23
それから。
悟一を駅まで送り届けた帰り道、
僕は抜け殻のようにぼんやりと街をさまよっていた。
あの部屋にはもう、戻らないつもりだった。
そのつもりで短い手紙を置いてきた。
戻らないというよりは戻れないと言うべきか。
梧譲にはもはや、会わせる顔も無い。
あの絵を汚したのは、悟一じゃなくて僕だった。
僕の無意識が、悟一にそうさせたと言ってもいい。
何故なら、僕はあの絵に嫉妬していたのだから。
学生街の夜は、いつでも祭りの最中みたいに賑やかだ。
通り一帯の商店街はどこもシャッターを降ろしているけれど、
空き地となった店頭前には若者達がたむろして、
ラジカセを鳴らして踊る者、ギターをかき鳴らす者、
アクセサリーを売る者、デタラメな演説を始める者、と、
「かわった人間コンテスト」の様相を呈している。
大声ではしゃぎ回るグループもあれば、
世界を呪い殺しそうな顔でウロつく年齢不詳の人間もいるし、
今の僕みたいに浮かない顔の男がひとり歩いていたところで、人目にもつかない。
行く宛もなく歩き続けて、いい加減疲れ始めていた。
深夜も近いというのに、通りのどこにも人が溢れている。
もはや独りになれる場所を探すのも面倒で、
僕は最寄のガードレールに腰を下ろした。
通りの一軒先で、夜とも思えない嬌声が上がった。
と、その直後には、なんと道端でバンド演奏が始まっていた。
ギター、ベース、ボーカルの三部構成で、夜だというのにアンプで音を拾っている。
彼らは人気のユニットらしく、周囲には演奏者が見えない程の人垣が出来ていた。
腰を下ろしたのが少し離れた場所で良かったなあなんて思いながら、
僕はちょっと遠くの人の群れを眺めた。
「よう。」
呼ばれて振り向けば、知らない男が立っていた。
歳の頃は僕と同じくらいだろうか、肩からアコースティックギターを下げている。
「あっちは繁盛してんね。」
「・・みたいですね。」
旧友のように声をかけられたものの、僕と彼は初対面だ。
「なんかリクエストしてくんないかな。」
「すいません、僕前にあなたの歌聞いた事があるわけではなくて。」
しどろもどろな僕の返答に、道端の歌うたいは気さくな笑顔をみせた。
通りすがりの人間に対しては余りにも無防備な顔だと、僕はそんな事を思う。
「知ってるよ。俺もアンタ見たことないもん。」
「ええと。」
「じゃなんか勝手に歌っちゃおうかな。」
僕が何かを言うより先に、彼の演奏は始まっていた。
固めのピックで掻き鳴らされるのはスリーコードのシンプルなフレーズ。
イントロが8小節ほど続いて、歌が始まるのかという時に、ふと演奏が止まった。
「あ。」
「?。」
「ね、アンタも一杯どう。」
彼はギターを肩から下げたまま、一旦黒いギターケースの前にうずくまり、
起き上がったかと思うと何やら固そうな物体を投げつけてきた。
謎の物体から身を守る為、僕は反射的にそれを受け止めた。
その後に確認してみれば、僕の手の中にあるのは缶ビールだった。
「あの、僕がもらったら逆とゆーか。」
「気にしない気にしない。付き合ってよ。」
景気付けなんだろーか、彼は勝手に一杯やり始めた。
通りの一軒先では繰り返し嬌声が上がっている。
人気者バンドが短い一曲を終えたらしい。
そう言えば、僕と彼の周りには誰も立ち止まる者がいない。
彼の客は僕だけということらしい。
僕は彼に付き合うつもりで、缶ビールのプルタブを引いた。
彼の曲が始まっていた。
それはどうやら、失恋の歌らしかった。
「キミが出て行ってボクはもう終わりだと思ったけど、
陽は昇るし腹は減るしで、結局何も終わってなんかいない」
彼はそんなふうに歌っていた。
まるで僕の歌のような気がしないでもない。
出て行ったのは「キミ」じゃなくて「僕」なわけだけど。
