最終章。





〜あなたが噛んだ小指が痛い
 昨日の夜の 小指が痛い

干す前に竿を拭けとか、
小さい物が手前で大きい物はうしろとか、
たかだか洗った物をひっかけるだけの作業に
ヤツが細々と指示を出して俺を動かすもんだから、
俺の安置されていた部分の痛みも再発した。

〜そっと唇押し当てて
 あなたのことを偲んでみるの。

偲んでなんかたまるか。クソ。
誰か俺の頭のこの歌を止めてくれ。

俺がバシバシと濡れたTシャツなんかをはたいて
ハンガーに適当に引っかける隣で、
ヤツは靴下だのハンカチだのといった細かい物を
一つ一つ皺を伸ばして形を整えていた。

研究室でフラスコでも振ってるのが似合いそうな繊細で長い指先が、
晴れた冬の太陽の下で、
洗い立ての野郎のトランクスをビシッと広げた。

「これは僕の。」

何故分かるんだろう。
ヤツは『2枚で○円』とかいう同じ柄の特価品を買うから、
俺が見る限り、ヤツのと俺の区別なんてつかない。

ヤツの研究者まがいの指先が、
次のターゲットを取り上げてはビシッと広げた。

「これは悟浄の。」

「何で分かるの?。」
「分かりますよ。」

ヤツは俺のだというその濡れたままの布を、
自分の顔の前に広げては、クンと鼻を鳴らした。

「ほらやっぱり。」
「・・うっそ・・。」

犬?!。

「冗談ですって。
商品タグのところに切り込み入れて区別してあるんです。」

どういう冗談なのかも分からない。

脱力した俺を気にかける様子もなく、
ヤツはあんなものやそんなものを手際よく伸ばしては引っかけた。

俺は何となくやる気をなくして、斜め後ろからヤツを見つめた。
明るい陽差しにも決して透けない漆黒の髪と、
そがれた頬の抜けるような白さの対照に、正直俺は惹かれていた。

どんなときも物音を立てないで歩く猫みたいに、
洗濯物を干すとかそんなつまらない動作の隅々にまで滲み出る
ヤツのヤツらしい動作に、俺は魅入っていた。

「どうしました?。」

ふと振り返った翠目の猫が万が一メスだったら、
『おまえ綺麗だな』なんて言ったのかもしれないんだけど。

「ヘンなヤツ。」

照れ隠しだった俺の言葉に、
ヤツは一瞬、不自然に表情を歪めた。
しかしそれも見間違いだったかと思える切り替えの早さで、
ヤツは俺に完璧な微笑みを返した。

「造られしものよ 声上げて歌え」

「何?。」
「賛美歌です。確か75番。」
「どういう意味?。」
「神を讃えてるんでしょうか。」
「ふうん。」
「僕にとっては絶望のテーマなんですけど。」
「なんで?。」
「さあ。」

ヤツは洗濯物を干す手を止めることはなく、
俺も手持ち不沙汰になって一緒に干した。
しかし一体ヤツは家中の布を洗ったのだろうか、
この量は庭中が洗濯物で埋めつくされる勢いだ。

「全知全能の神なんて嘘ですよね。」
「そうなん?。」
「もしそうなら、不完全な存在を創るはずなんか無い。」

濡れたジーンズの皺を伸ばすつもりで俺がバシバシとそいつをはたくと、
ジーンズの裾は地面の砂埃まで巻き上げて、
ヤツは「ああもう」とか愚痴をもらした。

「神がどうかは知らないけど。」
「はい?。」
「不完全な方が面白いじゃん。人間は。」

俺の何気ない言葉に、
動き続けていたヤツの手がふと止まった。

「そうなんですか?。」
「知らねー。ただの俺の感想。」


細かい物をカゴ2杯干し終えて、
最後には大物が残った。
テーブルクロスにシーツにベッドカバーにソファの上掛けまで。

一体何だってコイツはココまで洗い倒したのだろう。
そういえば、以前も似たような事があった。
思い起こせば、あれは俺が寺に駆け込んだ日だ。

「ビシッと干しますよビシッと。端持ってください。一緒に引いて。
ここで皺残すとアイロンがけが大変ですからね。
ああっダメ。引きすぎ。変形しちゃうでしょう。」
「・・。」

もしかするとコイツは、
何かあるとやたらと洗いたくなるんじゃないだろうか。
例えば、くだらないこと全部洗い流そうとした俺みたいに、
水に流せたらなんて、思ったりするんじゃないだろうか。

「いいですか、『せーの』で、バシッと竿にかけますよ。」

だとしたら、コイツも今朝は全然普通じゃなかったってわけだ。

「タイミングがズレると無駄に皺になりますからね。
いいですか。」

だったらどうして、普通のフリなんてするんだろう。
取り繕うという器用さがむしろ俺たちの間に溝を作ると、
コイツは気付いているんだろうか。

「せーの!。」

二人が両端を手にした白くてデカイ布が
大きく宙にひるがえっては瞬間太陽を隠し、
弧を描いて竿へと被さって落ちた。

「スプレンデッド。合格です。」

俺の側では何も取り繕う必要なんかないんだと、
コイツはいつか気付くだろうか。

「ハイ次。」

ヤツの指示通りに、
引っ張って伸ばしては投げかけるのを俺たちは繰り返した。
2人分のシーツにベッドカバーにテーブルクロスにその他。
数十分後、俺たちはようやく小山のような洗濯物を干し終えた。

