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『Heavenly Blue』





大好きなひとがいます。
心から大切なひとです。

大好きな人にはしあわせでいてほしいです。
笑っていてほしいです。
悲しいときは、抱き締めていたいです。

大好きなひとがいます。
そのひとが、そこにいるだけで、しあわせです。


僕の心はあなたに届いていますか?
三蔵。





最近、三蔵の様子がおかしい。
何時の間にかいなくなったと思ったら、庭の朝顔の下で、じっと花を見つめていたり。
爺やさんが吊るした風鈴が、風に揺れて、ちりんと鳴るのを、黙って聴いていたり。
暑さに弱い三蔵が、早々と夏バテしてるのかもしれない。
そう思って近寄って声をかけても、しばらく気がついてくれないことも多くて。
『御病気かもしれません』
心配した爺やさんが、嫌がる三蔵を、お医者さんに連れていっても
体には、何の異常もみつからなくて、安心したような、益々不安になったような
複雑な顔の爺やさんに連れられて戻って来る。
『恋患いじゃねえのか?』
揶揄う菩薩さんを一睨みして、さっさと部屋を出ていく三蔵は、またそのまま庭で惚けてしまう。
僕の三蔵に、いったい何があったというのだろう。
まるで、目の前にいる三蔵はただの映し身で、本当の三蔵は何処か遠いところへ行ってしまったかのように。
其処にいるのに、捕まえられない三蔵に。
僕は、ひどく不安な気持ちで、ちくちくする胸を抱えていた。




夏の朝はとっても気持ちがいい。
まだ陽射しがきつくなる前の柔らかな空気。
優しい風。
いつもなら、三蔵を誘ってお散歩するのだけれど、ここのところはずっと僕一人で歩いている。
今朝も、目が醒めてすぐ、部屋に三蔵がいないことを確認すると、そのまま外に出てきていた。

「…三蔵?」
屋敷の裏の壁に張付くようにして咲く朝顔の前で、何かを想ってただ見上げている三蔵を見つけて
思わず呼び掛ける。
あまりにも、遠い目をしている三蔵に、これまでは、声もかけられずにいたのだけれど。
「八戒」
遠いところを見ていたはずの三蔵が、ゆっくりと振り向いた。
綺麗な紫の瞳が、僕を見つめる。
僕は、まるで三蔵が、突然目の前に現れたかのような気がして、そっと唾を呑み込む。
「何をなさっているんですか?」
「別になにもしてねえよ。コレをみてた」
三蔵が目を遣った先には、透き通るような蒼の朝顔。
気が付けば、三蔵の様子がおかしくなったのは、この朝顔が咲き始めた頃だったかもしれない。
「朝顔ですね。お好きなんですか?」
久し振りに交わす会話らしい会話。
やっとこの世界に戻ってきてくれた三蔵が、また消えてしまわないように、できるだけさり気なく訊ねる。
「別にそういうわけじゃねえよ。…人間はコイツが好きらしいがな」
「え?」
どういう意味だろう、三蔵の言葉の意味を掴み損ねて。
「爺ィが好きなんだとさ。嬉しそうなカオで植えてやがった」
「爺やさん、楽しみにされていましたよね。表の朝顔もさっき通ったら、たくさん咲いていましたよ」
「アレはババァの趣味だろが。悪趣味なヤツ」
顔を顰める三蔵。
此処に咲く蒼い花とは、まるで違った鮮やかな真紅の朝顔を思って、つい笑みを零したとき。
「あんなのはどうでもいいんだ、ただ、コレが…」
蒼い花を見ながら、珍しく口籠った三蔵に、そっと囁きかけてみる。
「蒼、お好きなんですか?」
多分また否定されるのだろう。
そう思っていた僕に、思いも寄らず返された言葉。
「爺ィが」
「え?」
「これは、そらに届くって言ってたんだ」
「空?」
「これは天上の蒼だから」
不意に空をみあげた三蔵が、微かに目を細めた。
「空に届く蒼なら」
そして、紫暗が、空を見つめる。

「あのひとも朝顔が好きだったから。こいつを、見てるかもしれねえ」


キラキラと輝きおちる陽の光と、朝の雫と。
真っ白な三蔵を包み込む綺麗な天上の蒼。


「…あなたの、大切なひとなんですか?」
何か言いかけた三蔵が、そのまま何も言わずに眼を瞑った。


このひとは、何処かに行きたがっているんだろうか。
不意に、胸が掴まれるように痛んだ。


「なんてカオしてやがんだ、お前」
気付けば、揶揄うような顔で、僕を覗き込む三蔵。
「あなたは、そのひとの傍に行きたいんですか?」
訊いてはいけないことなのに。
目の前の三蔵の顔がぼやけた。

「少し前までなら、行きたかったかもしれねえ」
三蔵。
「今は、そんなこと思わねえよ」
三蔵。
「此処がいい」
三蔵。
言葉にならない僕を。

「ほんとに、馬鹿な奴だな、お前」
だから、何処にも行けねえよ。
囁いて、僕の顔を舐めるあなたに、天上の蒼がきれいな影を落とした。


大切な大切なあなたと。
あなたの大切な大切なひとと。


僕はあなたのたいせつな存在になれますか。





Heavenly Blue