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「Born to be wild.」

台所の小さいラジカセのボリュームを目一杯に上げて、
古いロックを流しながら、彼は毎朝シャワーを浴びる。
シャワーの最中に浴室で口ずさむだけならまだしも、
濡れた身体で居間に戻っても歌い続けるから、大音量は2倍になる事になる。
本当に毎朝こんな事を続けていたのだろうか。
きっと隣の住人は梧譲の外見に怯えて、苦情さえ言えないできたに違いない。

毎朝通りに彼が裸のまま居間に戻り、音量が2倍になった時点で
僕はカセットをクラッシックのテープに差し替える。
梧譲は「ああん」と愚痴を漏らして、濡れた長髪をタオルで掻き回した。

「なにもう。その気の抜けた音。」
「朝からそんなに気合い入れなくても。」
「何て曲それ。」
「さあ。」

僕は適当に言葉を返しながら、二人分のコーヒーをドリップする。
機械で煎れるのも悪くないが、手で煎れた方が蒸らし加減を調節できる。
トーストとスクランブルエッグは既に居間のテーブルに準備済みだ。

「戒而の好きな曲じゃないの?。」
「別に。」

僕たち二人が昨夜のバイトから戻ったのは明け方近く。
それで今日は遅めの朝食というか昼食だ。
そんなわけで、窓から差し込む陽射しもいつもより低くて強い。

「最近は百円ショップでミュージックテープも売ってるんですよ。」
「ふうん。」
「『朝の曲』って書いてあったから。」
「へえ。」

絶妙のタイミングで蒸らしを終えた後は、ドリップすべき量の湯を一気に注ぐ。
後は仕上がり待ちになった。
手持ち無沙汰な僕の目に、ふと、台所のテーブル隅に転がる小さなチューブが映った。
(なんだろ。)

「でもさ、どうせかけるんなら好きなのにすればいいじゃん。」
「そうかなあ。」

僕の毎朝の苦情にもめげず、梧譲は腰にタオルを巻いたままの姿で居間のソファに腰を下ろした。
そんな彼の後ろ姿を溜息混じりで見つめつつ、僕は何気なく、その小さなチューブを手に取った。
蓋を開けて、中身を少々絞り出してみる。
僕の指先に付いたのは、血の色にも似た赤。
見覚えのあるワインレッドよりも微かに濃い赤は、そう、梧譲の髪の色。

「好きな曲なんて、僕はいつもは聞きたくないな。」
「え、なんで?。」

感情が、こぼれそうになるから。

「なんとなく。」
「ふうん。」

「ねえ、何でしょうコレ。」

振り向いた梧譲は突然わっ、と叫んで走り寄ると、僕の手から小さなチューブをもぎ取った。
「触んなよコラ!。」
「落ちてたんですよここに。」
「置いてたの!。」
「もみくしゃのコンビニのレシートと一緒に?。」
「もみくしゃのコンビニのレシートと一緒に!。」
「はあ。そーですか。」

何につけ置きっぱなしで開け広げな彼が、そんな台詞を吐くのは初めてだった。
触られたくない物の一つや二つある方がむしろ普通なはずだけど、
いつもの彼らしくない挙動に、僕はなんとなく違和感を感じた。
一体、彼とどういう関連があるのだろう。
油絵具なんて。

「まあ、いいですけど。」

「やだなあもう」とか口の中で呟きながら、梧譲は居間のソファに戻った。
二人分のマグカップを手に傍らに立つ僕に、彼は当然のように手を伸ばす。

何故毎朝懲りもせず同じトラブルを持ち込むのだろう。

「その前に。」
「もお、細かいこと言うなよ。」
「細かくないです全然。人間は普通服着ます。」
「別に裸じゃないでしょ。」
「腰にタオル巻いただけは裸です。」
「あとほらコレ。」

今まで長髪を掻き回していたタオルを梧譲が肩の辺りでひらひらさせたもんだから、
こんな事でと思いつつも、僕は猛烈に腹が立った。

「首に巻いたタオルも服には入りませんっ!。」

自分でも思いがけない僕の剣幕に、梧譲はのけ反って僕を見上げた。
多少なりともビビッたらしい彼のその表情は、僕を見つめ続けるうちに、悪ガキのそれに変化した。

「はは〜ん。お前、アレだな。」
「何ですか。」
「いたよなあ。修学旅行んときみんなで風呂入んのに海パンはいてくるヤツ。」
不覚にも、僕は動揺を隠し切れなかった。
「な。」
「そういうヤツって何故か勉強デキるタイプなんだよなあ。」
「何を。」
「一人だけ隠してるもんだから、なんか脱がせたくなるじゃん?、
で、仲間集めて寄ってたかって脱がせるワケ。そうするとさ。」
「そ、そうすると。」
「人一倍デカいんだなコレが。」
「・・。」
「お前もそのクチか。」

答えたくない。
答えるもんか。

「僕のサイズは関係ないでしょう!!!。」

なんというのかそれは、いわゆる僕のコンプレックスの一つだった。
ただでさえハートブレイクなここ最近なのに、
何故にそんな古傷というか別に治った訳じゃない身体上の都合をネタにされなければならないのか。

「そんなに裸が好きなら全裸になればいいじゃないですか!。」
「うわ、止めろコラ!。」
「中途半端にタオルなんか巻くことないんですよ!!。」
「なななんで!。」

もはや理屈なんてあったもんじゃない。

「俺の今唯一の服を引っぱんなコラ!。」
「これは服じゃないって言ってるでしょう!。」
「逆切レだろそれは!。」
「何が逆で何が順ですか!。」
「自慢しろよ。うらやましいぞ俺は。イヤ真剣に。」
「僕の事は今関係ありませんっ!。」

