続きです。冒頭は同じですが。




「やー、ごちそうさん。」

食後にハイライトへ手が伸びたまではいつも通りだった。

ポーカーのお誘いもないままに、僕は彼の斜め脇に座って湯飲みを手にしている。
ただ機械的に煙草を口に運ぶ彼の視線は宙を漂っている。
長髪に覆われた横顔には疑いの余地なく『懸案事項アリ』の文字。
こんなに分かりやすいひとが他にいるだろうか。
まあそれも、彼の魅力のひとつではあるのだけれど。

「どうしたんですか?」
「何が?」
「何かあったんでしょう?」
「なんでわかんの?」
「誰でも分かります。」

世界中の憂鬱を全て背負ったかのように、彼はひときわ大きな溜息をついた。
「玲菜ちゃんが口きいてくれない。」
なんだそんなことという台詞を僕は飲み込んだ。
「俺、なんかしたのかなあ。」

彼女とは数日前の雨の日に約束していたはずだ。
あの日彼が帰ってきたということは、彼女との約束を断るとかすっぽかすとか、
とにかくどうにかしたはずで、怒っているとしたらそれしかあり得ない。
しかし彼が僕のせいで帰ってきたと僕は知らない事になっているわけで、
それより何より第三者の僕すら見当がつくことを何故彼が思いつかないのか。

おそらくは彼女と約束したということを忘れている。
僕を心配して戻ってきたとか、多分そういう事も含めて忘れている。
何故忘れるかというと、他にも同じような約束が何件も何件も何件も何件もあるからだ。

「なかなかいないよなあ・・あんな・・。」
「素敵な人なんですか?」
「あんな巨乳。」
笑うところなのかと思った。
しかし彼の表情は悲観に満ち満ちたままだ。

「ビックチェリーと言い換えてもいい。」
「・・。」
虚ろな瞳のまま言う台詞だろうか。
しかも意味がない。
僕は音をたててお茶をすすった。

「そのビックチェリーがさ、俺の前に差し出されたわけよ、こう、『あ〜ん』ってさ、
で俺が、『あ〜ん』って口あけたところでさ、『もう知らない』。
辛いだろ!。な、分かるでしょ?!」
「分かりません全然。」
「何で?!」
「考えてみたらどうです。」

無駄な提案だった。
「あ〜、俺のさ、この持ち上がったテンションをどうしてくれるのよ一体。」

何故僕たちは今、ポーカーをしていないのだろう。
麻雀でも将棋でもすごろくでも何でもいい。
何か勝負の最中だったら、もはや彼が立ち直れないくらいに、
僕は彼を容赦なく打ちのめしただろう。

要するに、僕は怒っていたのだと思う。


「僕がお相手しましょう。」
「ん〜。」
「その『持ち上がったテンション』とやらを僕が解放してあげますよ。」
「へ〜。」

その後の白けた間で、僕の捨て身の提案は流されたのかと思った。
しかし遅れた返事は単に意識が付いてこなかっただけの事らしい。

「えっ!!!!!。」

「どうしました。」
「八戒が?!!!。」
「ええ。僕じゃ役不足ですか?。」

こんなはずじゃなかった。
『あなたに触れたいのだけれど。』
何度そういいあぐねた事だろう。
それを今、僕はこんな言い回しで口にしている。
そして何故かこんな時に限って、僕はいつにも増して涼しげな顔ができる。

うろたえる彼を見たいと思った。
そう、動揺して、焦って、言いわけなんかを考えればいい。

意地悪に僕が想像したように、彼はうろたえて、焦って言葉を探した。
だから、まさか彼が最終的にそんな言葉を探し当てるとは思わなかった。

「お、お願いしちゃお〜かな〜。なんつって。へへ。」


殺意に近い程に腹が立った。
分かっている。おかしいのは絶対的に僕だ。
僕が誘って、彼がお願いすると言った。
何の問題も無い。

だけど、一緒に暮らし始めて数ヶ月、彼に対してこんなに怒りを感じたのは初めてだった。
彼は何も分かっていない。
僕のことを、何も分かっていない。
そしてそれは、分かってもらおうとしなかった僕のせいだ。

加えて僕は、取り返しのつかない展開へと自ら駒を進めていく。

「分かりました。もう逃がしませんよ。」


多分僕は今、薄い笑いなんかを浮かべて、
残酷に彼を見据えているに違いない。

もう僕は、僕自身の衝動を止められないだろう。


- 続 -

 


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