ふと一歩引いて見渡すと、
庭中がはためく布きれで埋め尽くされている。
野戦病院か軍の一時キャンプかという有様だ。
とてもご家庭の庭とは思えない。

ヤツも俺の隣で、奮闘の成果を見上げていた。
両手を腰に当てたその姿は、いつになく満足気だ。
庭を埋め尽くす濡れた布切れを見つめて、ヤツが評価を下した。

「完璧です。」

俺はつい、鼻先で吹き出して笑った。
こんな事がコイツには嬉しいらしい。

「そーか。そりゃ良かったな。」

俺は笑いながら、ヤツの肩を抱き寄せた。
ケツが痛いのを我慢して付き合った甲斐もあるってもんだ。
抱き寄せた肩をバシバシ叩く俺を、ヤツが間近で怪訝そうに見上げた。

「何か?。」
「イヤだから良かったな、って。」

コイツは何だか良く分からない。
分からないことだらけだが、
今こうやって干し終えた洗濯物の旗を見上げて、
満足してる事は間違いないらしい。

良く分かんないけど、面白いよ。
俺は肩を揺らしてクスクス笑った。

「ヘンな人ですね。」
「お前がな。」

俺はヤツの肩を抱き寄せたまま、
もう一方の手で、ヤツの頬に触れた。
「?。」
訝しがる翠の瞳にみとれて、
顎を掬っては唇を寄せた。
ヤツの感触は身体が覚えているはずなのに、
いつも初めての気分になるのは何故だろう。

唇を離しても絡みつく視線。
不意を突かれた動揺を隠すために、
おまえはきっと笑うんだろう?。

だけどヤツは絶対に、俺の予想通りになんて動かないらしい。
お得意のポーカーフェイスに切り替える間もなく見開かれた瞳からは、
何故か大粒の涙がこぼれ落ちた。

「ななな何!。」

俺はまるで女を強姦しちまったような気になって、
やたらと焦って声を上げた。
強姦されたというのなら、むしろ夕べの俺なんだが。

「あ。」

自分の反応に自分で驚くみたいに、
ヤツはふと顔をそむけては長い指先で自分の頬をなぞった。

「あー、びっくりした。」
「そ・れ・は・俺!。何!。」

「安心・・したんでしょうか。」
「は?。」
「嫌われたと思ってましたから。」
「はい?」
「昨夜の事で、僕、あなたに嫌われたと思ってましたから。」


んじゃするなよとかベタな突っ込みをのみこんだまま、
俺は何となくヤツと見つめ合った。
困ったように頭を掻いてから、ヤツは俺の視線を振り切ると、
具合の悪さから逃れるためか洗濯カゴを撤収し始めた。

「こんなこと、あんまりないですし。」
「『こんなこと』?」
「『こんなこと』。」
どんなことだろう。

俺が今した事と言えばキスくらいのつもりだ。

・・と。
そう言えば。
そう言えば今まであんな事とかそんな事とかいろいろとあったわけだが、
俺がヤツにする、ってのは、そう言えばまだ2回目くらいだ。
「くらい」ってか考えてみれば確実にそうだ。

お前が早すぎなんだって。何につけ。
たまには俺にやらせろっての。

昼の太陽の下、はためく洗濯物の前でその辺をどう表現するべきか。
思いあぐねてふてくされたように髪を掻き上げた俺に、
ヤツが結審を下した。

「まったくもう。」
「・・。」

気の抜けた捨て台詞で洗濯カゴを抱えては
ヤツは俺に背を向けて先に立ち去った。
洗濯物の旗の前に一人取り残された俺は、
ヤツの置き去った言葉を反芻していた。
(まったくもう。)
「・・。」

俺は言葉もなく、昼でも低い冬の太陽を見上げた。
風がないから陽差しの暖かさを直接肌に感じる。
そうだな、気分は悪くない。

ここからは死角になる玄関付近からは、
『ああもうおおきいひとはあとって言ったでしょう』とか叫ぶヤツの声が聞こえ、
直後にギャンギャン鳴くデカイ犬の悲鳴が耳に入った。
「・・。」


仕掛けようにも相手は強敵だ。
まあ、やりがいがあるとも言えなくない。
俺は漠然と『3回目』の手筈を考え始めていた。

期待しろよ八戒。
次は俺がキメる。

決意を新たにした俺の背後で、台所の小窓が開く音がした。
先に室内に戻ったらしいヤツが、流しから俺に呼びかけた。
「おつかれさまでした。お茶にします?。」

任せとけ。
俺はヤるときはヤる男だ。

「悟浄?」

そのヘンを今後はっきりと示してやる。

「悟浄!。」

本当の俺は今までみたいなもんじゃないぜ。

「悟浄!。呼ばれたら返事!。」
「・・はい。」
「作業が終わったらさっさと部屋に戻る。」
「・・はい。」

野郎、この俺を仕切れると思うなよ。
俺様のキメっぷりを、
これからまさに見せつけてやる。



(I'm) Deep In Deep Red 5. END.

やっぱりみせつけられないと思いますけど。

 

第一部、ハッピーエンドのつもりです。(これでも(^^;)
お付き合いありがとうございました。
第二部も書けるといいなあ。・・いいのかなあ。

よろしかったらご感想など頂けると嬉しいです。
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