Pursuer 〜 保険調査員5


 二十七日 U    〜 秀蔵&観世 〜


「今頃聞きに来たってか。」
 肱掛け付きの無駄に豪勢な椅子に腰掛けて、観世は不満気に対面の秀蔵を睨み付けた。何故か観世には大袈裟な椅子が似合う。銀座のママかどこかのゴージャス姉妹かといった派手な容姿で横柄に足を組みかえるその姿はまるで独裁者だ。
 無論、美しい。しかも比類がない程に。ホテルのラウンジといったこの場所柄からして着飾った女性も少なくないが、観世に比べて見劣りのしない者など存在しない。
 しかし、「美しい」という形容は、女性に対してに限られるだろうと秀蔵は思っていた。だから観世が美しいのか否かは、観世の性別に賭かった事となる。ならば果たして観世は美しいと言えるのかどうか。その確率を、秀蔵は漠然と思ってみる。
(五分だな。)
 だとすると賭けにもならない。勿論賭ける相手がいるわけでもないが。

「やる気あんのか?!」
 腰を降ろしてから煙草をふかしっぱなしの秀蔵に観世が吠えた。どういうわけか観世はいつも機嫌が悪い。何故だろうと秀蔵は思う。自身も他人にそう思われていると、秀蔵が知る由は無い。
 秀蔵を怒鳴りつけた観世の険しい声に、ラウンジ近くの数人と、通りすがりのホテル利用者が振り向いた。人々は先ず観世の美貌と露出度に瞳孔を開き、その後に対面で押し黙った秀蔵に気付く。日本人離れした色の抜けた髪に彫りの深い目鼻立ち。この二人のツーショットはとても一般人とは思えない。ドラマか映画の収録かと、人々は一様にカメラを探して辺りを見回した。観世の隣でかしこまり鞄を抱える次郎は見逃されるのが常だ。

