八戒の語りで。





〜造られしものよ 声上げて歌え
 造り主にして その支配者なる
 主なる神を


「バターが切れてたでしょう?。」
「うん。」
「マーガリン出そうかと思ったんですけど、あんまり好きじゃないですよね。」
「うん。」
「はいコーヒー。」
「ん。」
「で、はいこれ。」
「ん?。」
「ピーナッツバター。」
「こんなんあった?。」
「料理に使うんですよ。」
「うっそ。」
「隠し味なんです実は。今まで気付かなかったでしょう。」
「うん。」

薄いレースのカーテン越しに差し込む朝の光が、
僕たちの食卓を幸福そうに演出する。
僕は一方的に話をして、彼は不自然じゃない程度に適当に相槌を打つ。
まるで、馴染んだ恋人同士のありきたりの朝の風景みたい。

「何だか朝から豪勢だな。」
「残り物がありましたからね夕べの。」
「・・・。」

昨夜の子羊のグリルは結局手が付けられることもなく、
今朝のサラダや添え付けの小皿に原型が分からないかたちに再利用してある。
暮らしの知恵であり家計の必然でもある。

「コーヒーのミルク足りません?。」
「いーやこんなもんで。」

昨夜の事を、彼は口にしない。

勿論、僕も。

「野菜が高くなると、冬だって気がしますね。」
「そう?。」
「根菜系は安くなるんですけど。」
「へえ。」

彼は僕と視線を合わせない。
きっと振り向けば、
僕の首筋の痣を目にする事になるからだろう。


今朝、僕は居間で目覚めた。
彼の隣のベッドに居ることがいたたまれなかったから。
やるだけの事をやって今更いたたまれないも何もないとは、
正直自分でも思う。

居間で目覚めると、そこには彼がいた。
向かいのソファで煙草をふかしながら、
ぼんやりと僕を見て、彼はおはようと言った。

いつもは昼過ぎに僕に叩き起こされる彼が
朝から目の前に座り込んでいる不自然さに触れることもなく、
僕も当たり前のように素っ気ない朝の挨拶を返して、
そそくさと身支度にと背を向けた。

浴室で服を脱いで、僕は頭からシャワーを浴びた。
幾ら水量を上げたところで、
たった今目にした彼の目の下の傷が
僕の脳裏から振り払われる事は無かった。

人は皆そうなのだろうか(否、僕だけだろう)、
絶望的な気分の時にオンなるスイッチがある。
そしてそのスイッチが入ると同時に、
何故か僕の頭には賛美歌が鳴り響く。
全く、バカげた話。

〜造られしものよ 声上げて歌え
 造り主にして その支配者なる
 主なる神を
 ハレルヤ

降り注ぐ激しいシャワーの湯の音に掻き消される事もなく、
僕の頭では賛美歌 75番のフレーズが何度も繰り返されていた。

〜造られしものよ 声上げて歌え
 造り主にして その支配者なる
 主なる神を

愛する者を傷つける、そんな間違った存在を、
神は何故造られたのか。
例えば僕のようなものを。


「なんか静かだな〜外。」
「そうですか?。」
「ガキが叫んでたりしてるじゃん、いつも。」
「朝だからですよ。」
「へ?。」
「早朝に起きるのなんてまれでしょう。」
「あ〜そっか。何かあった時だけ・・」

彼は途中で言葉を切ると、
一度は塗りおえたはずのピーナツバターを
繰り返しパンに塗りたくり始めた。
『何かあった時だけ』の『何か』が、
ことごとく僕関連だという事実に思い当たったのだろう。

「いい天気ですね今日。」
「ん。」
「すごく洗濯したくなるなあ。」
「やってるでしょいつも。」
「いつにも増して。」
「へえ。」

僕から視線をそらせたままで、
彼は必要以上にバターを塗りたくったパンを囓りながら、
砂糖を盛ったスプーンをコーヒーの上で傾ける。
さっきから通算で7杯入れている事実に、気付いてはいないらしい。

「晴れててもやっぱり冬は寒いですね。」
「ん。」
「雪、降らないかなあ。」
「何で。」
「綺麗じゃないですか。」
「洗濯物干せなくなるっしょ。」
「それもそうですね。」

時折視線を泳がせては落ち着かない彼と対照的に、
一度スイッチが入った僕はと言えば、普段以上に平常心だ。
正確に言えば、『平常心の僕』が自動運行している。

「しかしもう冬かあ。」
「コタツ出しましょうか。」
「そんなモン無いよウチ。」
「え?。」
「マジで。」
「真冬はもっと寒いでしょう?。」
「寒いな。」
「どうしてたんですか?。」
「どうしてたんだろ。毛布かぶったりとか?。」
「・・。」

何気なくカップに口を運んだ彼は
コーヒーを一口すすった途端、
ブッ、と音を立ててそれを吐き出した。

「何!。」
「はい?。」
「砂糖いつもより甘くなった?!。」
「そんなわけないでしょう。」

確かサーバにはまだドリップしたコーヒーが残っていたはずだ。
彼の手から砂糖入れすぎのカップを取って、
僕は台所で新しいコーヒーを注いだ。

つぎ代えた少しぬるめのコーヒーを持って、僕は彼の脇に立った。
見下ろした愛おしい長髪の紅。
髪の間に見え隠れする、横一筋の新しい紅。

結局力づくであなたを手に入れた僕を、最低の男だと、
何故あなたは誹(そし)らないのだろう。

湯飲みを渡す振りで、故意にあなたの唇を掠めたほんの十日前。
あの頃なら、僕はまだ嫌われていなかっただろうか。


迂闊にも『平常心の自動運行』が緩んだ僕の頭では、
再度あのバカげた賛美歌が鳴り響いた。

〜造られしものよ 主のために歌え

あの頃に戻れたなら、
僕はあなたに嫌われずに済んだだろうか。


- 続 -



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