最終章
4
翌朝。
普段以上に清々しく晴れ渡った空の下、
僕達はジープのフロントに地図を広げて本日の道程を確認していた。
確認すると言ってもそれは運転手の僕だけ把握していれば済むことでもあるから
残り3人は寝起きのぼんやりした頭で漫然と紙面を見つめていたりいなかったりするだけだ。
「じゃ、このルートで。」
僕が指先で示した地図上の位置を見もしないで、悟浄が「ヘイ」と答えた。
それを合図に、残り二人はさっさとジープの指定席へ乗り込む気配だ。
紛れもないいつも通りの朝。
しかしそう思ったのも束の間、運転席のドアを開けた僕の背後から、悟浄の無骨な腕が僕の首筋を捉えた。
僕はジープに背を向けて、悟浄に数歩引きずられた。
「で、どうよ。夕べの首尾は。」
「止めてくださいよこんなところで。」
「じゃ手短に言え。」
「そっちこそどうなんですか。二人で夜中過ぎに帰ってくるなんて。」
「へへ。聞きたい?。」
「別に。」
「・・お前、もしかして機嫌悪い?。」
「全・然。」
(機嫌悪いって顔に書いてあんぞ)、と、悟浄の顔にはそう書いてあった。
「未遂ですよ未遂。」
プロレスの技かというほどガッチリと肩に回された腕を振りほどいて、
僕はさっさとジープに乗り込んだ。
「未遂ってどのへんまでが未遂」とかブツブツ呟きながら、悟浄も後ろに乗り込んだ。
ふと隣を盗み見れば、金糸の髪の麗人は助手席で俯きがちに「我関せず」ときめこんでいる。
顔色は、悪くないようだ。
いろんな種類の安堵と正体不明の罪悪感を抱いて、僕はジープのエンジンを始動した。
アクセルを踏み込むと、タイヤが砂を噛み、僕らの間にはいつもの風が吹き抜けた。
西へ。
目的地は思ったより遠く、僕は既に日常に溺れている。
遠い記憶として、牛魔王がどうとかそういう問題があったような気がする。
走り出したジープの後部座席では、「未遂ったら未遂」と悟浄がデタラメな歌を歌っていた。
悪気がないのが彼の悪いところだ。
歌の合間には、悟空の大きなイビキが運転席の僕の耳にまで届いた。
なんてことはない、僕は寝不足を三蔵から悟空に移し替えただけらしい。
「おーい三蔵。」
後ろから三蔵を呼ぶ悟浄の声に、ふと嫌な予感がした。
「未遂ってどのへんまでなら未遂だと思う?。」
「何の。」
「一般論だよ一般論。」
そんな一般論があるハズも無い。
三蔵はただ黙り込んだ。
僕は今この場に居ないと思うことにした。
(だって、八戒、三蔵の事好きだろ。)
ハンドルを握る僕の頭には、昨夜の悟空の言葉が繰り返されていた。
もし悟浄の言葉だったら、僕は適当に受け流せたかもしれない。
悟空の言葉であっても、もしそれが質問だったなら言い分けの余地があった。
しかし悟空は、当たり前の事実を語るみたいに自然に話した。
彼は、知っていた。
僕自身すら認めていない事実を。
そう言えば紅孩児一行は何をやってるんだろう。
こんな時にこそ一連隊引き連れてやってきて、
誰も何も考えられない程に状況を掻き回してくれないだろうか。
ジープのハンドルを握り安全運転を決め込みながら、
その実は戦争を待ち望む廃人のような僕に、寡黙な麗人が珍しく声をかけてきた。
オイ、と、低く彼が呼んだのは僕なのかどうか曖昧だった。
ふと顧みた彼は、流れゆく車外の景色に心を奪われているようにも見えた。
「余計な事をしてくれたな。」
「・・。」
間違いなく僕が呼ばれたらしい。その話題の切り口からして僕以外有り得ない。
何でもお見通しといったところか。
「何でしょう一体。」
「俺の身代わりにでもなったつもりか。」
「まさか。僕がそんな自己犠牲の精神に満ちあふれてると思います?。」
答えがないのはどういう意味だろう。
少し前ならともかく。
「今の僕が。」
「・・まあな。」
「つまりは、僕自身の意志です。」
軽蔑を通り越して言葉も見つからないと、そんな意味合いの視線を横顔に痛いほど感じた。
しかし事実なのだから仕方がない。
自分で言うのも何だが、軽蔑されるに値する。
外灯に魅せられた夜の虫みたいに、悟空の無垢な光に手をのばした。
心を手に入れられなくても、その輝きに触れるつもりだった。
そして彼の輝きは、彼を守るもうひとつの大きな輝きの反映でもあるという僕の認識を
