八戒は悟浄じゃなくて慈燕に拾われていたとゆう(?!)設定で。





「いらっしゃい。」

そこは一歩踏み込んですぐに店全体が視界に入るほどの、狭い飲み屋だった。
6席程のカウンターと、3人掛けの丸テーブルが2つ。

昼過ぎという半端な時間のせいだろうか、客は一人だけ。
疲れた背中の男が、テーブルにうずくまるようにしてグラスの酒を舐めている。

悟浄は迷わずカウンターの中央に陣取った。
カウンターの向こうでは、寂びれたバーには似つかわしくない端正な輪郭の黒髪の男が、
グラスを拭く手を止めて悟浄に柔らかく微笑んだ。

「ご注文は。」
「一番安いバーボン、ロックで。」
「かしこまりました。」

BGMもない店内は静まりかえり、外で遊ぶ子供の嬌声が響いてくる。
そういえば、この店の周りにはやたらとガキがたむろしていたと、
悟浄は酒を待つ間、そんなつまらない事を思い返していた。

「お客さん見ない顔ですね。旅の方?」
「まーね。」
「何もない村だし、見るところなんて無いでしょう?」

カウンターに差し出された背の低いグラスを手に取ると、悟浄は目の高さで軽く振った。
一方的な乾杯は、『掃き溜めに鶴』的バーテンに対するささやかな感謝の証。
振られたグラスの中では琥珀色の液体が楽しげに揺れる。

「俺さあ、ガキの頃、このへん住んでたんだ。」
「へえ。それじゃ昔を偲んでの旅ですか。」
「つーか、仕事。」
「はあ。」
「俺、寺に雇われて悪いヤツ捕まえるよーなことしてんだけど。」
「つまり、エリートなんですねお兄さん。」
「ま、そういうこと?。」

すごいですね、と、片眼鏡の端正な顔立ちは悟浄の目の前で綺麗に微笑んだ。
照れ隠しに悟浄も慣れない愛想笑いで応じてみる。
今の話には多少の嘘が含まれているが、この際それはいいだろうと、
心で自分に言い訳したりして。

「最近、妖怪が暴れだしたおかげで、人間様の方は逆にオトナシイだろ。」
「はあ。」
「で、暇になったわけよ。寺の警備やってる人間は。」
「いい事じゃないですか。」
「暇にまかせて『過去の凶悪犯一斉検挙キャンペーン』とか始まったワケ。」
「へえ。」
「昔、母親を殺した男がこの村に舞い戻ってるって噂があるんだけど。」

アンタ、そいつの事知らない?。

そう訊ねる変わりに、悟浄は目の高さに上げたグラス越しにバーテンを見据えた。
もし彼が何か知っているのなら、言葉には出さずとも表情が語るはずだった。
しかし、素なのかポーカーフェイスなのか分からない彼の柔らかい微笑みは、
悟浄の思惑を裏切って、何事をも告げなかった。

「この辺、そんな悪いひといないと思いますけど。」

気の抜けた短い答えを返し、バーテンは手元のグラスを磨き始めた。
知らないというのなら、あとは特に聞く事も無い。

悟浄はポケットからよれたハイライトのソフトケースを取り出すと、
一本咥えて火を点けた。
慣れた煙を吸い込みながら、短髪のバーテンをぼんやり眺めてみる。
辺鄙な村の飲み屋のカウンターよりは研究室なんかが似合いそうだし、
どーしても水商売というのなら高級娼婦だなでも野朗だけど、とか、
そんなくだらない思いに身を馳せてみる。

悟浄はただ、煙草をふかし続けた。
緊張感も薄い店内の沈黙を時折破るのは、外から響いてくる子供の嬌声だ。

「なんか外、ガキ多くない?」
「ええ。隣が養護施設ですから。」
「そうなの?」
「施設っていっても親を失くした子が寄り集まって暮らしてるだけの場所ですけど。」
「そんなん誰が面倒みてんの?」
「彼です。」

バーテンが視線で示す先には、悟浄以外の唯一の客である男が、
悟浄に背を向けたままテーブル席でひとり酒を舐めている。
悟浄が店に入った時と変わらぬ姿勢のままだ。
敢えて彼を見直して見れば、少々丸まったその背は疲れては見えるものの
使えそうな筋肉の張りが感じられる。
何となく、慈善家とかそういう類の人間とは違うタイプに見える。
しかしそれを口に出すのはさすがに失礼だろう。

「彼、昔に弟さんと生き別れたそうなんです。」
「へ、へえ。」
「それで、弟さんに良くしてあげられなかった分、他の子供の面倒を見たい、って。」
「・・。」
「ちなみにこの店のオーナーも彼なんですよ。僕はただのお手伝いで。」
「そうなん?」
「ええ。ここの売り上げが施設の運営費になってるって仕組みです。」
「そりゃまた人のイイ話だな。」
「ええ。ホントにお人好しなんです。」