「やる気はある。アンタを呼んだのは俺だ。」
「今頃聞く気になった理由を言え。何があった。」
「調査室のバイトが得体の知れない奴らにからかわれた。」
 秀蔵の言葉に、観世がふと目を細めた。
「何かが動いていると電話で言ってたな。その辺を話せ。相手は民間人とは思えん奴らだ。」
「どんなヤツだ。」
「あ?。」
「見た目だよ。」
 観世の至極当然な問いかけに、秀蔵はふと視線を反らせた。そうだった。肝心な事を聞き逃していた。誰にやられたかと丈に尋ねて、彼が「分かんねえ」と答えた直後に殴り倒した記憶がある。何故だったろうか。普通は容姿ぐらい聞いておくものだろう。
「分からん。」
「あん?。」
「聞くのを忘れた。」
「・・・。」
 観世は黙って額を押さえた。額の手もそのままに、観世が秘書の次郎へ顎で指示を出すと、次郎は全て承知といった風情で目前の丸テーブルに三枚のスナップを並べた。
「分かってんじゃねえか。」
 秀蔵は観世に聞こえるように呟いた。
「右から順に、是音一臣、紫苑馨、穂村世紀。写真は五年前。」
「軍服・・か。」
「ああ。彼らは元自衛隊一等陸佐に陸将だ。」
「だとすれば指示系統はアンタと同じか。」
 自衛隊法第七条には以下の記述がある。『内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する。』つまり相手が自衛隊なら内閣調査室所属の観世と同じ命令系統で動いた事になる。だとすれば、観世を含めて国側は既に敵ということだ。
「四年前までならな。」
 どこまで話すべきか推(お)し量(はか)る間を求めるように、観世はテーブルの上のコーヒーに手を伸ばした。今まで忘れ去られていた暗い色の液体はもはや冷めているだろうが、観世は黙って口を付けた。
「九十五年から九十八年までの間、お前は比較的暇だったはずだ。記憶にあるか。」
「さあ。」
「お前に回るような仕事を好んで引き受けた酔狂なヤツがいた。」
 観世の言葉を受けて、次郎がもう一枚のスナップを机上の三枚の隣に並べ置いた。先の三人より老けた、恰幅の良い鬚面の男。
「李塔天行。非公式の特殊師団を設立した。裏では『暗殺部隊』と言われてたな。九十六年、防衛庁長官が狙撃された事件は覚えてんだろ。あれは公安が張り付いてた宗教団体の仕業だ。法的に効力を持つ証拠は無いが犯人の目星はついていた。あの団体には公安が潜入してる。次回の狙撃の日程を入手して『暗殺部隊』に回した。ヤツらはどうしたと思う?。」
「俺が知るか。」
「『狙撃』したのさ。」
「何?。」
 観世がククッ、と喉の奥で笑った。
「現場でホシが銃を持ってれば、それだけで銃刀法違反で現行犯逮捕できる。なのに奴らは替え玉を長官に仕立てて通常行動させた。ホシはワゴン車から対象を狙ってた。それを知った上でヤツらも別のワゴン車から対象を狙った。ホシが引き金に手をかけたのを望遠で確認しながら、一発で仕留めた。」
 目を細めて紫煙を吐いた秀蔵を、観世が挑発するように覗き見て、机上に並んだスナップの一枚を指さした。
「コイツだ、是音。確か『アンシュッツ』だったかな、丁度新しいドイツ製のスナイパーライフルを手に入れたところで、試したかったらしい。」
「・・気違いだな。ゲーム感覚か?。」
「イヤ。逆にコイツ等(ら)は全て実戦。演習も予行もナシで全て実戦でマスターする。」
「自衛隊がか?。」
「自警集団じゃはみ出し者さ。」
 その言葉には自嘲を含んだ憐れみが感じられないでもなかった。はみ出しているという意味では観世や秀蔵も同類と言えない事も無い。
「だが、まだ是音は分かり易い方だ。紫苑、ヤツの実力や役割は一切不明。そして師団長の穂村。コイツは血生臭い噂だらけだ。北朝鮮と暴力団の麻薬取引の現場に一人で乗り込んでは双方皆殺しにしてる。穂村は主に不法滞在の外国人や暴力団関係の事件で動く。何故だと思う。」
「だから俺が知るか。」
「オレの想像だがな。無駄に殺しても誰も文句を言わないからだろう。」
 組んだ長い足をほどいて、観世はテーブル越しに秀蔵に顔を寄せた。
「穂村が現れた後に残る死体には不自然なモノが多いって噂だ。例えば、外傷無しで内蔵破裂。」
 問いかける観世の視線を受けて、秀蔵は軽く片眉を上げた。『外傷無しで内蔵破裂』の意味が分かるか、と、観世は言外に問いかけていた。まあ、分からない事も無い。しかし正直心外だった。常識や科学では有り得ない『力』を行使するものが、秀蔵の他にも存在すると言うことだ。
「そういう事ができんのか、秀蔵?、お前も。」
「さあな。試した事が無い。」
 秀蔵は煙草を揉み消した。解答の半分は本当で、半分は嘘だった。
 自宅マンションで吾一が覚醒した日の事を、秀蔵は思い出していた。吾一の攻撃に防御が間に合わないと認識した瞬間、咄嗟(とっさ)に『力』を解放していた。あれは無意識だったが、狙えば更に確実に『力』を集積できる。実感として、そう思える手応えがあった。できるかできないかで言うのなら、おそらく、できるだろう。
 上目使いに秀蔵を見据えては、観世は口の端で笑った。全てはお見通しといった表情だ。
「当時彼らは敵ナシだった。影のように隠密に動き、あとには死体だけが残る。暴力団やテロ集団以外にもロシアに機密を流した自衛隊幹部やら師団設立者の李塔の政敵やら、体制側で始末されたヤツも少なくない。暗殺部隊の第九師団の中でも選りすぐりの三人は『闘神』と呼ばれた。」
「・・くだらねえ『神』だ。」
「所詮そんなモンだろ、『神』なんてのは。」
「闘神とやらが俺の周辺にうろつく理由は何だ。サルか?。」
「地に堕(お)ちかけの『神』は何かを見たのかもしれねーな。お前んとこのサルに。」
「分かるように話せ。」
 観世は冷めたカップを手に取ると、元のように椅子に背もたれて足を組み直した。
「第九師団が派手に動いたのは僅(わず)か三年間だ。その後師団は解散した。団長の穂村の働きが悪くなったのが原因らしい。詳細は不明。その後、穂村は李塔を介して吠登製薬のプロジェクトリーダーと接触している。」
 ふと眼光を強めた秀蔵に、観世は満足気に笑みを浮かべた。
「知りすぎたかつての暗殺部隊は今や粛清(しゅくせい)の対象だ。この三人以外の元師団員は既に始末されている。設立者の李塔は収賄の容疑で検察に追われてる。立件できる確証が無い限り検察は動かん。つまり、政治的に李塔は死にかけている。サルに目をつけたのは、おそらく最後のあがきだろう。」
「アレは、他人が使えるような代物じゃ無い。」
「奴等はそう考えていない。『力』は希有(けう)だ。どうあっても使おうとするさ。」
 秀蔵は無言で冷めたコーヒーを啜(すす)った。
 概要は分かった。しかし未だ解(げ)せない謎は残る。吾一を引き寄せた何物かが彼らなのかどうか。吾一は彼らに出会ったのか。直接関わりのない丈と戒爾に半端に手を出した理由は。
(まあ、いいか。)
 いずれ知る事になる。何故か秀蔵にはその確信があった。
「話は分かった。呼び出して悪かったな。」
「待て。これはチャンスだぞ秀蔵、分かるか。邪魔者が邪魔者を捜してる。ほっとけば、面倒な奴等は勝手に自滅する。」
「何に対する『邪魔者』だ。規格外という意味では俺も邪魔者か。ああ、自滅を望まれる一群には俺も入ってんだろうな。」
「秀蔵!。」
 不意に声を荒げた観世を無視して、秀蔵は腰を上げた。
 観世の言わんとするところは分かる。今や国家の敵となった元暗殺部隊が吾一を捜している。彼らが吾一を手に入れその後吾一が覚醒すれば、彼らとて無傷では済まない。処分を望まれている元暗殺部隊と非人間的な力を与えられた被験体が同士討ちで消えるなら、最高に望ましい。
「穂村は『プロジェクト』の助力で『力』を取り戻した可能性がある。真偽は分からん。吠登製薬に仕込んだ隠し玉が寝返った今となっては確認する術(すべ)が無い。」
「俺はどっちでも構わん。」
 何かを叫びかけた観世を、秀蔵は片手を挙げて制した。いずれにしろ、じきに分かる事だ。
「じゃあな。」
「待て。」
 観世の脇を擦り抜けようとした秀蔵に、観世がドスの効いた声音を響かせた。自分から呼び出した手前、秀蔵は一応足を止めた。
「市ヶ谷の事務所でもなく、お前の調査室でもなく、ホテルのラウンジにオレを呼び付けた理由を言え。」
「いいところに気付いたな。」
「・・殺すぞ。ガキが。」
 秀蔵は窓の外に視線を投げた。西新宿に位置する新南ホテル一階のラウンジ外は、窓ガラス一枚を挟んで車道の喧噪(けんそう)が見て取れる。この道は確か公園通りだったかと思い出す。都庁通りと平行に走る道程は青梅街道と甲州街道を繋いでいる。
「俺はこれから横浜に出る。アンタが回した保険の調査で、な。」
 秀蔵の言葉に観世が薄く笑った。元部下の黄島経由で入手し回した仕事が、ただの保険の調査でないことは観世自身が誰より知っている。
「地下の駐車場から車を出したらこの通りを通る。良かったら、見とけ。」
「お前をか?。」
「俺はおそらく尾行されている。」
 誰にと問うかわりに、観世はキツい眉のラインをより一層キツくした。
「知らないヤツだ。だが、アンタの話でおおよその見当はついた。」
「まさか!。」
 最後の挨拶に軽く片手を挙げると、秀蔵は観世の脇を擦り抜けた。今止められても面倒なだけだ。秀蔵と観世を取り巻いては視線を投げかけていた一般人のギャラリーは、秀蔵の通り道を開けるように歩を引いた。
「待て、秀蔵!。死ぬ気か?!。」
「俺は死なん。」
 背を向けてたまま秀蔵は呟いた。そのまま立ち去るつもりだったが、ふと、振り向いて付け加えた。
「俺は、な。」
 事後処理が必要かもしれないと、秀蔵は漠然とその事を思っていた


