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     翌日。
     
     前日の約束通りに、僕達は悟一の応援に出かけていた。
     
     高校サッカーは毎年冬に大々的な大会が行われるが、
     今日の試合はその全国大会に向けた地区選抜だ。
     まだ地区予選の準々決勝の段階ではあるけれど、
     今日の相手高は悟一の高校と毎年全国大会への出場権を争う強豪だった。
     そんなわけで、応援席は地区決勝レベルの盛り上がりを見せていた。
     
     双方のブラスバンドが交互に応援曲を鳴らし、
     その合間に応援団の野太い声と女子高生の黄色い歓声飛び交う。
     
     僕達3人が座る一般席は、すり鉢状の応援席の後ろの方で、
     出場校の応援席と比べたら静かな方だ。
     それでも時折周囲からは「走れ」とか「今だ行け」とか
     魚屋かダフ屋めいた中年男性のダミ声が響く。
     出場選手の父兄だろうか。
     
     直射日光と興奮した観客の熱気でむせ返る屋外の応援席、
     宗蔵は前が見えるのかというくらい目深に帽子を引き下げて、腕を組んだまま身動きもしない。
     寝ているのかとも思える。
     しかし、味方チームのFWに絡んだ相手チームのDFがファールを取られた際に
     自分の肩を揉んだりしているところからすると、起きている可能性もある。
     
     宗蔵を挟んで両脇の席には僕と梧譲。
     僕達はお互いが前屈みになって、最近の高校生は体格がいいなあとか、
     あまり試合に関係ないことをボソボソ話していた。
     
     前半12分に相手チームがワンゴール決めて0−1。
     その後はお互いが守り抜き、現在後半35分。

     悟一のチームはアシストが絶妙な1トップ、
     相手チームはMFが多少薄いが、攻撃力に富む2トップ。
     実質的に関東Aの地区決勝と言える本試合は、高校生とは思えないレベルの高さだ。
     
     なのに僕達3人の応援には今ひとつ気持ちが入らない。
     何故かといえば。
     本人が予告した通りに悟一は補欠であり、
     残り時間10分を切った今も、補欠は補欠のままだからだ。
     
     「試合っても高校生なんだからさ〜。
     出してやってもいいじゃん。なあ。思い出作りってかさ。」
     「ですよね。」
     「だろ〜。」
     「でもそう言えば、悟一まだ一年生だし。」
     「いーじゃん、ちょっとはボール蹴らしてやれよ。」
     
     僕達の視界に広がるフィールドの外、タッチライン付近では、
     プロサッカーチームの監督まがいにスーツ姿で腕を組み、
     ボールを目で追う中年男性の姿がある。
     あれがきっと悟一のチームの監督だろう。
     
     聞こえるはずがないと知りながら、
     梧譲は僕達共通の願いを呟いてみたりする。
     
     「頼むぜそこのイケメンの監督。
     おサルちゃんを走らせてやってくれ。」
     
     「あの監督はハゲらしい。」
     「へ?!。」
     「あれはカツラだ。」
     「は?。」
     「今は植毛かもしれん。」
     「はあ。」
     「悟一が言ってた。」
     「・・そお。」
     「まあ、それだけだ。」
     「起きてたのね。宗蔵。」
     「ずっと起きてんぞ。俺は。」
     
     自己申告によれば起きてるという宗蔵を、梧譲が覗き込んだ。
     一度首を捻ったあとに、梧譲はこっそり宗蔵の背後から手を回した。
     しかしその腕は宗蔵の肩を抱く前に、宗蔵の手で叩き落とされた。
     確実に起きていると証明されたわけだ。
     
     残り時間6分、味方チーム唯一のストライカーが蹴りこんだシュートは
     ゴール中央を確実に捉えたが、
     ボールは相手チームのGKに胸の正面で抱きかかえられた。
     オンリーワンのFWは前半から走り通して、体力も限界を超えている。
     残念ながら、試合の勝敗は見えつつあった。
     
     その時。
     梧譲の声が届いたわけでもないだろうが、監督が大きく手を挙げて主審に選手交代を通告した。
     フィールド脇を顧みた後にグラウンドから走り去ったのは、かのオンリーフォワード君だった。
     だから僕達は、彼のポジションを引き継ぐ者が一年生の補欠君だとは期待すらしなかった。
     しかし、エースストライカーとハーフラインの端でタッチを交わし、
     グラウンドに駆け込んだ背番号かつ胸番号17番は、紛れもなく悟一だった。
     
