続きです
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暗くなる前に、僕達は街に到着した。
小さいながらもそれなりの賑わいをみせる市場を見物がてらに歩いて、
探し当てた手狭な食事処で、僕達は丸テーブルを囲んだ。
僕達の夕餉の食卓は、いつになく静かだった。
未だ顔色のかんばしくない三蔵がおとなしいのはともかく、
悟浄は先刻の僕との会話を反芻でもしているのだろうか、悟空をからかう素振りも見せなかったし、
悟空はと言えば1人前の皿で手が止まったままだ。
普段は3人前でも足らない彼にしては食欲が無いと言える。
場の静けさになんとなく気後れして、僕はセルフサービスのお茶を淹れてみたりする。
その間も悟空の箸を持つ手は止まったままで、大きな瞳は真っ直ぐに対面の三蔵に向けられている。
当の三蔵はといえば、皿にはロクに手もつけないまま煙草をくわえて新聞を広げ始めた。
悟空の視線をさえぎるためのような大きな紙面が、三蔵の手でバサバサと音をたてて繰られた。
「なあ。」
悟空は思いつめたように三蔵を呼んだ。
聞こえないはずはない。しかし三蔵は新聞の向こうで紫煙を上げるだけだ。
僕はそんな二人を気にしない素振りで、向かいに座る悟浄に熱い湯のみを手渡した。
悟浄は渡されたお茶を条件反射のように受け取ると、定まらない視線のまま口に運んだ。
「なあ、三蔵。俺の事好き?」
ブッ、と悟浄が吐き出したお茶が、狙ったように僕の顔面を直撃した。
「あの・・。」
「うわ!。悪ぃ!。おねえさーん!、雑巾!!。」
「雑巾で僕に顔を拭けと。」
「あ、いやその、おねーさん!、雑巾間違い。ティッシュか何か、くださーい。」
あたふたと動き回る僕と悟浄とは対照的に、悟空の視線は三蔵を捉えたままだ。
三蔵はと言えば、やはり紙面の向こうで薄い煙を上げるだけ。
「俺は三蔵の事、好きだ。」
自分のお茶を注ぎかけていた僕の手が不意に滑った。
結果、湯飲みはテーブルに転がって、一杯に注いだ熱い茶がその辺一体にぶちまけられた。
「うわっ。」
「バカ!。何やってんだよ。おねーさーん。やっぱり雑巾!。」
「すいませーん。雑巾、大きめのお願いしまーす。」
「早く拭け八戒、他のお客様に迷惑だろーが。」
「分かってますよ。なんであなた僕の肩布引っ張るんですか。」
「とりあえずこれで拭いとけ。」
「いやです。」
「なんで。」
「これはそーゆーんじゃないんですって。」
「じゃどーゆーんだよ、コレ今まで有益だった事ないだろ。」
「有益って何ですか、あなたの基準は一体・・」
静寂を恐れてバカなやり取りを続ける僕と悟浄の存在自体に気付かないみたいに、
悟空はただ三蔵の答えを待っていた。
テーブルの向こうから僕の肩布を引っ張る悟浄と揉み合いながら、僕は悟空を盗み見た。
真っ直ぐな彼の瞳に、何故か僕の胸は痛んだ。
報われない愛にすら手を伸ばす純粋さを、僕はいつ失ったのだろう。
「あの・・」
悟浄と押し合いへし合う僕の脇に立った若い女給さんが、遠慮がちに僕に布キレを手渡した。
顔やら髪やらを濡らしたままの僕は、具合の悪さからも必要以上に微笑んで、
彼女から数枚の雑巾を受け取った。
「好きだったら、さわりたいとか思うだろ!。」
うわー!、と悟浄が突然大声で吠えた。
「わわわ、気にしないでお姉さん、このガキ熱あるから。あとちょっと脳に腫瘍とか。」
「熱なんか無い!。」
「な何で今だけ反応すんだよ!。」
「なあ、三蔵!。」
当の三蔵には微塵の動揺も無い。
手元の紙面を折りたたむと、斜め下に見下すように悟空を見据えた。
「貴様、湧いてんのか。」
「俺は!、三蔵が・・」
「もういい。」
「三蔵!。」
「ええと。」
悟空の大声に店内の視線が集まり始めていた。
正確にはそれ以前にお茶をこぼしたり店員さんを大声で呼んだりしている時点で、
僕らは充分衆人に注目されている。
「積もる話は宿に戻ってからという事で。ね、悟空。」
「だって!。夕べだって三蔵俺の話聞かないじゃん!。」
「聞くまでも無い。」
「聞いてよ!!。」
「聞きます。聞きますって。」
別に僕に聞かれたくもないだろうが、適当な台詞で僕は会話に割り込んだ。
「でも街の人みんなに聞いてもらう話でもないですから、とりあえず撤収。いいですね。」
緊迫した場の雰囲気から逃れるように、悟浄が大きく伸びをしては立ち上がった。
「じゃ俺は自由行動の時間。」
「どこ行くんですか。」
「決まってんでしょ。聞くなんて野暮よん。」
既に去りかけの悟浄を僕は睨み付けた。
それから僕と悟浄は、視線だけで会話した。
(逃げるんですか。)
(悪ィかよ。)
(悪いですよ。)
「おっと、タマにはアンタも付き合う?、三蔵サマ。」
「そうだな。」
三蔵に捨て台詞を残して悟浄は立ち去るつもりだったに違いない。
まさかそう来るとは、誘った本人すら思っていないだろう。
おもむろに立ち上がった三蔵は、驚きに足を止めたままの悟浄の目前を通り過ぎた。
「うそお。」
「何やってんだ。行くぞ。」
店の入り口付近に佇む三蔵に呼ばれ、我に返った悟浄が三蔵の後に付いた。
しかし悟浄は何かに思い当たったようにふと歩を止めて、僕に振り向いた。
(さっきのジープでの話、アレ、本当?)
彼の紅い瞳は僕にそう問いかけていた。
僕と悟空を残すことに一抹の不安を感じたんだろう。
僕はただ、彼に柔らかく微笑み返した。
「どいつもこいつも分かんねえ・・」
独り言のように呟くと、悟浄は背を向けた。
それから悟浄と三蔵は肩を並べて食事処の薄汚れた暖簾くぐり、夕方過ぎの闇に消えた。
「三蔵!!。」
立ち上がって三蔵を呼ぶ悟空の大きな声は空回りして、
立ち去った三蔵の代わりに、店の客が一斉に悟空に振り向いた。
「大丈夫ですよ。悟空。」
隣席の僕など存在しないかのように、悟空はその場に立ち尽くしていた。
「大丈夫ですから。」
僕の言葉はただの慰めではなく、本心だった。
あの気丈な麗人が誰かのものになるということ自体が考え難いけれど、
どうしても相手を選ぶというなら、やはり悟空以外には有り得ないだろうと思う。
彼はただ、悟空の直球を受け損ねているだけだ。
突然目覚めた激情の猛烈豪速球は、普通の人間が受け止めるにはあり余る。ましてあの三蔵には。
立ち尽くす悟空の傍らで、僕はひとり冷めた茶をすすった。
悟空を安心させるための言葉に、僕自身の胸が痛むその理由に僕は気付いている。
否。
気付いてなどいない。
絶対に。
- 続 (2/4) -
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