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     『なりたい夢となれる夢とは違う』
     そう言ったのは古代ギリシアの哲学者じゃなくて日本のフォークシンガーだ。
     フォークの奴らは分別がある。現実を見据えている。
     俺はそう思う。
     
     その点ロックの奴らはもっとシンプルだ。
     なれるかなれないか考える以前に「WantYou Baby」と叫んで走り出す。
     例えば、俺。
     
     まあ、見境いなく走り出したところで、シンプルな奴らが分別のある連中より
     多くを得るかというと全然そんな事はない。
     その辺を実感してくる頃には前のめりなエイトビートも少々しんどくなって、
     R&Bのだらしないリズムが身体に馴染んできたりもする。
     しかしリズムに少々のタメが入っても元々無い分別は無いままの確率が高く、
     歳をくっても相も変わらず「WantYou Baby」と叫んでいたりする。
     前よりは幾分憂いを覚えたスローな旋律にのせて。
     
     俺の恋も、そんな結末ならむしろ自然だっただろーか。
     
     なんちゃって、うまく行き過ぎて不安になる程に俺は絶好調だった。
     
     たった今、俺の視界の向こうにはハニーがいる。
     そしてハニーの向かいの特等席は空いたまま。
     今日はその場所にやかましいスポーツ少年が駆け込む事も無い。
     何故ならヤツは今日は俺んちで俺の同居人とお勉強の予定だからだ。
     
     俺が思い描く通りの筋書きでまさに事は運んでいた。
     ウチでの家庭教師仕事をかって出た同居人には感謝してもし切れない。
     まさに持つべきものは友。
     状況は完璧にセッテイングされたわけで、
     あとは俺が上手く事を運ぶだけだ。
     
     逃してたまるかよ。
     こんなチャンスを。
     今日こそ俺はハニーとあんなんなっちゃったりこんなんなっちゃったり・・
     
     「キモーい。」
     
     俺サマの情熱的な妄想は、李厘の一言でブチ壊された。
     どうやら俺はレジ脇に突っ立ったまま窓際のハニーの横顔を眺めてニヤけていたらしい。
     爆裂巨乳の小悪魔は肩越しに振り返り、俺に軽蔑の眼差しを投げ、
     あとはいつものローラー靴で滑りながらオーダーを運ぶ気配だ。
     李厘が肩の高さに上げた銀のトレイには、コーヒーカップが1つ乗っている。
     ということは、アレはハニーのオーダーに違いない。
     
     「オイ!、待て!。」
     「何。」
     「ちょっと来い。」
     「コレ持ってくから後で。」
     「その前に来い!。」
     「え〜。」
     「いいから!!。」
     
     レジ脇カウンター内側に立って俺は李厘を呼びつけた。
     怪訝そうな顔でカウンターを挟んだ向かいに滑り来た李厘に、
     俺は手の動きだけでカウンターの中に入れと示した。
     
     「なんだよもう!。」
     「あの。俺が行くから。」
     「いーよ別に。」
     「俺が行くって言ってんの!。」
     
     数少ないフロアの客に聞こえないように、俺は声を潜めつつ怒鳴った。
     静かに怒鳴るというのはこれでなかなかムズカシイ。
     怒鳴りつつ懇願も滲ませたりするから尚更大変だ。
     
     「俺に運ばせてくれ。頼む。」
     「だから何で!。」
     
     んな事ガキんちょに話せるか。
     しばらく李厘と睨み合ったあと、俺はおもむろに膝を折った。
     
     「運ばせてください。お願いします。」
     
     店のウェイトレスに土下座してオーダーを運ばせてくれと頼む
     フロアのチーフマネージャー括弧夕方限定のバイト。それが俺。
     何とでも言ってくれ。ハニーに関してなら俺は手段を選ばない。
     
     「・・バカみたい・・。」
     
     鼻先に突き出された銀のトレイを、俺は立ち上がって受け取った。
     捨て身の誠意はガキんちょにも通じたらしい。
     
     「チーフさあ、やっぱハゲが好きなんだ。」
     「ハゲって言うな。」
     「無理だと思うけどね。」
     「ほっとけ。」
     「あっち、ホモには見えないし。」
     「・・。」
     
     俺だって違う。
     昔も今もホモになったつもりは微塵も無い。
     俺はただ単に、ハニーに惹かれただけだ。
     そんでもってどういうわけかそのハニーが野郎だったという、ただそれだけの事だ。
     しかし気付いてみればその説明は、世間でよく聞く同性愛者の弁明そのものだ。
     
     いいやもう。
     じゃ俺はホモなんだよ畜生。
     文句があるヤツはかかってこい。
     
     「いーんじゃないの。まあがんばってみれば。」
     「・・。」
     「恋のカタチはいろいろだしね。」
     
     物知り顔に頷いて李厘が俺の背を押した。
     俺は俺の半分くらいの身長の爆乳ローラー娘に
     背中というか尻の上くらいをポンポン叩かれて、
     銀のトレイ片手にヨロヨロとカウンターを出た。
     
