12


     
     神は確かに存在する。
     そう確信した大学2年の夏。
     
     
     「お冷やのお代わりいかがですか〜。」
     「おねがい。」
     「ハイただいま。」
     
     今日の俺は絶好調だ。
     どれくらい好調かと言えば、チーフの俺サマ自ら客に水を注いで回るくらい好調だ。
     俺のこの強運を、見ず知らずの客にまで分けてやりたい気分。
     
     「チーフさあ、オカシイよ。」
     
     俺の背後をズルズル滑ってついてくる巨乳の李厘は無視。
     俺は爽やかなスマイルで客の傍らに立ち、銀の水差しを傾ける。
     
     「ハイお冷のサービスです。今日はいつもより冷やしております。」
     「・・それはどうも。」
     
     俺の真後ろで李厘が「バカじゃん?」と声を上げた。
     
     (野郎。)
     俺は振り向きざま李厘のむっちりした頬をひっつかんでそのままぎゅーっと押した。
     ローラー付きのバッシュなんて履いてやがる李厘は、押されると押されただけずるずると動く。
     いい感じだ。
     
     (む〜!)とか呻いてジタバタ暴れる小悪魔の口は俺の片手が封じている。
     俺はそのままレジ脇カウンターの中まで李厘を押し込んだ。
     
     「なにすんだよ!!」
     
     手を放した途端、小悪魔が叫んだ。
     
     「し〜っ!!。客がいんだぞ!。」
     「知ってる!。」
     「オマエなんで今日ヒマしてんの?。」
     「チーフがオイラの仕事全部やってるからじゃん!!。」
     「・・あ〜。」
     
     言われてみればそうだ。
     普段の俺はと言えば、更衣室で白いシャツに蝶タイとゆうスカした制服に着替えた後は、
     あんまり何もしていない。
     俺の実務は閉店後の収支決算だ。
     まあそれだってレジの金集める位だけど。
     そういえば普段はいつも、用心棒的に店内にぼんやり存在してるだけだった。
     
     なのに今日に限っては、大理石の柱も置物の白いグランドピアノも俺サマ自身が磨き上げた。
     生け花の胡蝶蘭の向きまで整えた。
     掃除が一通り終わったあとは、10人もいない店内の客に接待サービス。
     今日この店は輝いている。そして俺自身も。
     
     「なんかさ〜、俺サマのラッキーぶりをさあ、世間にふりまきたい気分なワケ。」
     「すごくヘン。」
     「・・んじゃあまあ、あとお願い。」
     俺は手にしたままだった銀メッキの水差しと台拭き用の布切れを李厘に差し出した。
     ふくれっ面のまま、李厘はそれらを一応受け取った。
     
     「なんかすごくいいことあった?。」
     「へへ〜。」
     
     な〜んと、愛しのハニーが夕べ俺んちに来たなんて、言えないっしょやっぱ。
     
     「ひみつ。」
     「バッカみたい。」
     
     俺んちに来たというのに、ハニーが会おうとしたのは俺じゃなくって戒而だった。
     戒而の家庭教師先の教え子がハニーのウチに引っ越したとかなんとか、
     その辺の詳しいことは忘れたし俺的にはどうでもいいが、
     つまりは俺が見ず知らずの野郎をゴミ置き場から拾ったおかげで、
     俺とハニーの間に繋がりができたって事だ。
     美女ならまだしも血塗れの野郎を拾ったという俺の善行を、巡り会いの神様が認めてくれたに違いない。
     まあ、俺が寝室でモタモタ着替えてる間に、愛しのハニーは帰っちゃったんだけど。
     
     しかし。落胆するには及ばない。
     愛しのハニーがガキんちょの為に戒而を家庭教師として雇うとか雇わないとか、
     その辺のアレコレを決めるのに、戒而はハニーんちに行く事になったらしい。
     
     戒而が行くなら俺も行く。
     俺が行かないでどうするよ。
     
     そんでもって戒而にはぜひともその家庭教師役に合格してもらわなければならない。
     俺とハニーのより密接なコネを築く為に。なんとしてでも。
     
     唯一残された問題は、「俺も行く」って戒而にもハニーにもまだ言ってないって点だ。
     だけどハニーと戒而は今日この店で待ち合わせして出る事になったらしい。
     だとしたら、チャンスは在る。
     俺はそう読んだ。
     
     「いらっしゃいませ〜!!」
     
     ご機嫌な李厘の声音が、考えに耽る俺を現実に引き戻した。
     いらっしゃいませというのは誰かが来たという事だ。誰かというのは誰か。
     
     つい期待を込めて、俺は店のエントランスに目を向ける。
     俺の淡い期待を裏切らず、重い扉を押し開いたのはソフト帽を被った細身の男。
     そう、俺の愛しの君。
     
     人目を惹きすぎる容貌を隠すためみたいに、深く引き下げられた帽子のツバが端正なその横顔を覆っている。
     俺が今居る入り口近くのカウンター内側から、手を伸ばせば届きそうなすぐ向こう、
     アイツは俺に気付きもせずに、ただフロアの奥へ歩き去ろうとしていた。
     
