〜 寓話 〜   (敢えて画像ナシ)


気がつくと存在していた。
そんなわけで、少女は長い髪を揺らして、青い空の下に佇んでいた。

空は青く晴れて、木々の緑は喜びの歌を歌った。
高く差し伸べた手のひらの合間からこぼれる陽射しは、金色に少女を讃えた。

少女はスキップして、それから軽く走り出した。
鳥達は木々を渡り、彼女を追ってさえずった。

少女の口元には自然に笑みがこぼれた。
世界は、完璧に満たされていた。

少女は満足して、空に向かって大きく手を広げた。

彼女に応えるように、柔らかい風が彼女を吹きぬけ、戻り、
誘うように、引くように、包んでは離した。

少女は風に恋をした。
だって風は、とても優しかったから。

「いつでも僕を呼んで。晴れた朝も、どしゃぶりの夜も、
すぐに君の元へ行くよ。」

風は嘘をつかなかった。
すごく寂しいときも、
なんとなく不機嫌なときも、
ただの気紛れの時も、
風は約束通り、呼べばすぐにやって来た。

風は嘘をつかなかったけれど、少女は少しもの足りなくなった。

「あなたは優しいけれど、なんだかそれだけみたい。」

いつもご機嫌にスウィングしている風が、
初めて動きを止めて哀しそうにつぶやいた。

「ごめんね。僕は君を抱きしめる事はできないんだ。
そういうふうに、できてるから。」

ふうん。そうなんだ。
少女はそれだけ答えると黙り込んだ。
分かっていたけどなんとなくがっかりした。
風は言い分けもしなかった。

それから、少女は風の事を呼びたいと思わなくなった。
だから呼ばなかった。

風はもう少女を訪れなかった。
しばらくたってからも、もし呼べば彼はすぐに来てくれるだろうと
少女は知っていた。
だけど、呼ばなかった。
風のことはそんなに嫌いではなかったけど、すごく会いたい気もしなかったから。
ただそれだけ。
風は文句を言いに来る事もなかった。

少女はいつの間にか風の事を忘れた。


それから。
少女は炎に恋をした。

拾い集めた枝と枯葉を集めた先に点した小さなかがり火、
火は徐々に大きくなって、少女と同じ大きさの炎になった。

炎は少女の目の前でキラキラ輝いた。
少女を誘うようにゆらゆらと揺れた。
少女は嬉しくなって、一緒にダンスを踊った。

炎も喜んで、一緒にダンスを踊った。
少女と炎は、見つめ合いながら激しく踊った。
少女は声を上げて笑った。
ワクワクした。
だから朝まで、踊り続けた。

幾つかの長い夜を、少女と炎は踊り明かした。

だけどそのうち、少女は気付いた。
「あなたも、私を抱きしめられないわね。」
「当然さ。君がどうしてもって言うんなら、抱いてもいいんだけど。」
「結構よ。馬鹿みたい。」
抱きしめられたら、少女の身体は燃え尽きてしまうだろう。

炎とは結局、喧嘩して別れた。

本当は嫌いじゃなかったから、時々彼とまた踊りたくなった。
炎も彼女が嫌いじゃなかったから、時々彼女が踊らなくなった事を責め立てた。
だけどもう、少女は踊らなかった。
脅されても怒られても、そういう理由じゃ身体が動かなかったから。


少女は少し、疲れていた。
もう恋なんかしないかもしれないと思った。

ただゆっくりしたくてひとりで森の中を歩くと、大きな湖に辿り着いた。
そこで少女は飽きるまで泳いだ。
水は少女を受け止めて、彼女を包み込んだ。
少女は安心した。

気付くと、少女は水に恋をしていた。

水に抱かれたまま、少女は月日を遣り過ごした。
泳ぎ疲れると、少女は湖のほとりで長い髪を梳いた。
水面に写った彼女の姿は、もう少女とは呼べない程に成熟していた。

大人になった彼女を、水は丸ごと受け止めた。
水は彼女を包み込んで、揺りかごになった。
彼女は、満足したと思っていた。

だけどあるとき、何かが足りないと気付いた。

「私はあなたを抱きしめられないのね。
ほら、こんなふうに、指の間からこぼれてしまう。」

水は悲しがって、声を上げて泣いた。
「だって仕方ないじゃないか。僕には無理なんだ。
そんな僕でも君は僕が必要だろう?、僕もそうなんだ。
だから君は、ここにいなくちゃならないんだよ。」