 秀蔵が立ち去った新南ホテル一階のラウンジでは、観世が額を押さえて天井を見上げていた。勿論、嘘くさい程大仰なシャンデリアに見惚(みと)れているわけではない。オイ、と観世が軽く声を漏らすと、観世の脇で常時待機中の次郎が、いつも通りに短く「は」と答えた。
「処理班を準備しとけ。」
「は。どの系統の、でしょうか。」
「器物じゃない方。」
「は。死体処理班ですか?。」
「外でその固有名詞を出すな!。」
「はっ!。し、しかし一体誰の死・・といいますかその。」
 次郎の問いを無視して観世はぼんやりと窓外の風景を眺めた。灰色の通りには切れ間なく車が連なっては流れて行く。交通量が多いのに加えて角ごとの信号で頻繁に停止させられるために、公園通りの車は一度はラウンジ前に停車する羽目になる。
 待つこと五分、観世の視界に深紅のマセラティが滑り込み、信号待ちの列に紛れて停車した。さりげなくその後ろをうかがうと、後続車が二台程後に続き、滑り込んでは停車した。
「オイ、秀蔵の後ろのドライバー、認識できるか?。」
「青い軽自動車ですか?。」
 オペラグラスを取り出した様子の次郎が、通りを覗き込みながら答えた。
「イヤ、その後ろ、銀のクーペだ。」
 次郎がゆっくりと視界を動かした。ある位置にそれが固定されたあと、次郎が息をのむ気配が観世に届いた。それだけで、事を伝えるには充分だった。次郎が言葉を発する前に信号は変わり、並んだ車の列は走り去り観世の視界から消えた。
「穂村・・です。」
 断言した次郎に、観世はただ頷(うなず)いた。出会ってはいけない二人のはずだった。
「秀蔵に教えとけ。」
「は。」
「気付いてるだろうがな。」
 何気なく握った観世の拳には無意識に力がこもった。
 処理すべき死体は穂村か、あるいは秀蔵かと、その想いが観世の心を過(よ)ぎっていた。

続.


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