八戒の語りで。






「途中、河辺で一休みしましょうか。」

ジープの運転席で問いかけた僕に、助手席の麗人からの回答は無い。
聞こえていないわけじゃない。
今朝から通算16本目のマルボロを挟んだ右手は、
白く伸びる煙草の灰を時折車外に叩き落としている。

答えの無い理由を推測するならば、口を開くのも億劫な程に機嫌が悪い、もしくは体調が悪いということだろうか。
今日に限ってはおそらくその両方だろう。

僕と三蔵の間には「返事が無い場合は好きに決めていい」という暗黙のルールが成立している。
荒れた砂地の分かれ道にさしかかると、僕は迷わず進路を川沿いへと向けた。
宿までの道程としては30分程の迂回路になるが、
それでもしばしジープを停めて、休息を取るべきだと判断したからだ。

休息が必要なのは僕ではなく、もちろん後部座席でいつものいがみ合いを続けている面々でもない。

しかし隣席の気丈な麗人は、身体の不調を見取られたと知れば不機嫌さに拍車がかかる。
そんなわけで、僕は何も言わずに彼が休息を取らざるを得ない状況を作る。
そして当の本人はというと、僕が気付いていると知っている。
僕の「気付かないフリ」という下手な芝居を受け入れて、「余計な真似を」と怒鳴る手間を省く。

旅を続ける僕と三蔵の間には、言葉を必要としないコミュニケーションが繰り返された。
しかしそれも、旅という目的に基づく意思統一や体調管理についてのものであり、
気分とか好みとか、つまりは感情面に関しては、僕達は以前から一線を引いている。

いわば、理想的な上司と部下、頭取と執事、あるいは女王様と下僕。
そして僕はそのポジションに、充足している。
多分。


二又路からジープを駆ること数十分、僕達は緩やかな流れの傍らに出た。
水辺のマイナスイオン効果とやらの信憑性は定かではないが、
車酔い気味の疲れた身体を癒すのに、流れの側はふさわしい気がした。

「さ。到着です。」

「川だ!!。」
「いーねガキは何でも楽しくて。」
「何だよ!。悟浄は楽しくないんだなっ。」
「べっつに。」
「じゃあ付いてくんなよ。行こ、三蔵。」
「へ。」

後部座席のにぎやかなやりとりに気を取られる様子もなく、
ジープが停まるのと同時に三蔵は車外へ降り立ち、河辺へと一人歩き出した。
駆け寄って「行こ」と袖を掴んだ悟空の手は、無言で振り解かれた。
悟空は瞬間立ち止まって、先を行く白い法衣をしばし見守った。、
しかしすぐに気を取り直したように、三蔵の後を追っては駆け出した。

そんな親子とも恋人ともつかない二人を、僕はジープの運転席から見送った。
郷愁を誘う夕暮れの紅が辺りを薄く染める。
同じ赤に染まった麗しの君の法衣の背を、見るともなく見つめた僕の耳には、
小さな金属音が繰り返し響いていた。
後部座席に残ったままの悟浄が、ジッポーの蓋を所在無く開け閉めしているのだろう。
何となくすっきりしない気分の時、彼はこの動作を繰り返す。

「でさ〜。何なの三蔵サマ。」
「夕べ寝てないんだと思いますよ。」

背後から届いた悟浄の問いに、僕は振り返らずに答えた。
三蔵の不調に、彼も気付いていたらしい。

「そうなの?。」
「今朝起きたら、悟空が廊下で寝てたんですよ。」
「何で。」
「知りませんけど。誰かに部屋追い出されたと考えるのが妥当かと。」
「あ〜。」
「・・3年前みたいには、いかないですよね。もう。」

悟浄からの答えは無かった。

悟空は三蔵に想いをよせている。それは以前から周知の事実だ。
しかし少年から青年へと移りゆこうとする悟空にとっては、「想い」の意味合いも変わりつつある。

「だけどさあ。まあ、その方が普通なんじゃないの?。」
「確かにそうかもしれませんけど。」
「お前の部屋割りがダメなんだって。同じ部屋に寝かせて手を出すなって方が酷でしょ。」
「じゃ今後ずっと彼らを引き離しておくんですか?。」
「それもなあ・・。」

僕らくらいの歳になれば、気持ちと生理反応を別に処理する方法を覚えたりするのだけれど、
悟空にはまだその器用さは身についていないだろうし、
その上、保護者的立場の人間自体が一体そのヘンどうなっているのか甚だ不明だったりする。
欲求自体が無いのかもしれない。
どうなんだろう。
少なくとも三蔵に、そのあたりの指導は無理だろう。
せいぜいが殴って追い出すくらいで、そしておそらくは昨晩のような事になる。

「次の街でいいとこあったら、サル連れてってやってもいいけど。」
「いいところとは。」
「おねえさんとすっきりできるよーなとこでしょ勿論。」
「そういうところで楽しめる素質を持ってない人にはどうでしょう。」
「・・遠まわしに俺責めてる?。」
「まさか。羨ましいですよむしろ。」
「嘘くさ。」

悟浄とのとりとめのない会話を続ける僕の視線の先、
水辺に佇んだ三蔵が、その金糸の髪を風に揺らしていた。
ここからは彼の表情までは見取れない。

傍らで、悟空は川面に石を投げた。
流れの表面を掠めて叩いた小石が、生き物のように水面を薄く叩いて飛ぶ。
1回、2回、と、1つの石が波紋を広げる回数を僕は無意識に数えた。
・・7回。

「でもなあ。三蔵サマに『そういう』指導は無理だぞきっと。」
「となると適役は限られてきますよね。」
「無理。」
仄めかしただけなのに、悟浄は即答で返した。
「そりゃキビシ過ぎ。野郎だぞ?。その上にガキだぞ?。」
「あなたに頼んでないでしょう?。」
「言うなれば悟空だぞ?。」
「だから頼んでませんて。」
「その手にはのらねえ。頼まなくてもだな、状況から俺を追い込む気だろーが、
他の事ならともかくこれだけはどーも俺にも趣味ってモンがある。」
「僕、イヤじゃないですし。」

回答が聞きたいところで、悟浄は絶句したりする。
まあ、彼の返事がどうであれ、僕の気持ちは決まっていたりするのだけれど。

「・・うそお。」
「イヤどころか、役得かなあなんて。」
「・・うそお。」
「僕、割と前からそういう気分だったんです。」
「うそ。」
「本当。」

川のほとりでは、一本の煙草を吸い終えたらしい三蔵が、
踵を返してジープへと戻り来るところだった。
寝不足が引き起こしたに違いない車酔いが、おさまっていれば良いのだけれど。

「平たく言うとこうか?」
「あ、何でしたっけ。」
「お前はサルに気がある、と。」
「ええまあ。」
「うそお。」

悟浄が再び絶句して僕達の会話も滞った頃に、戻った三蔵と悟空が車上に乗り込んだ。
いつも通りに血の気の薄い三蔵の横顔を見つめて、どこがどうだからとも言えないのだけれど、
少しは具合が良くなったらしい事を知る。

「どうした。」
「イエ。」

訝しげな紫暗の視線を振り切って、僕は後部座席を確認した。
悟空は僕の後ろに行儀良く座り、悟浄はと言えばその隣で頭を抱えてうずくまっている。
「じゃ、行きますか。」

「あれ?、悟浄、具合悪い?。」
「おお、サルよ。お前は果たして幸せなのだろーかそれとも・・」
「八戒、悟浄ヘンだ。」
「ほっときましょう。」
「うん。」
「・・。」


- 続 (1/4)-