「バカ!。客来たぞ!。」
「そんな見え透いた嘘に誰が乗りますか。」
「嘘かどうか玄関見ろ!。」
「その隙に逃げようったってそうは行きませんよ!。
大体あなたは毎朝毎朝毎朝僕に同じ事を言わせ続けて・・」


「居るのかいねえのか返事しろって言ってんだろ!!!!。」


確かに客がいた。


居間から玄関は続き間で、のれんすらかけていないその場は、
つまりは僕の視線上ほんの数メートル先だ。
その目の先に、喧嘩中の雄猫の如く全身のオーラを逆立てた若い男が立ちつくしていた。

「あ、どうも。」

ちょうど僕は、梧譲の腰に巻かれたバスタオルを引き剥がしたところだった。
慌てて振り向いた僕は、反射的に営業職めいたスマイルを返していたが、
動揺した足元はふらついて、そのまま全裸の梧譲の上に倒れ込んだ。

「うわ!、アンタ!!。」

何故か梧譲は、梧譲に覆いかぶさって倒れた僕にではなく、玄関に佇む謎の男に過剰に反応した。

「何で?!。」
「?。」

僕が梧譲と客人の関係を問う前に、梧譲は僕を勢いよく押しのけて、
拾ったバスタオルを半端に腰に巻くと、あっという間に寝室に駆け込んだ。
さすがの彼でも裸は気まずいらしい。
謎の客人と二人で取り残されて、僕は所在なく頭を掻いてみたりする。

「あの、どうぞ。これから食事なんで良かったらご一緒に。」


目深にソフト帽を被ったその男が、僕を見据えていた。
静かに、しかし確実に苛立ちを秘めたその鋭い視線に、
僕は曖昧な笑顔を頬に張り付けたまま身動きが取れなくなった。

あからさまに機嫌の悪い客人は、そのまま身を翻して帰るのかと思えた。
しかし、一度大きな溜息を付くと、彼は意外にもソフト帽を手に取って、室内に上がり込んだ。

「失礼する。」
「あ、ああ、コーヒー煎れますね。」

僕はテーブルの上に広げた朝食用の皿を寄せて整えた。
ソフト帽を手に居間のソファの隅に腰を降ろした男を目の端に捉えて、僕は幾分動揺した。
色の抜けた髪に、どこか邦人離れした端正な彫りの横顔。
年の頃は僕や梧譲と同じ位に見える彼は、男性にこういう形容もなんだけれど、
そういう形容しか思い浮かばない程に、綺麗だった。

テーブルを直す僕の手の上に、ふと彼の白い手が伸びた。
別に女性でもないのにそんな事に視線がとまるのは、彼の殊更な容姿のせいだろうか。
勿論彼の手が、今会ったばかりの僕の手に延びるはずもなく、
華奢な指先は僕の手の上を素通りして、小さなチューブを取り上げた。
さっき台所のテーブルに置き捨てられていたのを、梧譲が居間に持ってきてまた置いた。
小さな、手の平にも収まる赤。

「ああ、貴方の?。」

彼なら、油絵具の持ち主に見合う気がした。
彼の繊細で深い瞳なら、白いキャンバスに鮮やかな夢を咲かせるに相応しい。

「俺の・・だったモノかもしれん。」
「かも?。」
「だとすると、ヤツか?」

目前の麗人は、ガサゴソとやかましい背後の寝室へと振り向いた。
再登場が遅れている梧譲はおそらく、
あせってジーンズを後ろ前に履いてひっくり返ったりしているのかもしれない。

「ヤツ?。彼とお知り合いなんでしょう?。」
「俺が会いに来たのはアンタだ。」
「は?。」
「俺は悟一の保護者・・みたいなモンか。」
「ああ。それは。」

(「へへ。戒ちゃんきっとびっくりすんぜ。」)
僕の脳裏には、悟一の満面の笑顔が甦っていた。
確かに、驚きだった。

「コーヒー煎れますね。」

柔らかく微笑んで、僕は台所へと席を立った。

狭いアパートの中、居間と続きの台所で、僕は一人分のコーヒーの湯を沸かす。
僕の驚きは、悟一の新しい保護者の美麗さ以外にもあった。

その麗人と梧譲が既に知り合いだったという事実。
そして、小さな赤いチューブを巡る、彼と梧譲の反応。

一人分のコーヒーの湯が沸騰するまでは、いくらも間がない。
カタカタと鳴り出すケトルを見下ろして、僕はある事実を噛みしめていた。

梧譲は、彼を意識している。
おそらくは、恋心のような感情を以て。

全てに開け広げな梧譲が、唯一手を触れられる事を拒んだ小さな赤。
それは梧譲にとって、彼の象徴だったのではないか。

そしてその事実がもたらした僕自身の胸の痛みは、
僕にもうひとつの真実を突き付けた。

溢れ始めた感情の波に警告を鳴らすように、
僕の目の前で沸騰した湯を抱いたケトルが暴れ出していた。



僕は、梧譲を意識している。
おそらくは、恋心のような感情を以(もっ)て。


- 続 -
 


□□ここまでのお付き合いありがとうございました□□


3人の語りが一通り終わり3人も出会ったということで、一段落終了でしょうか。
これで、前中後、の「前」終了かと思ってます。約1/3。
続きもお付き合い頂けたら嬉しいです(^^。

も、もしご感想などありましたらよろしくお願いします。
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