悟空自身に突き付けられたという事実は、この場合考慮すべきなんだろうか。
「じゃ、反対に貴方が人身御供になってくれたりします?。」
「俺が何の。」
「僕の欲望の。」
軽蔑されついでに捨て身の台詞を投げてみる。
今更の直球は新手の変化球にしか見えず、無意識に絡めてきた糸を絡まったまま放り投げても意味がない。
更に言うならば、言葉を継ぐ前にそれに気付くべきだった。
「断る。」
間髪入れない返答に、僕はつい肩を揺らした。
微塵の余韻も残さない拒絶は、むしろ清々しいのだと知った。
自分の愚かさを自分で笑いながら、あろうことか僕は、彼を魅力的だと初めて意識的に感じていた。
「おーい。」
妙に間延びした悟浄の声が背後から響いた。
「俺の相棒泣かせんなよ三ちゃん。」
「良く見て言えバカ。」
「え。」
悟浄は後ろから身を乗り出して僕を覗き込むと、あ、と短く声を上げた。
「笑ってやがるクソ。中途半端に肩揺らしやがって。」
「何で僕が泣くんですか。」
「フラれてたくせに。」
「ほっといてくださいよ・・と。フラれてなどいません。」
「往生際が悪ィぞ。」
「僕、口説いてませんもん。フラれてなどいません。」
「意地になってんなコイツ。どう思う三蔵。」
「・・お前らみんなバカバカしくて何も言う気にならん。」
「ああそう。」
努めて平静を装いながら、その実僕は眩暈がしそうな程に動揺していた。
問題は、「フラれた」とか「断る」とかそういうくだりじゃない。
何故悟浄は僕が三蔵を口説いたと思ったのか。何故拒絶されて泣いたなどと思うのか。
つまりは悟空と同様に、僕自身がようやく認めつつある事実を彼もまた知っていたという事になる。
なんてことだ。
知らないのは僕だけだったのかもしれない。
と、言うことは。
助手席の当事者すら承知の事実なのだろうか。
自分の馬鹿さ加減に、僕は一瞬気が遠くなった。
貧血なんだろうか、額にハンドルが当たったような衝撃を少し遠く感じた。
直後に平衡感覚が失われたような気がしたのは実際車体が傾いたからかもしれない。
「うわっ・・コラ!!。」
悟浄が後ろから僕の後頭部の髪を鷲掴みにして僕を引き起こした。
「運転しながら気を失うなバカ!!。」
「うわ。」
傾斜のついた壁の如く立ちはだかる岩肌にジープの片輪が無理に乗り上げかけて、車体は横転寸前。
咄嗟に正気に戻った僕はギアを落として横転方向にハンドルを切りトルクをかける。
後部座席からは「うわ」とも「ぐわ」ともつかない悲鳴が重なって響いたが、彼らに声をかける余裕はない。
走り抜けたというか単に落ちたというのか微妙なところだが、
崖を滑り抜けてとにかくジープは平路に戻った。
「い、今の何八戒!。」
「すいません・・。」
「よーやく起きたなガキ。」
「ガキって言うな!。」
「ふ〜ん。夕べからはオトナだったりするワケ?。」
「?!。」
「うわ、痛えぞガキ!。それともオトナ?。」
「!!!。」
僕の暴走に続いて突如勃発した後部座席の乱闘に、三蔵の堪忍袋の緒も切れた。
「うるせえっ!!。」
叫んで振り向いた彼の手に小銃が握られているだろう事は確認するまでも無い。
美貌の麗人の「クソ野郎」とか「死ね」とか言う罵声と、複数の悲鳴と、銃声とを背景に、
運転席の僕はといえば、僕自身の問題に埋没しつつあった。
困った事になったと、そう思う。
勝ち目の無い闘いなら始めない主義だ。
僕が悟空に勝てるハズがない。
その上に僕は、その最強のライバルすらかなり気に入っている。
状況は錯綜している。
なのに感情というものは、理屈のようには動かない。
もはや今の僕に残された希望といえば、凶暴化した妖怪と紅孩児一行だけだ。
最近見かけないけど忙しいんだろうか。早く仕掛けて貰わないとこっちの死活問題だ。
どうすれば来てもらえるんだろう。
またあの元気な妹さんがやって来たら、確実に確保しておかないと。
ああそういえば。
八百鼡さんは元気かなあ。
Fraction reflected 〜 反射率
END.
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□□お付き合いありがとうございました□□