     「い、いらっしゃいませ。」
     
     バクバクする心臓が口から飛び出ないように気を付けて発音したら、俺サマらしくもなくドモり気味だ。
     だけどハニーは俺の情けない挨拶に振り向いて、ほんのちょっとだけ瞳を上げた。
     (よう。)
     ソフト帽の下の涼しげな目元が、俺にそう言った気がした。
     もしかすると(よ。)だけかもしれないが、どっちだって全然構わない。
     
     YES!!!。
     
     ハニーが俺に振り向いたんだぜ?!。
     
     ほんの一瞬だけ俺に向けられたアイツの視線を、俺は脳裏に焼き付けて立ち尽くした。
     実際のアイツはと言えば、そのままさっさといつもの席に陣取って、
     オーダーを取りに付いていった李厘を相手にしていた。
     窓際の指定席で短く李厘に注文を出す現実のハニーの絵に、
     今さっき俺に振り向いた彼の瞳とが俺には重なって見えていた。
     
     さっき。
     ハニーは俺に振り向いたんだ。
     
     俺はつい目を閉じて、両手の拳を握りしめた。
     感無量とはまさにこういう想いの事か。
     感動ブリをより一層実感すべく、足も踏みならしてみたりする。
     俺は今、至福を噛みしめている。
     
     
     「何やってるんですか。」
     
     感無量中の俺に、突然冷や水をぶっかける醒めた声が降りかかった。
     最近聞き慣れたその声の主は見るまでもなく見当が付く。
     具合の悪さを隠して握りしめた拳を戻しながら、閉じた目も薄目に開いて一応確認した。
     
     「ああ、戒而。」
     
     「何ですか今の動き。」
     「・・気にしないで。」
     
     ハニーの切れるような容貌とは一味違う、別の種類の整った顔立ちが
     不審そうに俺を覗き込んでいた。
     
     家に居るときと同様に外でもコイツは音を立てないで動くらしい。
     ヤツが入ってきた事に全然気付かなかった。
     ハニーのとこまで注文を取りに行った李厘すら、新たな来客に気付いた気配はない。
     
     「初めて来たお客さん驚きますよ?」
     「大丈夫。いつもはしてないから。」
     「悟一来ました?。」
     「誰?」
     「ええと。高校生の少年ですけど。」
     「ジャージくんね。アイツいつも遅れるんだよ。保護者サンが先に来てんぜ。」
     
     カウンターを挟んで和んだ会話を始めた俺達の間に、
     ようやく来客に気付いた李厘が、ザーッとローラーの靴音を響かせて滑り込んだ。
     
     「いらっしゃいませ・・っと、アレ?、お兄ちゃん?!。」
     「あ。李厘ちゃん!。」
     
     うそお。
     うそだあ。
     
     「兄妹??。」
     俺は目を丸くして、全く何の共通点も感じられない二人を見比べた。
     
     「まさか。」
     「お姉ちゃんの友達の弟。」
     「姉の友達の妹。」
     お互いが端的に俺に説明して、それから二人は見つめ合うと「ね〜」とか微笑み合った。
     「全くわかんねえ・・。」
     
     「ええとつまり、彼女と僕にはそれぞれ姉がいて、その姉同士が友達だと。」
     「じゃあお前らは他人じゃん。」
     「そういうことです。」
     「なんだ。」
     「あとは実家が近いということくらいですか。」
     
     それからまたしても戒而と李厘は見つめ合い、「ね〜」とか微笑み合った。
     何なんだコイツら。
     仲良しなのか。
     
     「オイラここでバイトしてんの。」
     「そうかあ。李厘ちゃんもアルバイトできるようなお年頃なんだ。」
     「へへ。」
     
     戒而の台詞はまるで親戚のセクハラ親父だ。
     
     若いセクハラ親父がまんざらでもないらしい李厘は、「どう?」とか言いながら、
     戒而の目の前でローラーの靴先を立て、くるっと一回転して見せた。
     女のくせにギャルソンの制服で、詰め襟の白いシャツに黒の半ズボンをサスペンダーで吊っている。
     しかしそのサスペンダーは胸の上で居場所にも不自由して、爆乳の脇に回り込んでいる。
     そんな有様を人に見せつけて一体何と言えとゆーのか。
     
     「可愛いなあ。」
     
     げ。
     
     調子に乗るからほどほどにしとけと戒而に耳打ちするつもりで、
     俺はふと言葉を呑み込んだ。
     何故ならば、性別不明の爆乳小悪魔を見つめる戒而はうっとりと目を細めたりしていて、
     だとすると今の台詞もまんざら社交辞令じゃないのかもしれない。
     
     分からねえ。
     俺はひとり口の中でボソボソと呟いていた。
     
     「お前、趣味ヘンだぞ。」
     「え?。」
     「別にいいけど・・。」
     
     
     - 続 -
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