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     それから。
     
     ミーティングというか短い反省会が済むまで僕達は悟一を待ち、
     そのあと4人で帰路についた。
     しかし本日の主役である悟一は見るも無惨な落ち込み振りで、
     僕達はかけるべき言葉も探せない。
     
     敗北が確定かと思えた後半戦の窮地で
     観客に希望を持たせた悟一の活躍は
     お世辞抜きで賞賛に値すると思えた。
     頭脳戦や中継ぎのパスワークには問題を残すにしろ、
     残り時間が限られていた今回の状況では、悟一の攻めの戦略は的を得ていた。
     しかしそれを口にしたところで、今の悟一には慰めにもならないだろう。
     
     言葉少なに肩を落として歩く悟一に
     梧譲は「サル猿」と口を出し、時折手も出した。
     それは梧譲なりの元気付けだったろうけれど、
     今に限ってはつまらない喧嘩で気が晴れるような悟一でもなかった。
     
     とりあえず食事でもしようかと、僕が提案した。
     しかし悟一の泥だらけのユニフォームでは入れる店がない。
     結局僕達はファーストフード店で適当にあれこれ買い込んで、
     持ち込んだそれらを公園で広げた。
     
     若いカップルがそこここにたむろする夕暮れ時の公園、
     僕達は噴水の縁に腰掛けて、買い込んだあれこれをピクニックみたいに広げた。
     池の中央から吹き上がる水飛沫は、小さな雫になって風に乗る。
     火照った身体を冷やすにはうってつけの場所で
     ハンバーガーやフライドチキンを目の前にしても、悟一の生気は戻らない。
     
     これはかなり重傷だ。
     
     「食え」とか「食っちまうぞ」とか梧譲は悟一にからんで、
     悟一が手にしたフライドポテトをわざと取り上げたりする。
     そんな事をしているうちに悟一は本気で怒り出し、
     間もなく2人はもはやじゃれ合いとも思えない喧嘩を始めた。
     そしてまあ大方の予想通り、二人して噴水の池に落ちた。
     
     しかし、飛沫を上げて池から立ち上がったのは、梧譲一人だった。
     
     (?。)
     
     梧譲の膝程度の深さの水に、悟一はうずくまるようにして顔をつけたままだ。
     落ちた衝撃でどこかを打ったりしたのか気になるところだが、
     体勢からすると、自分の意志でうずくまっているように見える。
     僕達3人はそれぞれが交互に顔を見合わせた。
     分けが分からない。
     
     悟一の潜水時間が20秒を超える頃、
     不安を押さえきれなくなった梧譲は、悟一を引きずり出そうと手を伸ばした。
     その時、悟一が「ぷはっ」と、水から顔を上げた。
     
     「うわ!。」
     「俺、来年はキメる。」
     「あ?。」
     「来年は、キメるよ。」
     
     みんなの期待に応えられなかったロスタイムのシュートのことを
     悟一はずっと思っていたのだろう。
     水の中で、彼はこっそり涙を流したのかもしれなかった。
     
     「期待してんぜ!。補欠のストライカー。」
     
     部活の先輩まがいに梧譲は悟一の肩に手を回し、
     その大きな手の平で悟一の肩をバシバシと叩いた。
     それだけにしておけばいいものを、梧譲はついでに悟一の首を背後から掴むと、
     再び悟一を池へと突き沈めた。
     
     「うわ!。」
     「はは。」
     
     梧譲に沈められた悟一はジタバタと暴れた後、水中で梧譲の足を掬い、
     2人はまたしても池の中で大暴れする羽目になった。
     
     状況はつまり、いつものベタな喧嘩になってきた。
     宗蔵はひとり「我関せず」といった素振りで、
     噴水の池の縁でゆったり一服中だ。
     
     子供より子供じみた兄貴分に愛想をつかし、悟一は先に池から上がりかけた。
     しかし懲りない兄貴分が水中で悟一の足を掬った。
     溺れる者は藁をも掴み、倒れる者は鬼の保護者をも掴む。
     身体を支える為に伸ばされた悟一の手は、
     意図せずして宗蔵を池へと引きずり込む結果となった。
     
