ち車列の最前に出た。
つまり停止線からバイク一台分前に出たわけだ。
四輪側にしてみても、走り出してから脇をすり抜けられるよりは、
スタートの時点で前に出られる方が安心だ。
「どうせ抜くなら前に出とけ」というのは公道で暗黙のルールになっている。
逆に言えば、停止線の前に出るというのは、
「俺そこそこ速く走りますんで」という意思表示でもある。

一台が車線の前に出ると、本来なら俺も俺もと
各種二輪とスクーターが脇に並ぶのが常だ。
しかし俺が『バイクO』の時に限り、脇に並ぶ車体は無い。
おそらくは、同僚の『バイクO』の素行の悪さが原因だろう。

『バイクO』は運輸省非公認、つまりモグリの運送屋だ。
経費を安く上げる為に車体は持ち込みが原則、人員は未成年のバイト主体。
つまり、暴走族まがいの高校生やマジモノの暴走族が改造車なんかで配達してるわけだ。
彼らに比べたら俺はことのほか穏便に走っているわけだが、
頭の後ろで一本に結った赤い長髪がメットからはみ出してたりもするし、
俺も奴らと同類と見なされても、まあ、仕方ないのかもしれない。

側面の信号が青から黄色に変わり、そろそろスタートかな、というタイミングで、
俺のすぐ脇に一台のストリートタイプが滑り込んだ。
しかも路肩からではなく、登坂車線と追い越し車線の間を一直線に走ってきやがった。
『バイク丸』も驚く無法者は、俺の蹴りが届きそうなすぐ脇にバイクを停めると
俺をあおってか、バリバリと無駄な空ぶかしを連発した。

俺は横目でロクデナシの車体を盗み見る。
YAMHAのTWあたりに手を入れた改造車だろうか、
ネイキッドの華奢なボディに耕運機まがいのバカ太いタイヤを装着している。
敢えてバランスを悪くするその意味が分からない。
無理矢理用途を推測してやってもいいが、実際は「気分」とかそんな理由かもしれない。
だとすれば真剣に考えた分バカをみる。

バカ太タイヤの用途はどうであれ、信号は青に変わった。
俺はいつもの調子でアクセルを開けて、信号待ちの間に掃けた車道に走り出す。
寒風に吹かれて一向に暖まらない俺の身体とは対照的に、愛車のエンジンは
シングル独特のトルクを軽快な振動に乗せて俺に伝える。
もらい物のSR400は絶好調だ。


当時。あれはまだ俺が大学に在籍していた頃だから、5〜6年以上前だろうか。
行きつけの薄暗い安バーのカウンターで、よく隣同志になる男がいた。
年の頃は40代、疲れたサラリーマン風体のその男は、大手企業の営業マンだと俺に語った。
脱サラを志し、とりあえずは無許可でバイク便の経営を始める予定らしい。
その時はライダーとして登録してくれないかと言う。
酒の席での他愛ない会話だと思って、俺は適当に請負った。

それから数ヶ月間、彼の姿を見かけなかった。
再会したのはやはり同じバーのカウンターだった。
その時、彼はいつもの疲れたスーツ姿から、カジュアルなシャツに着替えていた。
少々頭が薄くて腹も出た40代の男が何に着替えようが構わないが、
要は、彼は本当に会社を辞めて起業したということだった。

そして俺は本格的にライダーとして誘われた。
誘われたというよりは、懇願された。
「実は、アンタ以外のライダーは皆俺の地元の高校生なんだ。
つまりはその・・現役のゾクなんだよ。
とてもマトモな企業の出入りは無理だ。
だけど俺が営業がてらコネをつけた出先は、どこも一流企業なんだ。頼むよ。」

当時俺は大学を留年中だった。このまま中退しようかどうか決めかねて、
毎日フラフラと日銭を稼ぐバイトなんかで過ごしていた。
赤く染めた長髪も伸ばしたまんまだし、外見も中身も、決して俺はマトモじゃなかった。
そんな俺よりもマトモじゃない連中ばかりが集う会社とは一体。
始める前から終わっている気がした。
しかし起業したての社長の前で言える言葉でもない。
それに酒の席の話とはいえ、一度は請負ったという経緯もあった。

近いうちに行くよ、と約束して俺は席を立った。
去りがけの俺に、男は刷り立ての名刺を押し付けてきた。
「迅速、格安、バイク便なら『バイクO』」
事務所の住所はこの店のすぐ近くだった。


その翌日、俺は昼からバイク屋を数件ハシゴして回った。
迂闊に約束したところで、その実俺はバイクを持ってもいなかった。
何故かというと、アパートに駐輪場も駐車場も無いせいだ。
大学に入って兄貴のアパートを出てからは、ほとんど乗ってもいない。

バイク屋を回った結果、動けばいいという程度の条件でなら、
買えそうな中古は何台もあった。
問題は駐車場だ。
こんな学生街でその辺に路駐しておいたら、絶対一日で盗まれる。
頑丈なキーをつけたところで、バラされてパーツが盗まれる。