     更に信じられない事に、悟一の姿を目の当たりにした応援席は異常なまでの歓喜に湧いた。
     味方応援席のほぼ全員が立ち上がり、悟一に熱いエールを送っていた。
     
     「・・?。」
     
     状況が理解できないまま、僕と梧譲は見つめ合い、首をひねり合った。
     超人気者の補欠とは、一体どういう事だろう。
     僕達の戸惑いをよそに、応援席は更なる歓喜に湧いた。
     気付けば僕達が首をひねった僅かな隙に、ボールは悟一の支配下におかれていた。
     迫り来るMFを左右にかわし、悟一は一気にハーフウェイを越え、相手エリアに駆け込んだ。
     その時咄嗟に相手チームのFW2人が反対側ゴールに駆け戻っていた。
     
     鋭く主審の笛が鳴り、悟一はオフサイドを取られた。
     
     「サルに頭脳戦仕掛けんなコラ!!。」
     
     梧譲の怒りは味方チーム観客席の思惑とも一致していた。
     しかし味方チームの野次と怒号を気にかける様子もなく、
     フィールドの外から相手チームによって投げ込まれたボールを、悟一は易々と奪った。
     観客席はまたしても歓喜に湧いた。
     
     同じ過ちを繰り返す事なく、悟一は今度はゆっくりとボールを運んだ。
     カットを仕掛ける複数のMFを左右にかわし、
     ペナルティアーク付近で微かに頭を上げてゴールまでの距離を目で測る。
     (来る。)
     敵も味方も次の瞬間のシュートを確信した。
     しかし悟一の動きはそれ以上に速かった。
     ゴールへの目測と同時に、悟一の足元からボールは蹴り出されていた。
     つまり、もう、来ていた。
     
     「!。」
     
     高く放たれたボールは、ゴールエリア中央に向けて綺麗な弧を描いて飛んだ。
     咄嗟にキーパーが両手を上げたが、間に合わない。
     
     「!!。」
     
     入った。
     
     誰しもがそう思った。
     
     しかしボールはゴールポストの上辺を直撃し、跳ね返った。
     興奮した観客席からは、歓声なのか悲鳴なのか分からない嬌声が上がった。
     
     金属の棒に止められて跳ね返ったボールは、一気にセンター付近まで飛び戻っていた。
     それは、今のループシュートの威力を物語っていた。
     もしボールの軌跡があと1センチ低かったら、
     例えポストに当たっても球は下向きに跳ね、ゴールが決まったかもしれない。
     
     しかしここでタイムアウト。
     残すはロスタイムのみ。
     
     時間が足りない。
     
     相手主導でフィールドに投げ込まれたボールを、味方チームのMFがカットした。
     カットしたボールは迷わず悟一へと回された。
     
     点差は1。
     あと1点だけ取り戻せば。
     
     会場全体、否、半分が、今は同じ祈りを共有していた。
     残りの半分は当然、先取した1点を守り抜くのを至上命題としている。
     
     高校生ばなれしたドリブルで悟一が敵陣に斬り込んだ。
     センターサークルを僅かに切り裂いたあたり、しかしそこは既に悟一のシュート圏内だ。
     危険を感じたのだろう、止めに入った相手チームのFWは、
     ボールを奪うというよりも体当たりの勢いで悟一に向かって走り込んだ。
     
     応援席は野次とブーイングに沸き立った。
     確かにスポーツマンシップ的にどうかと思える暴挙だ。
     しかしイエローカードを喰らっても相手を止めるという意地は買える。
     プロリーグなら決勝戦では見ない事もない戦法だ。
     
     しかし悟一はサッカーというよりラグビーめいた敵の猛進にもひるまず、
     ボールを自らの足先に止めたまま、格闘技のかわし技めいた避けで
     肩先から相手を受け流した。
     
     受け流しの勢いをそのまま蹴りの前振りにして、
     悟一の視線が遙か遠くのゴールポストを捉えた。
     
     そして。
     
     蹴りのその瞬間、猛進をかわされた相手FWは、突撃の勢いそのままに地へと倒れ込んだ。
     そのFWの足首は、力の向きを急に変えられた反動で妙な方向に曲がっていた。
     彼のすぐ脇の悟一には、腱が切れる音すら聞こえたかもしれない。
     
     シュートの大事な瞬間、悟一は彼に振り向いてしまった。
     
     ボールの元に駆けつけたもう一人の相手チームFWが、悟一の足元を掬った。
     コンマ数秒の差で、悟一が蹴りこんだ先に既に球は無く、
     相手FW必死の一蹴でボールはタッチラインの向こうへと大きく弧を描いた。
     
     選手の群れの中から飛び出して、フィールドの外へと遠ざかるボールを
     会場の誰しもが見つめていた。
     この試合の結末と、勝敗の行方を見守るみたいに。
     
     ロスタイム終了。
     
     
     試合は結局、0−1のままで幕を閉じた。
     
     
     
     - 続 -
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