     「馬鹿野郎!!。」
     
     頭から池に転落した宗蔵が怒らないハズが無い。
     
     結局梧譲と悟一は全身ズブ濡れのまま横一列に並び、
     宗蔵の説教を受ける羽目になった。しかも噴水の池の中で。
     
     上がってからにすればいいものを、説教する宗蔵自身がまだ池の中だ。
     怒って怒鳴り散らす者と怒られてうなだれる者の図は、本来なら緊迫感を漂わすはずだが、
     池の中央から吹き上がる水は、3人の頭の上に小さな虹を作って降り注いでいる。
     
     目の前の光景が可笑しくて、僕はひとりでクスクス笑い続けた。
     そしてその事が、水も滴る麗人の反感を買ったらしい。
     
     「オイ」と宗蔵に低く呼ばれて池の縁に寄った僕は、
     柔道で言うところの支え釣込足で池に投げ落とされた。
     
     
     それからは、まあ、至極ありふれた流れとして
     4人で大暴れだ。
     
     
     ◇◇◇
     
     
     間近に、人の気配を感じた。
     
     ふと目を開ければ、僕の目の前に悟一の顔があった。
     それも額がぶつかりそうな至近距離だ。
     
     「わ!。」
     
     声を上げたのは悟一の方だ。
     突然目を見開いた僕に驚いて、悟一は半歩下がってまばたきを繰り返した。
     どうやら今まで眠っていたようだと、僕はその時ようやく気付いた。
     
     僕が見回す周囲には既に夜の闇が落ちている。場所は屋外。僕は公園のベンチの上だ。
     少し先では宗蔵が別のベンチを専有し、倒れるように寝込んでいる。
     僕の視線は無意識に残りの一人を探す。
     宗蔵のベンチと池の縁の間、コンクリートの舗装の上に、
     直接大の字に横たわる大きな人影。・・梧譲。
     
     梧譲の足元には鉄製の巨大な屑籠が倒れて、
     中にあったのだろうゴミが辺りに散らばっている。
     寝ている間に彼が蹴って倒したんだろうか。
     
     寝起きの僕の頭には、ようやく記憶が甦りつつあった。
     
     池の中で暴れた僕達は全身ズブ濡れで、そのままでは帰りの電車にも乗れそうになく、
     お互いがお互いを責め立てながら、濡れた服が乾くのを待つ事になったのだった。
     そのうちに、皆が寝てしまったらしい。
     
     (・・。)
     
     僕達がこの公園にたどり着いたのは夕方だった。
     しかし今、辺りはすっかり闇に落ちている。
     一体何時間寝たんだろう。
     終電に間に合うだろうかなどと考えつつ、僕はぼんやりした頭を振った。
     
     「オ、オレ何にもしてないから。」
     「悟一?。」
     「まだ。」
     「え?。」
     
     僕はベンチに座り直し、
     僕の目前に直立不動の姿勢で立つ悟一を見上げた。
     焦り気味に語尾が震えた悟一の言葉の意味を理解するまで、
     僕には少々時間が必要だった。
     
     する、って一体何を。
     僕はうっかりそう聞くところだった。
     しかし、こういうシチュエーションでの何かと言えば、選択肢はあまり多くない。
     
     そういえば、僕は彼に告白されていたんだった。
     
     勿論、忘れていたわけじゃない。
     ただ僕には、もう少し違う意味に聞こえていた。
     いわば「かなり信頼している」とか、そういう意味だと勝手に思いこんでいた。
     
     怒られる事を予期した子供みたいに、
     悟一は口を真っ直ぐに結んで、僕を凝視していた。
     僕はそんな悟一を呆けたように見つめていた。
     
     自分の問題に手一杯で他人の気持ちをおざなりにしていたのは、
     梧譲ではなく、僕だった。
     
     「ちょっと早かったかも、ってオレも思う。」
     「あの・・。」
     「オレ、もっとマシになっから。」
     「悟一?。」
     
     「オレ、まだガキだけど、もっと大人になってそんでマシになったら、
     も一回ちゃんと戒ちゃんが好きだって言う。」
     「悟一・・。」
     「オレ、がんばる。」
     
