25


     
     「荷物、持つ?。」
     「いい。」
     「そお。」
     
     俺とハニーの会話は史上最高にそっけない。
     だけどそれがハニーの素なんだと俺には分かりかけていたから、
     全然気になんかなんない。
     
     夕方の残照が闇に溶け出した駅前の通りでは、
     車のライトとネオンの灯りが目に付き始める。
     帰宅ラッシュも峠を越えた時間帯、
     通りには遊びに繰り出す相手を待ち合わせる人待顔が溢れてる。
     
     
     俺達が店を後にしたのは、俺が閉店のあれこれを終えた後だから、
     結局午後8時過ぎだった。
     
     それまで一体どんな事があったのかといえば。
     
     俺は店に居残ったカップル客を早く帰しちまうため、
     普段は切ってある有線のスイッチを入れた。
     いかにも閉店くさい曲でも流すつもりだった。
     
     ちなみに有線のボックスは終始レジ下に待機している。
     あのスカした高級店の雰囲気に合いそうなチャンネルは俺の趣味じゃないから、
     普段は店長権限で放送を切ってある。
     好きじゃない曲とか流れてるとテンション下がるっしょ。
     その理論を逆手に取って本日はお客様にも早々に退出願うというもくろみだった。
     
     しかし、普段使ってないせいで、
     ボリュームのツマミが最大になっている事実に俺は気付かなかった。
     天井に据えられた、コンパクトだが重量感ある音質で知られるBOSEのスピーカーは
     曲というよりも衝撃波を叩き出し、俺も客も共々に居たままその場で飛び上がった。
     その後で俺は李厘にこっぴどく怒鳴られ、また怒鳴り返したりもした。
     んな事をしているうちに幸か不幸か閉店前に客は皆帰った。俺的には勿論幸だ。
     そしてひとり、俺のハニーだけが残った。
     
     俺が一方的かつ強引に取り付けた約束を守って、
     ハニーは俺を待っていてくれた。
     
     
     街頭と道端のネオンが照らし始めた夜の路を、
     俺とハニーが肩を並べて歩いている。
     ハニーは画材道具らしい木の箱を片手に下げて、
     いつものソフト帽を目深にかぶっていた。
     俺は年中手ぶらだから、手持ち無沙汰の両手をジーンズのポケットに突っ込んで、
     ハニーの横顔がよく見えるよーに少々前屈みだ。
     
     どーしても浮かれちまう俺の足取りはスキップ気味だったりして、
     擦れ違いざま女の2人連れが「ホモじゃない?」とか囁きやがった。
     だったらどーなんだよ。文句あるか。
     俺はもう背中に「ホモです」と書いた紙を貼られたって構わねえ。
     相手がハニーならな。
     
     「ソレ、お気に入り?。」
     「どれ。」
     「帽子。」
     
     何気ない会話のきっかけのつもりだった。
     だけどハニーは俺の指摘で初めて帽子の存在に気付いたみたいに、
     ふと手を頭にあてては、毟り取るみたいにそれを掴み取った。
     だから俺は、ちょっとだけびっくりした。
     
     「何だ。」
     「ええと・・。別に。」
     「それとも、かぶってた方がいいと思うか。」
     「え?。」
     
     よく分かんない会話だった。
     だから俺は分かんないなりに正直に答えた。
     どっちがいいかってゆーんなら、余計なものはない方がいい。
     無い方が、ハニーが直接見えんじゃん?。
     
     「似合ってると思うけど。どっちかっつーんならない方がいいな。」
     
     そんな答えが正解だったのかどうかは分からない。
     だけどハニーは「フン」とか鼻息みたいな答えを返した。
     どうやら納得したみたいだ。
     よく分かんねーけど、面白いや。
     
     俺たちは駅前の喧騒を過ぎて、商店街の裏通りへと差し掛かっていた。
     今まで2回くらい行ったから知ってるけど、
     ハニーのマンションまではもうあと少しだ。
     誘うような飲食街の灯りも尽きて、
     路を照らすのは飾り気のない街頭と、道路工事の蛍光灯。
     期末の予算使い切り作戦だろーか、そういやこの通りは前からずっと工事中だ。
     
