「いらっしゃいませ。今日も待ち合わせ?。」
「ああ。」
「仲いいんだね。」
「・・どうだろうな。」
「ご注文は?。いつもの?。」
「ああ。」
「ブレンドね。りょうかーい。」

子供めいた、しかし巨乳のウェイトレスは毎回俺に話しかけてくる。
まあしつこくはないので、我慢できる範疇だ。

そこは妙な店だった。
喫茶店の癖に高級クラブ並みの洗練された内装で、
駅に隣接するビルの3階という立地条件の良さにもかかわらず客が少ない。
店員はといえば、さっきのウェイトレスとホストめいた若い男が一人。

ウェイトレスの方は女なのにもかかわらずギャルソンの制服を着込み、
ローラーのついた靴で床を滑りながらオーダーを運ぶ。
責任者らしい若い男はといえば、肩下までの長髪を紅く染めている。

客が少なくて暇なんだろうが、紅い長髪の鼻歌は時折レジ付近から窓際の隅に座る俺にまで届く。
BGMも無いこの店で、フロア中央に据え置かれた白いグランドピアノはタダの飾り物らしい。

妙な事づくしだが、人混みの苦手な俺にとっては穴場と言えた。
混んだ飲食店すら苦手な俺には、大学から遠くない距離に喧噪を逃れる場所があるのは幸いだ。
それに加えて、俺はこの店から見下ろす夕方の街並みが気に入りかけていた。
俺らしくもなく、人が人として見える縮尺の、この風景が。

落書きで汚れた都会のコンクリートを背景に、雑多な人の群れが一様に夕暮れの赤に染まっていく。
ありきたりの夕方の景色をぼんやり眺めつつ、これでいいのだろうかなどとと考えてみる。

悟一の事だ。

連れ帰ったサルは俺にそう名乗った。
あの夜から3日が過ぎていた。


親子でも兄弟でもない俺たちの同居は、それなりに上手く運んではいた。
正確に言うのなら、うまくいっているのかどうかは不明だが大した不都合は無い、という事だ。
俺は俺自身の暮らしを続けていた。
ヤツがこぼしたり壊したり転んだりぶつかったりするのにはかなり辟易しているが、
俺は注意するより先に手足が出るタイプらしく、ストレスはそれなりに発散している。
作業部屋は立ち入り禁止にしたから、ヤツに壊されて困る物もさほど無い。

俺の生活で変わった事と言えば、朝に淹れるマズいコーヒーが二人分になったのと、
悟一の夕飯のためにこの店に通うようになった事くらいだろう。

しかし俺的に問題がなくても、悟一にとってどうなのかという疑問は残る。
世間一般に、高校生というのはどういう暮らしをするものなのか。
ガキの時分に観世に引き取られ、お互いの為にも早々に独り暮らしを始めた俺にとって、その辺は謎だ。

「悪ィ、遅れた!。」

重厚な入り口の扉を弾くように押し開けて、悟一は飛び込んでくる。
いつも同じ台詞だ。
と言うことは約束の時間に毎回遅刻しているという事になる。
商談でもないから俺は別に構わないが。

汚れた上下のジャージ姿もいつもと同じ。濡れていないだけでも前よりは随分とマシだ。

「いらっしゃいませ。ご注文は。」
「宗蔵は?。」
「俺はいい。」
「じゃ俺焼きそばとカレー。」
「・・お客様、誠に恐縮ですが当店にそのような品揃えは・・」
「ああ、構わん。何でもいいんだ。腹にたまりそうなもの適当に揃えてくれ。」
「かしこまりました。」

やたらと物腰の慇懃な長髪がオーダーを聞いて立ち去ると、悟一は俺に囁いた。

「おかしいよな。焼きそばもカレーもないなんて。」
「・・まあな。」

おかしいのはむしろそれ以外のあれこれだと思えたが、説明も面倒なので俺は曖昧に同意した。
そのあとは、俺達は特に話すべき事も無くなった。
世間一般の連れ同士は永遠に話題が尽きないように見えるが、アレは一体何を話しているのだろう。

俺は所在無く煙草に火を付けた。
悟一はといえば、部活がどうだとか俺に勝手に報告を始めた。
頭の方はともかく運動神経だけは悪くないようだが、サッカー部では補欠だと言う。
ボールを挟んでルールに従って云々というより、肉弾戦が得意なタイプじゃないだろうか。

「格闘技はどうだ。」
「どうって?。」
「ボクシングとか柔道とか、やったことあるか。」
「うん。オレ、わりと強い。」

なら何故サッカー部で補欠をやっているのだろう。
「サッカーが好きか?。」
「まあまあ。」

「まあまあ?。」
眉をひそめた俺に言い訳するように、悟一が言葉を継いだ。

「オレ、たたかうヤツだと、止めるとこ分かんなくなっちゃうから。」
「レフェリーかセコンドが止めるだろ。」
「だけどあれ、遅いよ。」
「遅い?。」
「もう相手倒れてたりするし。」
「・・倒してナンボだろ。」
「だけどさ。やっちまったあとって気分悪いじゃん。なんとなく。」
「・・。」

「お待たせ〜。」

会話が途切れた俺たちの前に、2人前の食事が運ばれた。
どちらも悟一の分だとウェイトレスは知っているから、皿は全て悟一の前に並べられた。
「アンタ食べ過ぎ。」
「うるさいな、あっち行け。」
「フンだ。ばーか。」

確かに食べ過ぎではあった。内蔵に問題はないのだろうか。
満腹中枢の障害だとすると、問題があるのはむしろ脳かもしれない。

俺の心配をよそに、吾一はリゾットとパスタを同時に頬張りながら、
「でもサッカーも好きだ」とか「センパイのシュートはすごくて」とか
「オレがリフティングやってたら」とかそんな話を延々続けた。
食べるのと話すのと、どちらかひとつにすればいいのではないかなどと思いつつも、
俺は頬杖を付いて目の前の少年を見つめた。

つい最近まではあの超音波怪獣の元にいたわけだし、それ以前はと言えば施設にいたらしい。
そういう場所のあれやこれやが、コイツの大きな瞳を曇らせる事はなかったのだろうか。

「なあ。」
リゾットを掻き込む悟一の手がふと止まった。
「宗蔵、つまんない?。」
「?。」
「宗蔵全然しゃべんないし、オレばっか話すけど、オレの話つまんない・・よな。」

俺は不意を突かれた気分だった。
自分がつまるのかつまんないのかなど今まで考えた事もなかったし、
それ以上に、俺の気分がどうかなどという些末事を誰かが気にかけるということ自体が、俺の想像外だった。

「ああ・・気にすんな。」

多少の動揺を隠す為、俺はコーヒーカップに口をつけた。
そういえば茶店で会話を繋ぐとか、そんな余りにありふれた行為自体が、俺には未体験だった。

「つまるとかつまんないとかいうなら、お前の話は、かなり面白い。」
「マジで?。」
「ああ。そのお前の蹴ったボールがコーチの頭を掠めてカツラを吹っ飛ばした話を続けろ。」
「うん!。」

自分で淹れるのよりは幾らかマシなコーヒーを啜りつつ、
俺は目の前の不思議な生き物を見つめていた。
とりとめのない話を聞いたり、人の食事を見守ったりする事は
別段退屈でもないと、俺は初めて知った。


- 続 -
 


次も、本当はこの回に入るはずだった分です。予定より長めになってしまい分けました。
Return to Local Top
Return to Top