     「そんな努力は、止めた方がいい。」
     「なんで!。」
     「貴方は今、もう、充分に立派な存在なのに。それに・・。」
     
     僕が言い淀んだ言葉の先を、悟一の真っ直ぐな瞳が促していた。
     
     僕は残酷だろうか。
     
     どうせ傷つくなら、早い方がいい。
     自分が選んだのと同じ選択肢を悟一に提示する以外、
     僕には持ち合わせる術も無い。
     
     「それに、貴方がたくさんたくさん努力して、
     いつか貴方が思うような存在になって、
     今よりももっと素敵な人になったとして、
     ・・それでも貴方の望む答えを、僕が出せなかったら。」
     
     「いいよそれでも!!。」
     「良くないでしょう?。」
     
     「オレ今戒ちゃんの事好きだもん!。」
     
     悟一の大きな瞳に涙があふれていた。
     決勝のシュートを外して、さっき公園の池で涙を隠した悟一の瞳が揺れていた。
     
     何か言い訳めいた言葉を探しても探せず、
     愚かな僕は僕自身が泣きそうになった。
     困って頭を押さえるような素振りで半端に顔を隠すと、
     僕は悟一から視線を逸らせた。
     
     僕が逸らした視線の先では、梧譲と宗蔵が寝転んだまま、
     死んだように身動きを止めていた。
     微動だにしないその寝姿は、何となく不自然だった。
     悟一の大声に目を覚ましたものの、
     話の内容が内容のせいで、起きるに起きれないといったところだろうか。
     
     そんな彼らにはおそらく気付かぬままに、
     悟一が繰り返して叫んだ。
     
     「今好きなのは、どうしようもないだろ!!。」
     
     そう。
     悟一はいつも正しい。
     
     誰かを想う気持ちというのは、僕自身がどうしようもないままだ。
     
     ぼんやりと明るい街の夜空を眺めるふりで、僕は頭上を振り仰ぎ、
     潤んだ視界を乾かしてから悟一に向き直った。
     
     僕はベンチに腰掛けた足を少し開いて、
     今叫んだ余韻もそのままに肩をいからせて立ち尽くす悟一を引き寄せた。
     僕に両手を握られて、僕の膝の間に立っても、
     彼は警戒する子犬みたいに瞳を震わせていた。
     
     相手が悟一に限っては、嘘や言い逃れは通用しない。
     僕お得意のポーカーフェイスも彼にだけは通用しない。
     だから、愚かな僕のありのままを語るしかない。
     
     「僕、ね。」
     
     悟一の両手を握りしめて、僕は悟一を見上げた。
     これから最高に馬鹿げた事を話そうというのに、
     僕の心は何故か、ここ最近にないくらいに穏やかだった。
     
     「僕、梧譲が好きみたいです。」
     
     僕の愚かな告白に、間近の僕だけが分かるくらいに小さく悟一が肯いた。
     きっと彼は知っていたんだろう。
     
     「だけど、僕は宗蔵も憎めない。
     それから、貴方。
     貴方のことが、僕はすごく大事です。」
     
     真っ直ぐ一文字に引かれた悟一の口元が、
     少々への字に歪んだ。
     彼が怒ったのか困ったのか、僕には分からない。
     だけど僕には本当の事を話すしかできない。
     
     「貴方の事が、すごく、すごく大事です。」
     
     乾きかけた悟一の瞳に、突然涙があふれた。
     
     またしてもつられそうになる僕に今や逃げ場は無い。
     僕は握った悟一の手を引き寄せた。
     僕は立ち尽くす悟一の腰の辺りに顔を寄せて、
     説明のつかない涙を隠した。
     
     「いーよ。それで。」
     
     とても静かに、控えめに、悟一が僕の髪に顔を埋めた。
     
     「でも、オレ、がんばる。」
     「・・悟一」
     
     突然気分が変わったみたいに、
     悟一は両手で勢いをつけて僕の肩を押した。
     だから僕はとても自然に、悟一を振り仰いでいた。
     
     「やっぱ、好きだから。」
     
     そして悟一は口の端を引いて、ニッ、と僕に笑った。
     僕が良く知っている、いつもの悟一だった。
     僕は呆けた年寄りみたいに、ただ彼を見上げていた。
     
     悟一は僕が思う以上に真っ直ぐで、強かった。
     
     彼は月みたいだと、僕はそんな馬鹿な事を思っていた。
     僕という暗闇を照らす、白くて純粋な光。
     
     僕はいつも空を見上げて、手が届くはずのない星を探し、
     目の前の月に気付かずにいたのかもしれない。
     
     「あ。」
     
     突然何かに気付いたみたいに、悟一が少し脇を見て、鼻の頭を掻いた。
     彼の視線の先を追って振り返れば、
     ベンチに寝転がる保護者様が、狭いスペースで身をよじったところだった。
     