そう言ってバーテンはクスクスと笑った。
カウンターの会話が聞こえていないわけでもないだろうが、
隅の客席でひとりグラスを傾ける男の背に、動揺は感じられない。

「人が良すぎるって、お客さんも呆れてますよ。」

バーテンがそう声を張り上げると、
男は振り返りもしないままに、ロックのグラスだけを肩口に上げ、軽く振って見せた。

「あはは。何となく挙動がおにーさんに似てますね。」

咄嗟に返すべき言葉も探せず、悟浄はただグラスの酒をあおった。

「それにもう一つちなみに。」
「はあ。」
「僕がここで働き始めたのはほんの最近なんです。」
「ふうん。」
「だからこんな仕事の割にはこの地域に詳しいわけでもないんです。」
「なんだ。」
「市場で露店開いてるおじさん達の方が僕より昔の事良く知ってるんじゃないかな。」
「そお。あとで寄ってみるわ。」

あとで寄ると言ったものの、その必要は無いだろうと悟浄はぼんやり考える。
何故なら、もう一人の相棒がまさに今その辺を聞き込みに廻っているからだ。
正確には彼は相棒というより悟浄の雇い主であり、寺のエリートは悟浄ではなくその雇用者の方だった。
しかしまあ、そのへんはこの場では伏せておくと決めた。

露店のオヤジ達が過去のあれこれに詳しいとしたら、
雇用者である相棒は、おそらく真実を聞き込んでくるだろう。
正念場はその後だ。
悟浄は言葉も無く再度安い酒をあおった。

急に無口になった悟浄を、若いバーテンはただ穏やかな瞳で見つめていた。
そう言えば村外れの飲み屋には全然そぐわない洗練された物腰のバーテンは、
一体どういう経緯でこんな小さな村に辿り着いたのだろうか。

「おにーさんさあ、前は何やってたの?」
「僕ですか?」
「うん。なんかバーテンとか似合ってないし。」
「はは。やっぱりダメですか。」
「イヤ別にダメじゃねーけど。」

似合ってないバーテンのちょっと頼りなさげな微笑は、荒んだ悟浄の胸の内に儚げに映えた。
相棒の坊主は超絶美形だがこっちも違う系統の美人に違いないとか、
緊迫した自身の状況にそぐわないほんわりした思いに、悟浄は瞬間幸福を感じないでもない。

「施設の子供達同様、僕もあのお人好しの彼に拾われまして。」
「へえ。落ちてたのオタク。」
「ええまあ。」
「ち。俺が先に見つけて拾っとくんだった。」

あはは、と声を上げて端正な顔立ちが明るく笑った。

「しかしまあ何で大のオトナが落ちてるわけよ。怪我とかしてたの?」
「ええ。かなり。」
「ふうん。」
「その辺話すと長いんですよ。」
「構わねーぜ。俺なら。」
「だけどとても一晩じゃ話せないな。」
「へ。」

それは一体誘い文句なのかそれとも営業トークなのか。
似合わなそうに見えて実はこの男、営業系の達人なのだろーか、
それとも俺は意外と彼に好意を持たれちゃってたりするのだろーかなどと悟浄は考える。

その辺を見極めるべく、悟浄は上目遣いに翠の瞳を覗き込んだ。
しかし完璧なポーカーフェイスの微笑みは、悟浄の思惑を受け流すだけだ。

「二晩でもそれ以上でも構わないって言ったら?。」
「そしたらまた今度いらして下さい。もし貴方がよろしければ、ですが。」

どうやら延長戦の宣言らしい。

一見癒し形の美人はその実なかなかの食わせ者かもしれないなんて思いつつ、
悟浄はポケットの小銭を漁った。
美人との駆引きは、正直嫌いじゃない。
むしろ勝負心に火がついてやる気が増す。
しかし今だけは先に片付けるべき懸案があった。

手に触れた小銭を、悟浄はよく確かめもせずにカウンターに叩き置いた。

「ごちそーさん。釣りはいいや。」
「ありがとうございました。」
「また明日来るよ。」

明日。

軽く手を上げる挨拶で、悟浄はカウンターの止まり木から腰を上げた。
振り向きざまに、客席の隅で背を見せたままの男を、視界の端で確認する。
明日、と、彼にもそう告げたつもりだった。
むしろ彼にこそそう告げたとも言える。

明日、追手が来る。

(逃げろよ、アニキ。)

悟浄が言い淀んだ言葉の続きを、果たして彼は受け止めただろうか。


   ◇◇◇

「まったくもう!。」

たった一人の客すら帰った村外れの酒場では、
今や営業スマイルも剥がれ落ちたバーテンが、寡黙な後姿に向けて一人でぼやいていた。

「『釣りはいいや』なんて、いいどころか足りてませんよ!。
それにこんな地味な村に殺人犯なんて居るわけないじゃないですか。ねえ、慈燕さん。
一体誰なんだろ、あの紅い長髪の男。寺で警護やってるなんて嘘ついて。
そんなエリートが一番安いバーボン飲み慣れてるはずなんかないですって。
ホラ、吸殻もハイライトだし。
ねえ、慈燕さん、僕、なんだかイヤな予感がするんですけど。
今のお客さんに心当たりとかあります?。」

酒場の隅にうずくまる人影は、コトリと音を立ててグラスをテーブルに置いた。

「アイツは俺の知り合いさ。」
「え。そうなんですか?。」
「ああ。だけどあんまり昔の事で、もう忘れちまったな。」


- 続 (1/4)-