どうしたもんかと考えながら、俺はいつもの店に足を向けた。
飲み処が店を開けるにはまだ早い時刻だったが、
マスターとはもう顔馴染みだったから、入れてもらえる目算があった。

その当時の俺は、定期的な昼間のバイトがなくなって、かなり暇だった。
中退するかどうかはともかく、単に生活の為にも
新しいバイトを探さなければならないタイミングだった。

その少し前まで、俺は中世の社交場めいた成金趣味の喫茶室でチーフマネージャーをやっていた。
白いシャツに蝶タイという、全く俺らしくもないコスチュームを身にまとい、
着飾った有閑マダムに「いらっしゃいませ」などと腰を折ったりしてたわけだ。
その職がなくなったのは、別に俺がクビになったからじゃない。
バブル絶頂期にオープンした高級喫茶室はじきに元が取れなくなって、
俺が入る前からワインバーとして改装オープンする事が決まっていた。
俺はその間のツナギ営業のマネージャーとして雇われていた。
そうでなければ成金趣味の喫茶室のチーフマネージャーが学生バイトのわけがない。

だが、オーナーが新しい店の内装に凝り過ぎて、
テーブルはどこ産のマホガニーじゃないとダメだとか、
輸入業者とのそんなやり取りが長引いた結果、ツナギ営業は延びに延び、
俺のクビも思惑以上につながっていたというわけだ。

しかし間もなく来るべき時は来て、高級喫茶室『Arcadia』は無事閉店し、
その後は紳士淑女が夜に集うスカしたワインバーとして生まれ変わった。
バイトの俺は契約通り円満に店を去った。
そしてそれはちょうど、戒而が俺の前から姿を消し、
俺が宗蔵と会わなくなった時期とも一致していた。

前の店の名『Arcadia』とは、古代ギリシアの牧歌的田園のことで、
一般には純朴平和な理想郷を意味するのだと、
俺は店を辞めた後に知った。


ともかく、その時の俺の懸案は駐車場だった。
「駐車場駐車場、駐輪場でもいいけどね」とか心で呟きながら、
俺は狭くて細長いテナントビルの階段を地下に降り、
行きつけの薄汚れたバーの扉を開けた。
予想通りに客はまだ誰も居ず、マスターだけが何故か客席にうずくまっていた。

俺の顔を見るなり、マスターは俺に縋ってにじり寄り、紙の束を押し付けてきた。
ラリってんのかな、と、俺はそう思った。
若い頃はバンドでそこそこ儲けていたという噂のマスターは、針金のように痩せこけている。
クシも通らなそうな伸び放題の長髪と栄養失調の体格を見るたびに、
俺は磔にされたキリストを思い出す。

普段から彼は、カウンターの向こうで時折目の焦点が合わなくなったかと思うと
ふと姿を消し、戻って来る頃には生まれ変わったかのように生き生きとしてたりする。
便所でクスリを打っているのは誰の目にも明らかだ。

「もう、ココ来ないから。」

マスターの言葉には力が無く、目の焦点も定かではなかった。
ラリっているというよりは、きれかけている方かもしれない。
その後の曖昧な言葉の切れ端を拾い集めると、こういうことだった。
「借金でヤクザに追われて夜逃げする。指紋も消して戸籍上存在しない人間になる。
だから店はやる。単に夜逃げしても構わないが、通ってくれた客の居場所を失くすのは忍びない。
今日一番の客に店を譲ろうと思っていた。一番の客がアンタで良かった。」

クスリを買うのに見境も無く高利貸しに借金したんだろう。
中毒者には良くある話だった。
俺は押し付けられた紙切れを一枚づつながめた。
営業許可証、テナント契約の証書、ビルオーナーの連絡先等々。
店を捨てて逃げるというのは、本気らしい。

俺はさっきから頭に渦巻いている唯一の懸案を口にした。
「駐車場は?。」
「ビルの裏にテナント全体の駐車場がある。ウチのは一台分だけ。」
バイク一台停めるにはそれで充分だった。

「あとはよろしく」と、まるで半日留守にするだけみたいな軽い別れの言葉で、
マスターは何も持たずにヨロヨロと店を出た。

俺はようやく駐車場を手に入れた。
しかし、店までついてきた。
どうするべきか。

カウンター5席、テーブル席10席の狭い飲み処とはいえ、オーナーとなると問題は多い。
テナント料を稼ぎ出せなければ、幾ら働いても収支はマイナスだ。
さてどうしようと座り込むうちに客が来た。
オーナーはさっき逃げたとは言えなかった。
いずれ戻ってくる可能性も捨てきれない。

手にしたままの書類の束を丸めて隠すと、俺はカウンターの向こうに回った。
マスターは旅行中で俺バイト、とか、とりあえず客には適当なことを言った。
実際前にバイトで手伝った事もあったし、客が不審がる様子も無かった。
その時に、俺の将来は決まったのかもしれない。

幸か不幸か(多分不幸の方だろう)、数年後の今も、マスターは戻らない。


- 続 -



Return to Local Top
Return to Top