     「年中工事してやがる。」
     
     ふとハニーがそんな愚痴を漏らした。
     同じ事考えてたのかなと思うとなんかおかしくて、
     俺は一人でクスクス笑った。
     そんな俺をハニーが不審気に睨んだ。
     
     俺は照れ隠しにポケットを探って、ハイライトのソフトケースとジッポーを探った。
     俺のポケットの中で、煙草やライターと一緒に小さなチューブが指先に触れていた。
     絵を貰ったお礼と、つまんない嘘をついたお詫びと、今日はそんな事を話すつもりだった。
     だけど俺はいつだってつまんない事ばっかしゃべっちまう。
     俺はただ、ポケットの中で折れ曲がったソフトケースを取り出すと、一本くわえて火をつけた。
     
     「知ってる?、都庁と皇居って地下でつながってるんだって。」
     「あ?。」
     「戦争中の地下壕が残ってて、つながってるんだって。
     だから、何かあった時も国会議員と天皇はすぐ逃げれるんだって。」
     「はあ?。」
     「でもさ、出口が都庁と皇居の2箇所だけじゃ不便っしょ。
     だから夜中こっそり工事して日本中に出口を増やしてんだって。
     って、タクシーの運ちゃんが言ってた。」

     「・・お前もしかして信じてんのか。」
     「夜酒のんでバイクで帰れなくなった日が2晩続いてさ、
     どっちも仕方ねーからタクシーで帰ったんだけど、
     全然別系列のタクシー会社の運ちゃんが同じ話をするわけよ。
     始めはまさかと思ったけど、2晩目には『もしや』って思ったね。」
     「賭けてもいいが貴様騙されてんぞ。」
     
     ハニーが片眉を上げて、憐れむように俺を見た。
     俺は両手をポケットに突っ込んだ姿勢で、くわえ煙草のまま笑った。
     
     「でもさ、楽しくない?、
     夜道路工事見るびに『クソ〜、議員と天皇め〜』ってみんなが思ってたら。」
     「みんながそんな話知ってるか。」
     「広まるかもしれねーじゃん。日本中に。タクシードライバーの情報伝達網はあなどれねーぜ。」
     「・・貴様自身も馬鹿な噂を広めるのに一役買ってるしな。」
     「まーね。」
     
     夜中までガタガタやるわけにはいかないからだろう、
     道路工事の最終地点は住宅街の始まりだ。
     駅前からハニーと並んで歩くことたった10分程度、
     ちょっと前まで一体どんな奴らが住むんだろーと漠然と疑問を感じていた超高層マンションが
     俺の目の前にはそびえたっていた。
     そこがつまり、ハニーんち。
     
     エントランス手前のスペースには舗装面の両脇に植え込みの花壇がしつらえてあって、
     舗装地に直接埋め込まれたライトが辺りに柔らかい照明を投げかけたりしている。
     マンション全体の前庭と言ったところだ。
     セレブかエグゼクティヴかは知らねーが、庶民にふさわしくない場所である事は間違い無い。
     
     エントランスの自動ドアの手前で、ハニーは俺に短く「じゃあな」と告げた。
     
     うそお。
     
     あっけなくない?。
     上がってくかとか普通聞かない?。
     
     ・・聞かないんだよ俺のハニーは。
     分かってるじゃんそんなこと。
     
     「あの!!。」
     
     呼び止める言葉も探せないままに、俺は駆け寄っていた。
     殆ど反射で俺は肩を掴んで彼を振り向かせてしまった。
     急な勢いで手にした画材箱を落としそうになったハニーは、
     俺を罵倒するのが一拍だけ遅れた。
     その隙に俺は片腕でハニーを引き寄せて、
     もう片方の手で彼の頬を包み込んでいた。
     
     そのまま唇を奪っちまえばいい。
     なのに俺が一瞬間を置いたのは、伝えたかったからだ。
     俺は別に強姦したいわけじゃないんだと、分かってほしかったからだ。
     ヤっちまいたくないと言えば嘘になる。
     てゆーかもうヤりたくてたまんねえ。
     そんな事を思ってるともう何が何だか分かんなくなってきた。
     俺はもうただ本能にまかせて感触を求めた。
     