     なんとゆーのかその、どうも俺は俺らしくもなく、
     李厘の言葉なんかも気になる程にナイーヴになっていた。
     
     乙女だけじゃなく、恋する野郎だってフクザツだ。
     俺も初めて知った。
     
     
     
     「お待たせしました。」
     
     窓の外、暮れゆく街並みなんかをぼんやり眺めるハニーの傍らに立ち、
     俺はセクシーな低音のボイスで囁きかける。
     まさに、俺が望んでいた通りのシチュエーション。
     
     俺は銀のトレイから持ち上げたコーヒーカップを慣れた手つきでテーブルに据える。
     ・・ハズなんだが実際は慣れてなんかいないわけで、
     ソーサー付きのカップは俺の手の中で無駄にガチガチと揺れた。
     そう言えばカップの持ち手のとこって客に向かって右だっけかそれとも左?。
     
     「アメリカンです。」
     
     「ブレンドだ。」
     「へ?」
     「俺が頼んだのはブレンドだ。」
     「あっ・・じゃ、ブレンド。」
     「・・。」
     「マジで。マジ、ブレンドだから。」
     
     オーダーを取ったのもそれを厨房に伝えたのも李厘だった。、
     だからハニーがブレンドを頼んだんならブレンドのはずだ。
     俺はそもそも「コーヒー」くらいの認識しかなかったから適当に言っちまった。
     緊張し過ぎてんのかもしれない。
     
     ハニーは黙って目の前に置かれたカップを手に取った。
     しかしその目は俺を睨み据えている。
     白い肌や端正な輪郭にそぐわない彼の思惑が聞こえるようで、
     俺はトレイを胸の前で抱いたまま、ハニーと見つめ合って硬直した。
     
     俺のスィートなハニーはおそらく、今まさにこんな事を考えてる。
     (ホントにブレンドだろうな野郎、違ってたら殺す。)
     
     ハニーは手にしたカップに口をつけ、俺と睨み合ったまま一口すすった。
     もし、もし万が一、あれがアメリカンだったらどうしよう。
     緊張のあまり、俺は生唾を呑み込んだ。
     
     「ヨシ。」
     
     どうやら正真正銘ブレンドだと納得してくれたらしい。
     俺は聞こえるくらい大きく斜め右下45度に溜息を漏らした。
     
     「えっと・・」
     
     俺が動揺から立ち直った頃には、ハニーの視界から俺は消えていた。
     ハニーはコーヒー片手にテーブルに頬杖をついて、
     特に変わり映えもしない街並みに見入ってしまった。
     
     「・・あの。」
     「あん?。」
     
     何だまだいたのかとでも言いたげな声音に弱気になってる場合じゃない。
     俺はキメる時にはキメる。
     今までだってキメてきた。
     なのになんでハニーに関してはいつもみたいにいかないんだろう。
     
     「今日さ、お、送ってくよ。」
     「あ?。」
     「もうすぐココ閉めるし客もあんま残ってないし、
     あとちょっとだけ待っててくれれば、俺、今日アンタ送ってくよ。」
     「何故。」
     「何でってそれはその・・俺が送りたいからっつーか。」
     「おかしくねえか。」
     「そ、そう?。」
     「俺が自分ちに帰んのを、お前が送るのか?。」
     
     おかしーか?、おかしいのか?。
     俺は全然おかしくないつもりだったけど、
     ハニーに見つめられながらおかしくないかと聞かれると、おかしいような気になってくる。
     
     「ヘンかな?。」
     「変だな。」
     
     結論が出てしまった。
     
     「じゃ、ヘンでいい。」
     「・・。」
     「送らせてくれ。送りたいんだ。」
     
     言ってる俺自身がもう訳分かんねえ。
     ハニーは「胡散臭え」と書いた顔で俺を覗き込んだあと、無言で煙草をくわえた。
     その静寂に耐え切れずに「やっぱ嘘ウソ」なんて逃げたら負けだ。
     だから俺は「送りたい」と言い切った姿勢のままでその場に立ち尽くした。
     
     タールの多いマルボロをハニーが深々と吸い込んで、愚かな俺に紫煙を吹き付けた。
     ココで煙にむせて咳き込んだりして話題がすりかわってもやっぱり負けだ。
     俺は息を止めた。
     
     紫煙が薄く消えた頃に不動のまま深呼吸した俺を、
     ハニーは呆れ顔で見上げた。
     
     「好きにしろ。」
     
     
     YES!。
     そうこなくっちゃだろ。
     マイ・スィートエンジェル。
     
     - 続 -
     .

第3部で3人の語りが一巡して完結、
今回の24〜28までが悟浄語り分です。
ラストまで、今までより一話が短めで話数が多い章立ての予定。
3人の語り分量はほぼ同程度を目指しています。
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