彼女は水から逃げ出した。
水はどこまでも追いかけてきた。

「君はひどいひとだ。僕は君に優しくしただろう?、
だから君も僕に優しくしなきゃいけなんだよ。」

水は泣きながらいつまでも追いかけてきた。

自分が悪いのかどうか彼女には良く分からなかったけど、
水がずっと泣いているもんだから、
なんだか悲しくなって、逃げながらずっと泣き続けた。

彼女は泣きながら、どこまでもどこまでも走った。

水が嫌いになったわけじゃなかった。
ただもう、一緒にいられないような気がしただけ。

そういえば、炎のことも風のことも、そんなに嫌いじゃなかった。
だけどもう、炎と踊るには疲れすぎていたし、風も呼べなかった。
あの頃は気付かなかったけど、風を呼ぶには高くてよく通る声が必要だった。
いつの間に、彼女の少女の軽やかな声は失われていた。
もし今呼んでも、風には届かないだろう。

何かがいけなかったのだろうかと、そんな事が頭を掠めたけれど、
実際何にも分からなかった。
だっていつも、目の前のことで手一杯だったから。
彼女は泣きながらずっと走り続けた。
だけどもう、何にも辿りつかなかった。

彼女はふらふらになって、小さな石につまづいて転んだ。
もう、起き上がれそうになかった。
終わりなんだな、と、そんな事を思った。
そのとき、彼女は気付いた。
彼女の頬は地に触れていた。

頬も胸も腕も足も、彼女の全身は地に触れていた。
地に触れた彼女の身体は、既に年老いていた。
そんな彼女を、地は力強く抱きしめた。
彼女も精一杯、地を抱きしめた。

お帰りなさいと、囁かれた気がした。
「帰ってきたのかしら?」
良く分からなかった。
帰ってきたという事は、今までは旅をしていたのかもしれない。

地は堅く、冷たく、だけど確かに彼女に触れていた。

「僕でいいのかい?」
地の声は高くもあり低くもあり、笑ってもいて怒ってもいた。
子供であり青年であり大人であり、幾つのも霊の木霊のように響いた。
聞かれるまでもなく、彼女の答えは決まっていた。
「ええ。あなたを探していたような気がする。」

その答えに満足して、地は、幾つもの声で笑った。

彼女はもう、眠りたかった。

彼女の望みを聞き入れるかのように、地は諸手を広げて彼女を呑み込んだ。
新しい仲間を歓迎して、地が幾つもの子供の声で大人の声で女の声で男の声で
あざけるように妬むように羨むように崇拝するように卑下するように笑った。

ああ、そうか、と、彼女は思った。

きっと幾つもの魂が、こうやって地に辿り着いたのに違いない。
こんなふうに地に呑まれることに同意した沢山の同胞が、
かつての自分を見るように今自分を迎えているのだろう。

はじまりと終わりで、自分は何が変わったのだろう。
はじまった頃は、全てを持っていた。
そして今は何一つ持っていない。
だけど、
全てを持っていた頃は、何も知らなかった。
何一つ持っていない今こそ、全てを知っている。
つまりは、同じことだ。
始まりも終わりも同じ。
それは、始まりも終わりも無い事に等しい。

旅が終わったとき、その旅が夢だったと知るのだ。

今の彼女には全てが明白だった。
満足して、彼女は地に呑みこまれた。

意識が消えうせるその瞬間、彼女は急に思い立った。

「じゃあなぜ私は旅をしたの!?!」



彼女を呑み込んで、地は遥か永劫からの輪還を終えるはずだった。
なのに彼女の最後の叫びが、地に微妙に歪みを与えた。

全てを飲み込むというその計画は今回も挫折し、
地は苦しみ抜いた挙句、ひとつの歪みを吐き出した。



歪みは今回もまた、儚い少女の姿をとって地に立った。


気がつくと存在していた。
そんなわけで、少女は長い髪を揺らして、青い空の下に佇んでいた。



〜 2002.09.22 by kei

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