     俺の一方的な熱でも構わない。
     アンタんなかに俺を刻み付けたい。
     
     ダメだ。
     止まんなくなりそう。
     
     まだ2回めなのに。
     でもそんじゃ何回めならいーんだよ。
     
     キスだけじゃ足りないと肌をまさぐりそうになりそうな自分の手を
     俺はカケラだけ残る理性で引き剥がした。
     それにはもうスゴイ気力が必要だったわけで、
     気がつくと俺はハニーから3歩引いて両手を挙げていた。
     
     肩でゼイゼイ息をしながら、俺は自分でも謎の負け惜しみを吐き捨てた。
     
     「ここまでだ。」
     「・・。」
     「今んとこは。」
     
     これじゃ俺は誰が見てもタダのケダモノだ。
     そうじゃないと自分でも否定し切れないところが痛い。
     もし俺が女だったりハニーだったりしたらこんな男は絶対ゴメンだと、
     俺はふとそんな事を思った。
     
     もはや負け犬である俺は未だ鼻息も荒いまま、
     最後の虚勢をはってハニーを睨み据えていた。
     相手にしてみれば襲われて唇を奪われた挙句、三歩離れて睨まれているわけで、
     客観的に見れはそれもまた不憫な話だ。
     だからといって俺はもうどーすればいーんだろーか。
     
     俺は一体今まではどうやってたんだっけ。
     てきとーに女口説いててきとーにシケ込んでた今までのノリはどこにいっちまったのか。
     
     「・・つくづく変わった男だな。」
     「あの!!。」
     
     怒鳴りつけられなかった事に感謝しつつ俺はポケットを探った。
     本当はこんなタイミングで言うはずじゃなかった台詞だけど、
     今言えなければ、ハニーは居城の内へと立ち去ってしまう。
     俺は取り出した小さなチューブを一旦肩の高さに上げてハニーに見せ付けたあと、
     柔らかめに放り投げた。
     
     顔の前で受け止めたそれが何か、ハニーはもう分かってるはずだ。
     
     「絵描くとか嘘言ったけど。本当は俺、ソレ使えねーから。」
     「そんな気はしてたけどな。」
     「今は、アンタに貰った絵があるから。」
     
     アンタを思い出せるものを握りしめたかった。
     例えば絵の具のチューブでもいい。
     でも今はアンタに貰った絵がある。
     ただの絵の具よりずっとアンタらしい作品がある。
     だから、大丈夫。
     そう伝えたかった。
     
     通じただろうか。
     
     「絵、ありがとう。」
     
     これから部屋に帰るところだというのに
     ハニーはソフト帽を頭に叩き込むようにかぶり直した。
     手を帽子に置いたまま自分の足元を見るような姿勢で、
     ハニーは歯切れ悪く呟いた。
     
     「たいしたもんじゃない。アレは。」
     「俺は気に入ってる。最高に。」
     
     ソフト帽のツバの下から、困惑気味の瞳が俺を見上げていた。
     「つくづく変わった男だ」と前と同じ台詞を繰り返したい気分なんだろう。
     なんとなく可笑しくて、俺はクスリと笑いを漏らした。
     そんな俺にハニーは軽く溜息を漏らしたが、
     それは俺の笑いと同じような意味なんだと俺にはもう分かっていた。
     
     「じゃあな。」
     
     ハニーは俺に背を向けた。
     今度は俺も止めなかった。
     
     「またな!。」
     
     ポケットに両手を突っ込んで投げかけた俺の声に、
     ハニーは軽く後ろ手を上げて答えた。
     
     結局中に入れてくれと切り出すこともないままに、
     俺は居城のエントランスにすいこまれるハニーの背を見送った。
     だけど、それで充分だった。
     まあ「今日のところは」って限定付きだけど。
     
     俺達はきっと始まったんだと、俺の胸はそんな確信で満ちていた。
     
     どうよ。
     どんなもんよ。
     
     俺ってば、世界で一番幸せな野郎かもしんない。
     
     - 続 -
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