三蔵の語りで。続きです。




夕刻の境内。
寺の大門に背を預け、俺は悟浄を待った。

手持ち無沙汰で煙草を咥えては火をつける。
吐き出した紫煙の消える先を視線で追って見上げた夕刻の空は、
迫り来る灰色の雨雲が、稀有な日没の橙(だいだい)を
覆い隠そうとしているところだ。

近くの村まで悪党を片付けに出たヤツを
敢えて出迎えるのには理由がある。

任務遂行後は報告に寺に寄れとは言い渡してあったが、
来たら来たで坊主と再度くだらない喧嘩を始めないとも限らない。
つまりは報告だけ受けたら門前払いする為に俺はここに居る。
いやしかし、
それだけの為とも言い切れない。

ヤツとは、話すべき事があった。

(『悟浄がここに居てくれって言うもんですから。』)
俺は八戒の台詞を脳裏で復唱した。
アイツが嘘を付いたとは思えない。
おそらく悟浄は本当にそう言ったのだろう。
(あのバカが。)

冷たくなりはじめた風が俺の頬を掠めて
咥えた煙草の先の赤を瞬間強めた。


アイツらがどうなろうが俺は構わない。
その想いとは裏腹に、何かをしくじったような釈然としない想いがある。
どんなバカバカしいかたちであれ、うまくいくならそれに越した事はない。
しかし全てが裏目に出た場合、見過ごせるだろうか。
そもそもの発端には、俺自身がかかわっていると言えなくもない。

八戒は極刑を望んでいた。
適当な台詞で三仏神を言いくるめて、
アイツを生かしたのは俺だ。

死に損ねた男は、妙な相手に固執した。
アイツは本当に悟浄に惚れたんだろうか。
(・・・。)
うんざりした。
全くバカげた展開だ。
そしてくだらない事を真剣に推し量る俺自身にも嫌気がさす。
しかも要点はそこじゃない。

愛情か依存か、その辺の判断はつかないが、
生き続ける目的になり得るような存在に出会うのは悪くないだろう。
逆に死に損なった男はそんなものにでも縋らなければ
生きられないのかもしれない。
唯一アイツが間違ったと思えるのは、その相手だ。

半身を失った壊れかけが縋りつくには、
ヤツはアバウト過ぎる。

そう。要はそういう事だ。

アイツがヤツの元に戻る前に、
「寺で働け」と一言告げれば良かったのかもしれない。
アイツもそれを望んではいなかっただろうか。


八戒がどうかは知らんが、
どう考えても悟浄が男に惚れるとは思えない。
その上に一人の男で満足しておとなしくしてるなんてのは、
ヤツには逆立ちしても無理だ。
ヤツが悪党だと言うわけじゃない。
単に人には得手不得手があると言うことだ。
ヤツにおとなしくしてろと言うのは、サルに食うなと言うようなもんだ。
所詮、無理な話。
なのに輪をかけて悪い事に、ヤツはそれを告げかねている。

相手を間違ったアイツと
目先の善意で状況を更に泥沼にするヤツ。
どうしたもんか。

自然と溜息が漏れた。

それにつけても面倒だ。
ほっといたら最終的にどうなるだろう。

八戒が悟浄を刺し殺してその後に首をくくってる図が
即座に俺の脳裏に浮かんだ。
(・・。)

重ね重ねうんざりだ。

死ぬなら死ね。
馬鹿共が。

まあ良く考えればそれは単なる俺の想像だ。
それにつけても。



深く吸い込んだ煙を夕暮れの薄明るい空に向けて吐いた俺の背後で、
安全靴が砂を噛むノイズが近づいた。

大門の端に寄りかかる俺に気づく様子もなく、
ポケットに両手をつっこんだ赤い長髪が
うつむき加減に俺の脇をすり抜けた。

「コラ。」
「お?。」
呼ばれて振り向いたその男は、全身に血をこびり付かせていた。

「これはこれは。わざわざ俺様をお出迎え?」
「・・血まみれの割に軽口は減らんな。」
「ああコレ?。半分は俺のじゃないから。」
「半分はお前のだろうが。」
「そーゆうこと。いつにも増して俺って男前?。」
「・・。」

頭痛がした。
話すべき事があったはずだが、
このフザケたノリのどこで何を言うべきか。
やっぱりお前ら好きに死ね、とそんな気分になった。

黙りこくった俺の脇をすり抜けて
そのまま帰るのかと思えた紅い長身は
立ち尽くす俺の足元に
どっかりと座り込んでは自分のポケットを探った。

「火、ある?」
「貸さんぞ。どうせ持ってんだろ。」
「・・ケッ。」

見下ろして確認するまでもなく、
直後にジッポーの蓋の開く小さな金属音が俺の耳に届いた。
やっぱり持ってやがる。

俺たちはお互いそっぽを向いたまま、
しばらく煙草をふかし続けた。

先に静寂を破ったのはヤツだ。
「三蔵、あのさ。」
「何だ。」
「・・やっぱりいい。」
「殺すぞ貴様。」
話すべき件があるのはヤツも同様らしい。

「アイツの事なんだけど。」
「言うならはっきり言え。」
「八戒。」
「それは分かってる。」
「・・あーそう。」

俺たちはお互い顔をそむけて紫煙を吐いた。
野郎同士のこういった話題以上に具合の悪いものは無い。

「俺、負けみたい。」
「あ?」
「アンタに教えとく必要もないんだけどさ。
こないだ寺に駆け込んじまったし、一応報告ってゆーか。」
「何を言ってるか全く分からん。」
「・・あ〜そう。」