     寝返りをうとうとして止めた、そんな風に見えない事もない。
     しかし見ようによっては「いい加減腰が痛いからもう起きるぞ」と
     僕達に警告したようでもある。
     どっちかと言えば、後者が正解だろうか。
     
     しかし、「ふわ〜」とか声を出しつつ大きな伸びをして、
     先に身体を起こしたのは梧譲の方だった。
     
     
     「や〜、おはよう。夜だけど。てか真夜中?。」
     
     間もなく宗蔵も最高に不機嫌な顔で起き上がり、
     僕達を睨んでは、寝起きの髪を掻き回したりした。
     
     僕と悟一はお互いがお互いを横目で確認しつつ、
     同じような情けない顔でちょっとだけ笑った。
     
     「うわゴミ!。」
     
     身体半分に降りかかったゴミ箱の内容物にようやく気付いたらしい梧譲が、
     起きあがってそれらを振り落としたもんだから、辺りには更に一層ゴミが散乱した。
     改めて確認すれば、ひっくり返ったゴミ箱以外にも、
     僕達がピクニックよろしく広げた食材の残りも散乱しているし、
     ベンチは斜めに据え置かれているしで、
     僕達の周りだけ季節外れの花見あとのような有り様だ。
     
     「・・片付けないとですね。」
     「・・だね。」
     
     面倒だなあ。
     僕にしては珍しく、そんな思いが湧いた。
     
     そして更に、僕には僕らしくもない妙案までもが閃いた。
     僕は梧譲と宗蔵の方を向いたまま、小声で隣の悟一に囁いた。
     
     「明日って日曜ですよね。」
     「うん。」
     「学校休みですよね。」
     「うん。」
     「逃げちゃいましょうか。たまには。」
     「へ?。」
     
     「おーいこっち来て手伝え〜。」
     
     これもまた珍しく率先してゴミ拾いを始めた梧譲が僕達を呼んでいた。
     
     「部活動も一段落したお祝いも兼ねて。」
     「に、逃げちゃうってどこへ?。」
     「そうですね・・もう夜だし、
     ナイトシアターでポップコーンでも食べながら映画観たりして、
     眠くなったらそのまま寝ちゃって、明日はその足で動物園なんてどうでしょう。」
     
     「すげえ!!!。」
     
     「何がスゴイんだよ早くこっち来てゴミ拾え!。」
     
     「でも・・。」
     「?。」
     「オレ帰ったら宗蔵に怒られる。」
     「・・ですよね。」
     
     確かにそうだった。
     それは彼と暮らす者なら絶対に避けたい局面だろう。
     
     「でも、いっか。」
     
     僕を振り仰いだ悟一の顔は、真夏の向日葵みたいに大きく輝いていた。
     そんな彼の明るい笑顔を目の当たりにすると、
     幾分照れくさい気分になるのは何故だろう。
     
     「・・行きますか。」
     「おう!!。」
     
     僕達はクスクス笑いながら、
     ゴミ拾い最中の梧譲と宗蔵に背を向けて駆け出した。
     
     「コラ!。何だお前ら?!。」
     
     「ちょっと遊んで来ます!。」
     「はあ?!!。」
     「明日中には戻りますからご心配なく。」
     「え?!。」
     「じゃ、あとよろしくお願いします!。」
     「何ィ?!!。」
     
     「悪ィ!!。」
     
     
     「うそお!!。マジで?!。」
     「コラぁ!!貴様ら!!。」
     「おーい猿!!。戒而もか?!!。」
     
     「貴様ら!!片付けろ!!!!。」
     
     - 続 -
     .

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