僕は似たような過ちを繰り返していた。
そもそもは世界が終わったつもりで家を出て、実際道端で死にかけた。
そんな僕を助けたのが、あのお人好しの彼。
そうして僕は、命の恩人の大事な物を台無しにして、部屋を出た。
最低を極めたと言える。
今回こそむしろ全てを終わらせるべきだ。
なのに今、僕はどうしてもそんな気になれなかった。
彼に救われた命を粗末にはしたくない。
信頼すら失ったに違いない今でさえ、
僕はまだ僕の中の彼を抱きしめていた。
「戒ちゃーん!!。」
良く知った声が遠くから僕を呼んだ。
まさかとは思いつつ通りに振り返れば、遠目にだけれど、確かに少年の姿が見取れた。
僕に手を振りながら、少年の影は人もまばらな夜の通りを一直線に駆けて来る。
「悟一?。」
「戒ちゃん!。やっぱり。」
「悟一、僕、あなたを駅まで送りましたよね?。」
僕の傍らまで全速力で辿りつくと、悟一は肩で息をした。
「なんか悪い予感したから。」
「電車に乗らなかったんですか?!。」
「戒ちゃん帰ってない気がしたんだ。」
どうやら僕は悟一に心配されていたらしい。
もはやどちらが教師か分からない。
自分の不甲斐無さには、思わず肩が落ちる。
しかしそんな僕を軽蔑する風でもなく、悟一は真っ直ぐに僕を見つめていた。
照れ臭さに押されて悟一の大きな瞳を振り切れば、
路上の歌うたいは曲の途中で、目線で僕に笑いかけた。
「世界が終わるわけじゃない」と、彼は歌い続けていた。
確かに、世界が終わるわけじゃない。
嫉妬して傷つけても尚、僕のまわりには優しい風が存在した。
逆に、終わらない事が許されるだろうか。
身も軽く悟一はガードレールを飛び越えて、僕の隣に並んで座った。
アスファルトから少し浮いた足を揺らしては、見知らぬ歌うたいに耳をかたむける。
これで彼の客は2人になった。
「これから戒ちゃんどこ行くの。」
「帰りますよ勿論。」
「ウソだ。」
例えば世界は終わらないとして。
一体どんな続け方があるだろうか。
どんなふうに続けるのなら、許されるだろうか。
「オレんとこ行こうよ。」
「それは無理でしょう。」
「なんで。」
「あなたの保護者サンにまで迷惑かけるわけいかないし。」
歌のリズムに合わせて揺れていた悟一の足がふと不自然に大きく揺れて、
その踵がガードレールを蹴りつけた。
ノイズに呼ばれるように隣を見やれば、
悟一は口を固く結び、ひたすらに夜空を見上げている。
その大きな瞳には、何故だろう、涙があふれていた。
「悟一?。」
「オレ、まだガキだけど・・」
「え?。」
「早くガキじゃなくなるから。」
「悟一?。」
「そしたらオレひとりでも、戒ちゃんのこと守るから。」
僕は返す言葉を探せなかった。
そしてそれは求められてもいなかった。
今にもこぼれ落ちそうな悟一の涙に気付かない振りで、
僕もただ一緒に夜の空を見上げた。
街の空は一面が排ガスの膜にでも覆われているのだろうか、
夜だというのにネオンの反射光を思わせる不自然な薄明かりに満ちている。
低い雲が月をすら隠す夜、それでもなお遠い空には
いくつかの星が瞬いていた。
- 続 -
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□□ここまでのお付き合いありがとうございました□□
このあと結局戒ちゃんは宗蔵んとこに行くんですけどね。
ああややこしくなりそうな予感。
あんまし喧嘩はしてほしくないのでそこはなんとか。
ここまでで前中後編、の「中」終了です。約2/3。
続きもお付き合い頂けたら嬉しいです(^^。
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