51



翌日。
ギャラリーの隅、応接机の前で腕を組み、人を待つ。
俺が待つ相手は勿論、留守電で来ると告げたその人物だ。

気分的には店に鍵をかけて今日一日外出したい。
しかし逃げたところで面倒を先延ばしにするだけだ。
断ると決めたら断る。

一旦受けた仕事を断るということは、確実に俺に非があるわけだ。
確実な非を押し通す為に相手を待つというのは、実に気が滅入る。
滅入ったままに腕を組み、じっとしていると眠くなる。
ガクンと首が前に落ち、目が覚める。
いかんいかんと腕を組み直すが、気付くとまた寝ている。

ギャラリーの隅で寝たり起きたりを繰り返すうち、朝から昼になった。
反省の意も十二分に座り尽くしてきたが、大概飽きてきた。
気分転換に外にでも出ようか、などと思った頃に扉が開いた。

「こんにちは!。」

扉の上の鈴をぶっ飛ばす勢いでドアをブチ開けて乱入したのは、
どう見ても運送屋といういでたちの男。

「佐川急便です!!。」

出前を間違えるのは蕎麦屋と相場が決まっているのではないだろうか。
場所違いだと言いかけたその時、運送屋の背後から
明らかに運送業ではない見覚えのあり過ぎる男が登場した。
・・戒而。

「ハイご苦労様。荷物はそっち、奥の部屋に入れて。」

「何事だ貴様。」
「何事とは何事ですか。
僕は貴方の甚大な粗相を消しに来たんですよ?。
貴方に頼まれて。貴重な休日にわざわざ。」

そうだった。
あの絵を消せと戒而に言った。
作業部屋の壁に描いた夜景のせいであの部屋は年中夜であり、
全く他のものを描く気にならないからどうにかしろと、
幾分八つ当たり的に戒而に依頼してあった。

しかしそれは俺自身が分かっていたことだが、
パリ絵を描きたくない故の言い訳でもあった。
その大元の元凶を断ろうとしている今、
壁絵はさしたる問題でも無くなりつつあるわけだが。

しかし『貴重な休日にわざわざ』出向いて来た男にそのへんの事情は言いかねた。
まああの壁がすっきりするというのなら、すっきりしないよりはマシだ。

「そんじゃまあ・・頼む。」
「ええそのつもりで材料も調達したわけで。
しかし貴方、なんでそうあちこちで粗相しまくるんですかね。
昨日病院に行ったでしょう?、
行ってくれるんなら洗濯物渡しておけば良かった。
あっちでも描かなくていいところに描きましたよね貴方。
看護婦さんと子供に大ウケですよ。」
「・・。」
「おまけに隣の病室からも見学客がやってきて。
隣だけじゃないかもしれないな、あの人数は。」
「・・消したか?、ちゃんと。」
「油彩で描いたんでしょう?、消えるわけないじゃないですか!!。」
「・・・・。」

「まあ包帯一枚巻くだけでしたけど。」
消したんじゃねーか。野郎。
しかし助かった。

「僕のよーな凡人が芸術家にもの申すのは気がひけますけど。
一つだけ貴方に進言しておきます。
『キャンバスに描きなさい!!』。」

正論だ。
しかし「ああそうですか」と答えても火に油を注ぎかねない。
俺はただ腕を組み、今朝からの黙想の続きを始めた。

「じゃ僕は奥で作業してますから!。」

教師然とした男は作業部屋へと消えた。
しかし燃え残る怒りをウサ晴らすかの如く、
作業部屋からは機械工具のドリル音が鳴り響いた。
部屋自体を破壊されないだろうかと不安が過ぎったが、
余計な事を言って怒鳴られてもつまらない。
俺はひたすら黙想に専念した。

隣室の異音のおかげで寝ることもなく黙想が継続した30分後、
さすがにドリル音は途絶え、待ちかねた客も訪れた。

「どうもこの度は。」

ギャラリーの扉を開けたところで葬式の挨拶を口にしたのは
買い付けの際に来た人間と同じ人物のようだ。
小太りで疲れたスーツ姿。歳の頃は俺より20も上だろうか。
まだ風も冷たい春先だというのに、
ハンカチでしきりに汗を拭っている。

俺は男を中に招き入れ、男が俺の対面に腰を下ろすなり頭を下げた。

「申し訳ない。」

俺の言うべきことはその一言に尽きていた。


商談と呼ぶべきなのかも怪しい押し問答はその後小一時間続いた。
金額に不満があるなら再考の余地はあるという意味の言葉を、
男は表現を変えて何度も言い直した。
しかし問題はそういうことではない。
俺はただ「済まんが無理」を繰り返し、最終的には男が根負けした。

俺へのペナルティとしては、既に仕上がっている数枚を
迷惑料として引き渡す、ということで話がついた。
俺的にいらないものが迷惑料では気が引けるのだが、
「いらないようなものを描いたのか」という話になってもアレなので、
そこは黙っておいた。

「最後ですから言わせて頂きますが。
決して悪い話ではなかったと思いますけどね。」
「ああ。分かってる。」

充分に分かっていた。
決して大家でもない俺のような若造に、買い手がつくこと自体が稀有なのだ。
同じものを何枚もというオーダーは、大家なら侮辱と受け取るかもしれないが、
枚数分の見返りがあるなら何枚でも描かせてくれという画家は腐るほどもいる。
腐るほどの中から選ばれた事実に感謝すべきであり、
確かに俺はそう思い、引き受けた。
だが、描けなかった。

