「・・締めて\6,320になります。」

レジで金額を読み上げる俺は、果てしなく打ちのめされた気分だった。
支払いのこの時だけが、アイツと接近できるささやかな瞬間なのに、
何故か今日に限ってはガキが財布を持たされて支払いに来た。
アイツはといえばガキの後ろで、伏し目がちにくわえてた煙草に火をつけるところだ。

慣れない手付きで財布を開いたスポーツ少年に、退屈中の李厘が話しかけた。
「ね、あんた、サッカー部?」
「そうだけど、なんで。」
「それ、蒼学のジャージじゃん。あそこサッカー有名だから。ポジションどこ?。」
「オンナに関係ないだろ。」
「!!。」

ヤバい。
俺がそう思うより早く、李厘はガキんちょに掴みかかっていた。
どういうわけかは知らないが、李厘は「女だから」とか「女のくせに」とか言われると
突然火がついたよーに怒り出す。嫌なんだろーか女が。巨乳なのに。
それはともかく相手は客だ。おまけにアイツの連れだ。

「コラ!。」
「ばかやろおー!!」
「な、なんだよっ!!。」

止めるつもりが、李厘の剣幕に押されて、ガキんちょ同士のもみ合いに俺自身巻き込まれていた。
俺に片腕を押さえられても、李厘はガキを殴ろうと手を伸ばした。

「止めろよっ!。」

ガキんちょが李厘を押し返した。
軽く押し返しただけのよーに見えた。
なのに俺と李厘はひとかたまりになってブッ飛んだ。

「野郎!。」

思わず怒鳴った俺の肱が、背後で何か固い物に当たった。
直後に、細かいモノが床に飛び散るノイズが響き渡った。
振り返った俺は硬直した。
俺がブチ当たったのは、アイツが片手に下げた小振りの木のケースだった。

アイツは手元を見て舌打ちすると、しゃがみ込んで落ちた細かいものを拾い始めた。
俺や李厘や他の一切を気にかける様子もない。

「スイマセン!。」

俺の声も聞こえないみたいに、アイツはただ落ちた細かい物を拾い集めるのに専念した。
俺も咄嗟にしゃがみ込んで、足元に散らばる小物を寄せ集めた。
掃き清められたマーブル柄のフロアに散らばったのは、
マーガリンをぬるようなナイフ数本と沢山の小さいチューブ。なんだろ、絵の具?。

アイツは木の箱を床の上に開いて、拾い集めたナイフとチューブを几帳面に並べた。
どこに何を入れるってのが決まってるらしい。
自分が拾ったのを並べ終えると、アイツは俺に手を差し出して俺が拾ったのを要求した。
その際も、アイツの視線は箱に注がれたままで、決して俺を見る事は無い。

拾ったチューブを一つづつ手渡し乍ら、俺はアイツを見つめていた。
ほんの少しの陽差しにも透けそうな色の薄い髪から覗く、
切れそうにシャープな顎のライン。野郎とは思えない程に滑らかで青白い肌。

決して振り向かないんならそれでも構わない。
ずっとアンタを見ていたいんだけど。

だけど、拾った5〜6個のチューブを渡すのなんて、ほんの数秒で済んでしまう。
俺に向き直りもせず差し出されるアイツの白い手に、俺は最後の一個を手渡した。

「アンタの髪の色だな。」

心臓が止まるかと思った。

ふと視線をあげたアイツが俺を見つめていた。そして確かにそう言った。
他の誰にでもなく、俺に。

無意識に固まったままの俺を、アイツは言葉の通じない白痴だと思ったのかもしれない。
頭の足りない生徒に教える教師みたいに、俺が最後に手渡したチューブを、
アイツは俺の目の前で振ってみせながら、もう一度言った。

「アンタの髪の色だ。」

振り上げてみせる絵の具の向こうで確かに俺を見つめたアイツが、
俺の目には一枚のスナップ・ショットになった。

「・・まあ、だからどうという事もナイな。」

失礼、と、そんな風に呟いて、アイツが最後の一つを箱に閉まった。
一度は俺に向けられた細い対話の糸は再び途切れて、
そもそもなんにも無かったみたいに、アイツの横顔がいつもの冷たい風を孕んだ。

「あの!。それ俺に下さい!。」

バカ。何言ってんだ俺。

「そ、それ、俺に下さい。」
「・・アンタも絵、描くのか?。」

俺は機械仕掛けの人形みたいに細かくうなずいた。
勿論絵なんか描いたことは無い。
最後に描いたのは中学の美術の時間だろうか、
毛の生えた渦巻きに加えて中央に直線のアレを画用紙いっぱいに書いて、
体育会系の乱暴な美術教師にブン殴られた記憶がある。

「描く。描きます。」
「え〜、チーフ、絵描くの〜。」

黙れ李厘。黙ってくれ。頼む。一生のお願い。

アイツは手のひらに残る小さいチューブと俺を見比べては、不思議そうに片目をひそめた。
それから、手にしたそれを、俺に放り投げた。

「使いかけだぞ。」

反射的にソレを受け止めて、俺は、ありがとうと笑うつもりだった。
なのに緊張し過ぎたせいだろうか、俺は頬を引きつらせて、へッ、とか声を漏らしただけだった。

「行こうよ。」

ガキんちょが重いドアを押し開けてアイツを呼んでいた。
当たり前のように振り向けられたアイツの背を俺は目で追った。
もう会えないんじゃないかと、そんな不安が咄嗟に胸に広がった。

「あのっ!。」

俺はエントランス前でアイツを呼び止めた。
脇の李厘をひっつかむと、俺はジタバタと暴れる小悪魔を押さえつけ、
無理矢理頭を下げさせた。

「ウチの店員が失礼しました。」
「気にしてない。」
「ああのまた・・またお越し頂けるでしょうか。」

このフロアはテナントビルの3階。
アイツが答えるより先に、アイツ達の前でエレベーターの箱が停まって、
去り際を急かすみたいに大きな口を開けた。

「ああ。」

最高に短い答えに俺は救われた気分で、
李厘の頭を押さえつけながら、自分も深く頭を下げて二人を見送った。

俺が目を上げると、そこにはもうアイツらの姿は無かった。
エレベーターの小さな表示灯は、赤く点滅して1階を示していた。

「なんだよもうっ!。」

怒って俺の背中を殴ったり蹴ったりする李厘は、今の俺にはアウトオブ眼中。
俺は、夢が夢じゃないと確認するために、ゆっくりと握りしめた手のひらを開いた。
そこには確かに、携帯歯磨き粉みたいな、白いラベルの小さいチューブが存在した。

『クリムゾン レーキ』。
知らなかったけど。

俺の髪の色だ。


- 続 -
 


次回から語り手一旦変わります。
悟空以外の3人を同じ比率で扱う予定です。
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