ヤツがボリボリと頭を掻いた気配がした。
口説き上手で喧嘩っ早い男が、
肝心なところはコレだ。
面倒臭さの余り、俺は血圧が上がり始めた。

「無理なんだよ貴様には。」
「へ?」
「俺が分からせてやろうか。」

俺は腹が立っていた。

だが正直に告白すれば、
来るものを拒むことを知らずに
無理を承知で総て包み込もうとする、
馬鹿の付くヤツ人の良さ加減に
惹かれた部分も無いとは言えなかったかもしれない。


俺は短くなった煙草を投げ捨てると、
ヤツの傍らに肩膝を付いた。
怪訝そうに俺を見たヤツに手を延ばしては、
返り血をこびり付かせたその頬に触れた。

信じられないモノでも見たかのように
俺を凝視する、ヤツの顎を俺は片手ですくっては顔を寄せた。
乾いた無骨な唇に、俺は黙って口付けた。


「な!。ななななな!。」
ヤツが言葉を取り戻したのは、俺がヤツを離した数コマも後だ。
ヤツは仰け反って両手を後ろに付いては、
立ち上がった俺を見上げた。
「何?!」

大した動揺振りだ。
このザマでは八戒もさぞかし攻めがいがあった事だろう。

直接的な刺激に自分がどれだけ弱いか改めて思い知れ。
変わらぬものを求める弱い心は
いずれお前の元では息がつけなくなる。
それがお前のせいではないにしても。

仰け反って俺を見上げるヤツに、おれは顔を寄せて尋ねた。
「続きも、ご所望か?。」

俺と見つめ合って目を見開いたまま、
ヤツは音をたて生唾を飲み込んだ。
とことん正直者か。

「俺・・」
何かを言いかけたヤツの顔に、遥か上方から小さな水滴が落ちた。
ふと空を見上げたヤツの頬で水滴は涙のように流れ落ちた。
「雨だ。」

警告、あるいは牽制のように突然降り始めた雨は
ヤツのみならず当然俺にも降りかかり、
俺の白い法衣を濡らし始めた。
そしてヤツの口から漏れたのは意外な台詞だった。

「俺、帰るわ。」

ヤツは立ち上がって砂を払うと、
俺から視線を反らしたまま、寺の大門をくぐりぬけた。

俺が見送る視線の先、
ヤツは数歩歩いて振り返った。
「また。また今度。ぜひ。」
「・・あり得ねえ。」
「そう言うなよ。お願い。」

いつも通りのふざけた軽口をたたいて、
ヤツは俺に手を上げて見せた。
それから、走り出した。
長髪の後姿はあっという間に視界から消えた。


俺は振り返ると、
濡れるのも構わずに境内までゆっくりと歩を進めた。
考えるべき事があった。

俺は新しい煙草を咥えると
雨を片手で避けながら火をつけた。
味のしない煙を深く吸い込んでみる。
俺は何かを取り違えていたかもしれない。

(惚れたのは、ヤツの方か?)
アイツじゃなくて。

有り得るだろうか。
あの女好きが。
(・・。)

つい足を止めて考え込んだ俺の背後に、
リーチの短い足音が響いた。
と、思うや否や、俺の背中に小動物がブチ当たった。
「ただいまっ!。」
悟空か。

「何故当たる!。痛いだろうが!。」
「だって!。急には止まれないだろ!。」
今までのややこしさとは違った種類の頭痛がした。

「八戒が三蔵によろしくって。」
「・・ああ。」
「でもさ、八戒のメシ、食えなかった。」
「?。」
「大変だったんだよ。しゅらばだったんだ。」
「何だそれ。」
「ライバルがいたんだ。八戒の。」
「誰だ。」
「知らない。はんぶん裸の女のひと。」
「ああ?!」
「なあ、三蔵、ライバルって何?」
頭痛は今や頭の芯まで響いていた。
「・・『敵』とか、そういう意味だ。」

「ふうん。でも八戒大丈夫だよ。」
悟空は俺を見上げて笑った。
「てくにっくにいぞんするんだって。」

俺の我慢も限界だった。
予告無しに悟空を殴りつけた。
「このバカが!。」
「何だよっ!」
「元々足りない頭にくだらねえこと詰め込んできやがって!!」

原因はアイツか。
八戒の野郎。
俺は胸の内で誓った。

今度会ったら殺す。


- 続 -
 


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