「では上がっている分を頂いて帰ります。」

先に描いたキャンバスは隣の作業部屋だ。
ところで戒而の仕事は終わったのだろうか、
今は物音一つしない隣室への扉を恐る恐る押し開いてみる。

と、確かにその壁は白かった。
狂った夜景を描き出す前同様にただ白い壁の前、
俺へと振り返った戒而が満足気に微笑んだ。

「バッチリでしょう?。」

近くに寄って確認すれば、元漆喰の壁は布地に変わっていた。
壁全体を見直してみる。
成程、壁一面にロールスクリーンが降ろされているらしい。

「消すのはもったいないかなあ、なんて。
これ遮光だから透けも無いんですよ。
金具取り付けるのに壁に2,3穴空けましたけど。
目立たないでしょう?。なんなら上からまた描けばいい。」
「・・バカにしやがって。」
「ああそこのお客さん。何か御用ですか。」

そうだ忘れるところだった。
パリ絵を渡すところだったのだ。
背後から俺と戒而を覗き込んでいた男を作業部屋へ招き入れ、
俺は部屋の端に重ねて置き捨ててあった例の絵を取った。

重ねたままのキャンバスを渡しかけたその時に気付いたが、
一番上の絵は街頭のカフェでオランウータンが茶をたしなむソレだった。
俺はさりげなく上の一枚だけを取り、後ろ手に隠した。

「それは。」
「これは未完だ。渡すのはそっちだけだ。悪いが。」

恨めし気に俺を見据えた後、男は渡された絵を食入るように眺めた。

「素晴らしいと思います。
ですが、筆数は少な目ですよね。」

手数が少ない、つまり時間はかかっていないのだろうから
その気になればあと何枚かは描けるだろうと、
男はそうカマをかけている。

そういう問題ではないのだが、それをそのままに言えば
俺にヤル気がないということになる。
俺は無視を決め込んだ。
その時だ。

「あっと手がすべった。」

あまりにも白々しい台詞で戒而が壁のロールスクリーンをちょっと引き、手を離した。
壁一面を覆っていた布は突如として巻き上がり、
気違いじみた夜景が俺達3人の目の当たりとなった。

(!!。)

殺してやろうかと詰め寄った俺に、戒而は曖昧に微笑んでただ後退った。
俺と戒而が無言の攻防を始めたその隙に、
男は壁の前に立ち、そこだけの夜を見上げた。

身体の後ろに回した両手を軽く合わせて絵を見上げる男の姿は、
まるで美術館の名画を見上げるかのように静謐だった。
そして男は更に壁に寄り、彩色の上に指を這わせた。

「色の厚い部分は乾いてから間もないようだ。
最近、描きましたか。」

そう。最近描いた。
パリ絵が描けなくても壁になら描けた。
暇はあったことがバレてしまった。
どうせバレていただろうが、こうも歴然と目前に物証があるというのはどうか。

「同じものを何枚も描くのは退屈でしたか。」
「・・ああ。退屈すぎて吐きそうになった。
おまけに途中からは本気で描けなくなった。
もう描けないのかと発作的に試したのがソレだ。」
「描けましたな。」
「・・。」

「これは大作だ。キャンバスに描かれていたらと思わずにはいられない。
しかし今回の企画は多少の資産を持て余すOLさん、
もしくは年配のご婦人にターゲットを絞っています。
もしこの絵がキャンバスに描かれていたとしても、出るかどうか。」
「俺の絵は売れんということか。」
「正直に言いましょう。
私どもの企画は見る目を持つ顧客を想定していません。」
「・・そういう仕事は、どうなんだ。」
「どうとは。」
「楽しいか。」

男は答えず、ただ首を傾げて見せた。

俺はバカなことを聞いた。
楽しいはずはないのだ。
吐き気がするなどと俺が御託を述べて逃げ出した場面に
彼は四六時中どっぷりと漬かって生活しているのだ。
ある意味で生きるとはまさにそういうことなのかもしれない。

「スマン。余計な事を言った。」

「・・いえ。私にも夢がありましてね。
いつか、古物や絵画を扱う自分の店を持ちたいと。
もし実現したとして、定年後でしょうけれど。
その時にはまたお伺いしましょう。ああ、それと。」

男はこの店に来て初めて俺に笑みを見せた。

「もしよろしければですが、そちらも頂けませんか。おサルさん。」
「・・売れんだろうが。」
「私個人に頂ければと。」
「サルでいーのか。」
「洒落た街並へのアイロニーですかな?。」

俺は後ろ手に隠していたキャンバスを無言のまま渡した。
男はパリ絵とサル絵の計5枚を、持参した布にくるんで脇に抱えた。
昨日の俺以上の大荷物だが、配送するほどのこともないだろう。

「納品書は後日郵送で。」
「別にいらんが。」
「おサルさんの分は送りません。」
当然だ。

大荷物を抱えた男は軽く会釈してから俺に背を向けた。
疲れた小太りのスーツ姿が路の向こうに消えるまでを
俺は戸口で見送った。


男の姿が見えなくなった頃、
俺の背後で戒而がわざとらしい大あくびを放った。

「全く芸術家ってみんなこんなに不器用なんですかね。
余計な事して貴方に睨まれても僕、損なだけなんだけど。
見てられないんですよ。
まあこれで貴方もひと仕事終わったんですよね。
お茶でも淹れましょうか。」



- 続 -
 


Return to Local Top
Return to Top